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170号 花へのオマージュ

170号 花へのオマージュ

保津川のカモ   半田信和



保津川下りの舟から
ほとんど終わった紅葉を
なんとなく撮っていたら
舟と並行して
懸命に泳ぐ集団がいる
なんだなんだと思ったら
カモである

彼らは泳ぐだけではなく
時おり水をけって羽ばたき
数メートル先の川面に突っこむ
彼らには
めざすものがあるのだ
それは
船頭さんがちぎって投げる
食パンであった

舟の客である僕らは
水上をいきいきと駆ける
彼らの姿に胸を打たれ
ばしばしとシャッターを切る
逆光気味になると
水しぶきとカモの羽がきらめき
確かに絵になる

船頭さんの気づかいが
僕らにはありがたい
ただ
彼らが懸命に
追いかける先にあるものが
食パンだという現実は
ちょっとせつない
十二月の澄んだ空みたいに

春の嵐はんまわりる!  支倉隆子



               魔あるらし
              ルリあるらし

  この頃春の嵐がん気になって仕方がない
葉のことが、るる、母/ママ/まま母/のこ
とが、ら、蘭のことが、4のことが、輪のこ
とが、丸のことが、まりのことが、リマのこ
とが、リリ、海女/尼/のことが、泡のこと
が、足のことが、鳥のことが、死/ちょっぴ
 りした死/のことが、魔のことが、リリリ、
 恋のことが、ら、気になって、気になって、
仕方がない、(春の魔)(春の嵐)(春の恋)
          ずぅ~と昔「夏の嵐」
という映画を見たことがある。イタリア映画
、その女優の名前が思い出せない、…(夏の
足)めらめらと(夏の泡)めらめらと(夏の
野)めらめらと(夏の島)めらめらと、あら
ゆるものを燃えあがらせて…映画「夏の嵐」。
その女優の名前はまだ知らない。私は私は
(春の泡)を通過し、(春の足)を通過し、
(ら、)(ら、)(ら、)(春の魔)(春の嵐)
(春の恋)、おづおづと……暗転。

       通~りゃんせ 通~りゃんせ
        ここは どこの 細道じゃ
                切ない!
  〈通~りゃんせ 通~りゃんせ〉切ない
    〈ここは〉切ない〈どこの〉切ない
       〈細道じゃ〉特に、切ない!
             (細道、ふとる
           (細かい恋、ふとる

          春の恋はんまわりる!
          春の嵐はんまわりる!


註あるアフリカ狂いより
 はるなつあきふゆ
 のないアフリカでは
 アフリカ嵐が吹くだろう
 大嵐小嵐
 嵐が去った後
 ほんの一
 瞬
 草魂草魂草魂草
 魂草魂草魂草魂
 草魂草魂草魂草
 的
 やさしさがあらわれる、平和!

大阪メトロの動物たち   嵯峨京子



大阪メトロ御堂筋線
動物園前駅のホームに降り立つと
柱一面にプリントされた動物たちが出迎えてくれる

しまうま かば むふろん あみめきりん
らいおん きそうま しか えみゅー 
れっさーぱんだ とら ひつじ たいぞう
えらんど くろさい めがねぐま

実物大のパネルはすべて後姿
天井まで届きそうな たいぞう
あみめきりん は背中半分まで
れっさーぱんだ は三分の一にも満たない
十五種類の動物のお尻と尻尾がずらり並んでいる

休日ともなれば沢山の親子連れが訪れる駅
親に手を引かれ動物園にやってくるこどもたちには
動物たちのパネルは目に入らないかもしれないが
後姿の動物たちは前を向いて
動物園が近いことを知らせてくれる
(もうすぐ ほんものに あえる)

帰りの反対側のホームにも後姿の動物たちがいる
そこで見つけた 
とら の虎耳状斑
密林でこどもがはぐれないように目印にするという
虎の耳の裏側にある半月形の白いマーク
(さあ ついておいで)
無事に帰れるように

親の手を握っていたのはほんの束の間
やがて手を振り解いてひとり歩きするこどもたちは
ここにいる動物たちを憶えていてくれるだろうか
かつてこどもだった大人たちからの
ささやかな贈り物のことを

空を駆ける   宮岡絵美



変わりゆく空なんて
寂しいだけだと思っていたけれど
あの人が空が好きだと
いつも言うものだから
私も空が好きになってしまった
空を見ながら
あの人も空を見ているだろうかと考える

人は一生の孤独に
耐えてゆかねばならない
色んなものから心を
もらわなければ生きてゆけない

去ってゆく風景
美しかったあの人を胸に
巻雲が空一面に満ちて
永遠の存続はもうすぐこれから

遥か、眼差しが一気に満ちて
開かれる根底のちから
運命など燃やしてしまえばよいのだから

広く両手を開いて
決然として
駆けてゆく、駆けてゆく
あの空を目指して

遠い遠い日の生命
わたしたちが思っているよりも
この世界はもっと
優しくてあたたかい

空を眺めていると泣きたくなる
空を見つめるということは
沢山の人々へ向かいあうこと
私から他者へと
全てをいつも呼び覚ます空

ユリの木   藤谷恵一郎



一本のユリの木に真向かうと
一本のユリの木が 宇宙の中心にある

一輪のヒマワリに真向かうと
一輪のヒマワリが 宇宙の中心にある

名を知らないひと群れの花たちを見れば
ひと群れの花たちが 宇宙の中心で囁く

小枝に並ぶ雀たちを見ると
雀たちが 宇宙の中心で囀っている

心を掴まれた一編の詩を読むと
一編の詩が 宇宙の中心にある

ひとつの恐怖と不安を抱けば
ひとつの恐怖と不安が 宇宙の中心にある

一本のユリの木の花を見れば
浅いみどりとオレンジ色の光が 宇宙を抱いている

大事なのは   佐古祐二



家族の歴史には喜びがあれば
痛みさえある

薔薇に
芳しい薫りと棘があるように

痛みのない人生はない
本当に大事な価値が何であるかに気づかせてくれる

落胆することも人生の糧
大事なのは前に進むこと

官能検査   もりたひらく



舐めてみる
嗅いでみる
触ってみる
見てみる
聞いてみる
 又聞きではなく
 噂話で でもなくて

感じてみる
この 舌で
   鼻で
   肌で
確かめる
自分の 目で
    耳で

辞書を引き
思考を巡らせ
数字を並べて
あれこれと
論で攻めるよりも
ときには
ピン とくる
第六感を
信じてみても
いいじゃない

どんなに
ディープラーニングを 積み重ねた
AI(エーアイ)でも
取って替われまい
きっと 私の官能には




 *官能検査…人間の感覚を用いて製品の品質を判定する検査のこと。食品、香料、
       工業製品などについて用いられる。もちろん、官能検 査だけでは検知
       できない要素もあるため、軽視も過信もしてはいけな いとされるが、
       特に食品の鑑別においては、官能検査は重要かつ相当 程度に有効な方
       法である。

長い午後   下前幸一



痩せた思想を突きあわせ
長いあいだ
傾いたアパートにいた

二〇世紀の午後
大きな理想は崩れて
時代の影は頭上を行き交った

暮れかけた角部屋の
空っぽの六畳に
僕らはいた

なにもない場所に
暗い予兆が忍び寄り
尖った言葉をただ投げつけた

君が突然消えたのは
革命の方位へ
どこか深夜の地下鉄だろうか

僕はひとり
自らの暮らしに
毎日の傷を付けていた

ざわざわと耳鳴りが
アタマの中に
ひしめき騒ぎ立てていた

遠い合図を見た

沈黙に似た叫びを聞いた
二〇世紀の長い午後

透き通った空から
パラシュートがひとつ降りてくる

埋もれた記憶の
擦り傷の滲む痛みと
巡回する兵士の靴音

扉を開ければ
一九八〇年五月の
まばゆい記憶に戻れそうだけれども

海   葉陶紅子



メモリーを消去して 溶けこむ海は
灰色(グレイ)の霧に 鎖されている

時ゆけば 山とせり上ぐ海の沈黙(しじま)を
鸚鵡を肩に 墓碑銘とする

交じり合う時間は 海とせり上がり
隔壁やぶり 名を溺死さす

某年某日 刻印すべき死は
第4紀層ではなくて DNA(2重らせん)に

諾否(ウイノン)でできてる世界 蹴飛ばして
混沌(カオス)のままを 肯う目(ま)なざし

目(ま)なざしは 鉱石(いし)の線維に織り込まれ
種子と変化(へんげ)し 非在を生きる

虫や花 雲に変わっているぼくを
君はけっして 探せやしない

裸線Ⅱ   葉陶紅子



黒衣脱ぎ まだうら若き修道尼
日の移ろいを 裸身にはわす

修道尼 黒衣の下に透明な
肢体を隠す 祈りのすえに

透明な 乳房と子宮のおくは
蒼穹に星 匂やかな虚(うろ)

青き惑星(ほし)の自転を眺め 修道尼
祈り暮らして 裸線とはなる

指呼すれば 海空のあい
森羅万象(ありとあるもの) 現前さす尼(に)

匂やかに熟す 裸線の内外に
眸(め)だけとなって 遍く在る尼(に)

現在(いま)という 永遠の青の滴りを
黒衣に替えて 着飾る裸線

春の蝉   木村孝夫



春に蝉が鳴くとすれば
三月十一日なのだろう

七年前の夏は
蝉は木を登る事が出来なかった

鳴き声は弱弱しく夏を消し
木のある坂道には
蝉の亡骸が沢山落ちていた

風にカラカラと音を立て
転がり落ちていく その音は
夢の中まで入り込んできた

  *

今年の三月も
この日一日だけ春の蝉は鳴いた

幻覚ではない
鳴かなければならない理由が
この日にはあるのだ

蝉は夏に鳴く
原発震災後には
この定説が少し変わってきた

心底にある思いが
季節外れであっても強く働くのだろう

  *

春に鳴く蝉など
知らないと言う人もいるが

それでも蝉が鳴いているのだ

蝉の亡骸が鳴かせるのだろうか?
震災に対する思いなのだろうか?

この一日の為だけに

地下の蝉が眠る場所から
大地を震わせ
木々を震わせ

蘇ることのない森林
空から飛来したものに
帰ることのない魂
海底に連れ去られた者たちに

記憶の 心の
奥底に鳴り響く春の蝉

その振動を 私たちは
肌身で捉えようとする

  *

春の蝉は
今年も三月十一日に鳴いた

夏になると
蝉が競って木を登る姿を見る事が
復興の
一つの姿なのかも知れない

春に蝉が鳴く
一日だけの
鳴き声を聴き洩らしてはならない

たどり着く   加納由将



いつの間にか
この体になれて
どこまで
行けというのか
わからずに
僕は
毎日
空を見ていた気がする

生まれてから
行きたいところへは
かなりの遠回りしないと
なぜか行けなくて
遠いと思って覚悟していると
案外あっという間に
ついたりする

くるしゅーない だから生きよう   中島省吾



くるしゅーない
くるしゅーない
養護施設出身者の日根野谷さんも道で倒れて
もうすぐ終わりだから
だから生きよう
だから生きよう
言いたいこと本で書いてても
除名になった超教派の正統派のキリスト教会員などなにくそーと反対派は悲しむので
社会に嬉しいとかは言わない
流されるように生きています
くるしゅーない
くるしゅーない
社会に出ると
見えることは格差人生
女の取り合い、戦争
そして、シャッター店舗、廃墟工場、自殺
日根野谷さんも道で倒れて
もうすぐ終わりだから
人間最後死ぬので
救急車も身元引受人がいないので
お断りされて困っています
病院もクリスチャンの独身入院女性が嫌がっているから薬もらってる病院では入院拒否で
そして、他の病院は「薬もらってる病院に行け」です
そんな日根野谷さんだからあっさりと急にバッテンの日が来るかもしれません
だから生きよう
だから生きよう

引き揚げの海路   平野鈴子



終戦の年昭和二十年九月
闇船を仕立て家族六人
持ちだせる荷物を船に積み込み
釜山(プサン)を後に内地に引き揚げる
 時化(しけ)に合い六日間も馬尾藻(ほんだわら)のように
波間に漂い
小さな船は大波をかぶり
暴風雨にたえ
奇跡を祈り
般若心経を唱え続け
救命胴衣すらなく
自然の猛威にほしいままにされ
生後半年の乳飲み子に与える乳もとまり
麦飯をすりつぶし食べさせられた私
 玄界灘を抜け漂流は終わり
祖母方の実家の牛小屋が生活場所となる
牛との同居生活
郷里の茨城県結城まで種を仕入れに行き
愛媛県内をなれない種の行商をして
家族を守った職業軍人の父がいた
 闇船に乗った六人は
私ただ一人となり
世間の荒波に今身をおいている

朝の食卓に   平野鈴子



銀燐を躍らせ 回遊し
真夏のギラギラ輝く海
瀬戸内で育まれた大羽いわし
塩ゆでし乾燥させると
魚体は銀白色にかがやき
新鮮な香りをはなち
見事ないりことなる
出汁をひけばすっきり透明
品のよい味を呈し
出汁がらとはいいがたい整った体に
ふたたび命をよみがえらせる
かつお節と共に空煎りし粉末にして
酒・味淋・しょう油・砂糖・白ゴマ
で味を整える
ひと手間加えれば美味なるふりかけに変身
見かけは地味だが
味のある芸を見せてくれる名優のようだ
蓋付容器の中に
ひっそり母なる海をかかえ
朝の食卓にかれはいつも控えている

ひとつの時代   中西 衛



蒸気機関車の鳴らす警笛が
――今も耳にのこっている
星雲の一端が光芒を放っていた
終戦後の混乱時
あのとき おれたちの行く手は
明るかったのか 暗かったのか
年配者たちの後をたよりに
ひたむきに前に行くしかなかった
ひとつの時代

貨物列車は牛を運んだ
鉄鉱石を運んだ
牛は哭いた 養蜂は飛び出し
石炭は雨で濡れながら運ばれた
――貨物輸送崩壊と云う
混乱のなかにいたものには
蒸気機関車の煙にすすけた街を去り
つぎの世界へと移っていくしかなかった

大きな波にのみこまれ
幾度ラブは狂ったろう
新しい駅には花も嵐もあるさー
愛しいものは どこまでも愛しい
年配者の不思議な影は
僕らの知らないその先を
知っていないかのようだった
そして また
ひとつの時代が過ぎ去っていったのだ

シグナルは青

誰が悪いというのではない   吉田定一



すっかり忘れ去られている
忘れられているからと云って
誰が悪いというのではない

耳元で 生きていこうねと
囁き合ったこともすっかり忘れて
幸せだったことも想い出せなくて

忘れられたあなたが通り過ぎる
忘れられたわたしの胸の中を
すっかり化粧を落として歩いていく

誰が悪いというのではない
空の青さが記憶のすべてを包み隠す
過去を冷たくしているわけではない

時の蹄(ひづめ)に歩く歩みを合わして……
口を噤(つぐ)んで歩いていく
掛け違えたボタンをすべて外したいま

台風一過の朝のようなすがすがしいいのち
改めてボタンを掛け直してひとり微笑む
風が縺(もつ)れ毛をほぐしていく

――ああ 誰が悪いというのではない

何を   根本昌幸



何を
おれは書こうとしているのだろう。
実はおれ自身も分からないのだ。
書くことなど
何もない。
いや たくさんある。
あり過ぎて
分からなくなっているのだ。
ふつうの人間に
生まれていれば良いものを
何かを書く
人になってしまっていた。
馬鹿だな
馬鹿のやることだ。
馬鹿でいいかもしれないが
それだけ苦労をする。
ふつうに生きていれば
たぶん楽な生活が
出来ていたに違いない。
生意気だったばかりに
とんでもない人生を
おれは歩いていたのだ。
けれどもう遅い
遅いのだ。
悔やんでみても
この道を
行くより
何もない。
おれのような道を行くなよ。
これだけは言っておく。

杜の鹿   青山 麗



観光バスが通る道から
小さな石の橋を渡ると
そこは誰もいない夏の杜
とても市街地近くとは思えない原始林
薄闇に包まれ始めたなかを歩いていく

がさっと音がして
樹間を振り返ると
一匹の雌鹿が
円らな眼でこっちを見ていた
杜と溶け合うようなその姿
おまえは杜の使者なのか
この杜そのものなのか
遠い過去から見つめられているような
大いなるものが潜んでいるような
怖いほどに深いその瞳
漆黒の奥底から一陣の風が吹き上げてきた

系外惑星プロキシマb   清沢桂太郎



地球の周りを
月が回っている

その地球は
水星 金星 火星 木星 土星 天王星などと
太陽の周りを公転している太陽系の惑星だ

水星 金星 地球 火星は
岩石でできた岩石惑星だ

木星 土星は
ガスでできたガス惑星だ

天王星は
絶対零度に近い氷の惑星だ

太陽系に最も近い恒星は
地球からどれくらいのところにあるのだろうか

私は
超新星爆発を知った時
その爆発のすさまじさに
怯えた

太陽系に近い恒星が
超新星爆発を起こしたら
地球など太陽系が属する天の川銀河の果てまで
吹き飛ばされてしまうに違いない

それなのに
ここ二十数年の天文学者の探査によると
太陽系からわずか四・二光年のところにある
赤色矮星プロキシマ・ケンタウリの
ハビタブルゾーン*に
プロキシマbと呼ばれる系外惑星が
あることが分かった

天文学者は
プロキシマbに
生命体が存在するかもしれないとか
大気が極めて希薄な火星以外の
将来人類が移住できる最も近い星かもしれないと
強い好奇心を駆り立てられている

私は
もしも 恒星プロキシマ・ケンタウリが
超新星爆発を起こしたらと
戦々恐々としているのに




   *恒星の周りを公転している惑星上に水が液体で存在しうる領域。
    ハビタブルゾーンの内側の惑星では恒星からの高温の熱のために、
    水は水蒸気となり、外側の惑星では水は氷となる。

ふたつの名前   斗沢テルオ



親父にとって
初めての女の子だったからか
めんこくてめんこくて
妹をこう呼んだ
「めっこ」
学童期に入り自分の本名が
「京子」と知る
村の大人たちにも子どもたちにも
「めっこ」はすっかり定着していて
そのたびに
「ツガル(ちがう)じゃ! きょっこ! だ」
必死に訂正求め言い返した
その様がさらにからかいの的となり
妹はいつも泣いた
援護できなかった俺はせめて
「きょっこ泣ぐな さ 帰るべ」
と手をひいた
家ではおっ母ぁが待っていた
「きょっこ 飯(ママ) 喰(け)」
おっ母ぁはいち度も
「めっこ」と呼ばなかった

親父が事故死したあと
自然と誰も「めっこ」と呼ばなくなった

大人になった妹は
京子という自分の名前が
大好きだという
二つの名前の狭間で泣いた少女期
消えない思い出

創氏改名の歴史を知ったとき
妹の悔し涙が重なった


<PHOTO POEM>iフォンと私   長谷部圭子



夥しい灰色の人の群れ
躍動と静寂が交錯する雑踏
iフォンを片手に足早に駆けていく私
繋がりたいのは心なのに
声が心をすり抜ける
寡黙な映画の広告塔 無言の沈黙
諌めるように 私にからみつく
「お前の心はどこにある」
不安定で不確かな私を知っている
どこまでも追いかけてくる冷静な瞳
握りしめた右手 そっと見つめた
掌の上で 静かに横たわるピンク色のiフォン
今日は 休ませてあげよう
私が私らしくあるために

<PHOTO POEM>ひととき   神田小能



何やらさえずる
 声がする
時々高く笑い
  意味のわからぬ
話声 それでも
 楽しいふんいきは
こちらの想いに
  はいりこみ
嬉しい一時
   笑みこぼれ

今すぐ旅に出なければならない   山本なおこ



今すぐ旅に出なければならない
行く先は遠ければ遠いほどいい
見知らぬ国であればあるほどいい

今すぐ旅に出なければならない
いくつも列車を乗りつぎ
いくつもの街や港や沼を通り過ぎて

やがて銀色の旗雲がたなびく午後
川べりの小さな村に着いたなら
お日さまに顔をあてながら草の上に腰をおろそう

白く光る道を
よく熟れた麦のにおいがわたっていくかもしれない
今すぐ旅に出なければならない

その村には涼しいひとみの娘さんもいて
家いえの庭先には
あらせいとうやひなげしの花も咲いているだろう

そのわきを子どもたちが走り抜けていく
手に手に網や竿をもって
元気のよい声で呼びあいながら

夕方になれば行きあう人ごとに美しい言葉がかわされ
一日働いて
人もろばも快く疲れうっとり眠りにつくのだ

今すぐ旅に出なければならない
読みかけの本はそのままふせておけばいい
約束は延期するだけだ

今すぐ旅に出なければならない
キャラバンシューズをはいて
ぱたんと扉をしめたなら

執着   ハラキン



石膏で固められるように 人類は執着に固められる。無
一物でいようとしても 許されない。スポーツカーの
ヘッドライトの丸目 など気がつけば執着のただなかに
いる。電車の吊り革につかまっていたら 俺の正面の座
席にすわっている何ものかが俺を見上げて睨んでいた。
目が合ってもあわてて逸らそうともせず 漆黒のふし穴
のようなまなざしで睨み 右手を上げ振り下ろした。そ
の刹那 俺は漆黒のブラックホールに激しく吸い込まれ
るように気絶した。
闇の世界にいた。何も見えないはずなのに あの何もの
かだけは ほんのりと見え 俺に話しかけた ことばで
ではなく。わたしは執着であるという。闇の世界じゅう
にわたしは夥しく棲んでおり 地上に出向いて 人類が
執着するように導いているという。

  問う
  「なにを成立条件として生存があるのだろうか」
  答える
  「執着を成立条件として生存がある」

  問う
  「なにを成立条件として執着があるのだろうか」
  答える
  「渇愛を成立条件として執着がある」

いきなり意識が吹きかえしたかのように 俺はどこかの
街の暁闇を歩いていた。ふいに電柱の陰から何ものかが
姿を見せた。俺をひたすら待っていた表情で。またして
も執着の化身かと思ったがもっとなまめかしいもの。獣
臭い。息も荒く わたしは渇愛であるという。執着より
もいちだんと手ごわいやつが現れた。


取材せよ   ハラキン



 眩暈のなかを 鉄道のトンネルのような時空を抜ける
と ジェータ林が広がった。ブッダの気配がする。数千
年に一度のまみえるチャンスかもしれない。そのとき 
なにものかが 夜のジェータ林をあまねく照らして ノ
ンフィクションの一幕が開けた。やはり瞑想するブッダ
が照らし出された。自らが光源である麗しい神(但し造
物主ではない)が ブッダのもとにおもむいた。近づい
て ブッダに挨拶し かたわらに立った。見のがすな 
聴きのがすな 取材せよ。「ゴータマよ きみは激流を
どう渡ったのか」と神は質問した。「立ちとどまること
なく あがくことなしに 激流を渡った」とブッダは答
えた。さらにいくばくかのやりとりを交わしてのち 神
はブッダに挨拶し 右まわりの礼をして 消え失せた。
さあ おまえの番だ。ブッダにいっそう取材せよ。
 歴史上のあらゆる出来事は 過去の出来事にあらず。
終わっていない。測り知れない時空の 一枚一枚の襞で
は 出来事がいままさに起りつつある。取材せよ。
 悪魔・悪しき者があらわれた。彼はブッダが心で思わ
れたことを感知して ブッダのところにおもむき 近づ
いてから 必ず詩を以て語りかける。見のがすな 聴き
のがすな 取材せよ。「子ある者は子について喜び 牛
ある者は牛について喜ぶ 人間の喜びは執着のよりどこ
ろによって起こる…」などと。これを受け ブッダは悪
魔・悪しき者に詩を以て論破する。「子ある者は子につ
いて憂い 牛ある者は牛について憂う 執着のよりどこ
ろのない人は 憂うることがない」と。このたびも悪
魔・悪しき者は打ち萎れ 憂いに沈み 消え失せた。さ
あ おまえの番だ。ブッダの口もとにマイクを向けよ。

吐露   ハラキン




生物とかけ離れた 幾何学的材木になるために我々は生
まれたのでない。樹木の精が現れて 静かに吐露した。
移動せず 山野の定点で思考しつづけるとされる樹木は 
あきらかに生き物なのに 人類はこのことをよく忘れる。
ひそやかな空間の 暗いスポットライトに浮かびあがる
樹木の精は吐露を続けた。材木屋には我々の夥しい死体
がさまざまに整形されて 買い手を待っている。わたし
は一千年にわたってじっと生きてきたが 或る朝ふいに
斧を打ちこまれ 刃先がわたしの体幹に達した刹那に意
識が絶えた。水平 垂直 生体の曲線にかまわず 水平 
垂直。
「材木はやはり殺生と言わざるを得ない」。
さらに静かな抗議を最後に 樹木の精は忽然と掻き消え
た。


おれは名高い古寺の山門のわきに巣を張った大蜘蛛だっ
た。ひそやかな空間に 大蜘蛛の霊が現れた。毒々しい
色彩が霊として色褪せたすがたで。山門のわきの否応無
しに目立つところのはずだったが あっ でっかい毒蜘
蛛 こんなところに巣を張って まるで仁王様じゃない
か。などとおれを愛でる観光客はついにいなかった。
「注目されない落胆のなかでおれは死んだ」。
吐露が終わるまもなく大蜘蛛の霊は忽然と掻き消えた。


絶対に捕まるはずがないと思っていた。銀行から出てき
た金持ちのじいさんが人のいない場所まで歩くのを待っ
てクルマに放り込み 現金とカードを奪い 首を絞めて
深夜の山奥に捨てる―。完全犯罪の自信があった。ひそ
やかな空間に 死刑を執行された男の霊が現れた。中学
校の教師として 真面目で教育熱心だと評価されていた
男。
「完全犯罪だと驕る心理の傍らに 轟然と内省の念がた
ぎってきて 私はなんと愚者だったのかと 最後は全き
自己否定ができた」。
吐露が終わるやいなや 黒いスーツの獄卒たちがぐわら
んと現れ 男の霊をひっ捕らえたと思いきや 獄卒たち
も男の霊も忽然と掻き消えた。