165号 現代の「荒地」
165号 現代の「荒地」
- 鱒の影 以倉紘平
- 神島 北川朱実
- カーナビ 木村孝夫
- 待ち人 吉田定一
- 朝の峡谷をゆく 斉藤明典
- 産土(うぶすな)に吹く風 佐古祐二
- 昇る 高丸もと子
- 花冷え 高丸もと子
- 共生 ハラキン
- 亜実在 ハラキン
- 断片 ハラキン
- 回し車 藤谷恵一郎
- 震災 ――白い道 藤谷恵一郎
- 日月 根本昌幸
- 田んぼ 田島廣子
- 分岐点 加納由将
- 遠い日の二人 原 和子
- 梅雨のボサノバ 原 和子
- 葉っぱのお手紙 水崎野里子
- 薔薇色の人生 ―― La vie en rose 水崎野里子
- 雲 水崎野里子
- 男と女 Un homme et une femme 葉陶紅子
- 仮面舞踏会 Masquerade Ball 葉陶紅子
- 空(くう)についての覚書 清沢桂太郎
- 木造駅舎の夏 晴 静
- 胸の内 秋野光子
- 混(ま)ざってる 秋野光子
- <PHOTO POEM> 花 左子真由美
- 塔 青山 麗
- 実りの秋か 神田好能
- 小詩篇「花屑」その10 梶谷忠大
- 稀勢の里 あっぱれ 丸山 榮
- いつのまにか雨が 下前幸一
- 夕暮れ 山本なおこ
- 桜の空 瑞木よう
- TICK TICK TICK もりたひらく
鱒の影 以倉紘平
家々の空に はためく鯉のぼり
どこからか子供たちの歓声が聞こえてくる
商店街 郵便局 神社 お寺 森 よく耕された田畑
花の咲く駅
列車
海岸線
山また山の峡谷
スコール
虹
ますます鮮明に見えてくる日本人の心のふるさとよ
懸命に生きてきた父よ 母よ
うみやまの精霊になった
名もなきはらからよ
残してきた地方をこころに
にぎやかに淋しく都市生活を送っている私
まぼろしの川の瀬音が日々高くなって
〈火のカーブ〉(*)を描いて
永遠に消え去る束の間の人間存在が ますます謎めいて
見えてくるのはどういうわけだろう
市場から帰るスカーフの女 流木に足かけてタバコを吸う男たち
どこの港町だったろう
土地の名 山の名 海の名 川の名
万象の名から
たちのぼってくる讃歌 日本よ
わが存在の源よ
家々の空に はためく鯉のぼり
花の咲く駅
鉄路
空
海岸線
山また山の溪谷
スコール
虹
我が愛する女(ひと)の気配に似て
美しき清流の鱒の影
*V・ジャンケレヴィッチ『死』
神島 北川朱実
三島由起夫、
というたびに島の人は
めまいがする、といった
漁師は
タコ壺の中の
やわらかいものを数え
鮮やかな航跡を引いて
漁に出る
夢の遠近
時は
止まる直前の流れ方をして
午後の岸壁で
折りたたみ椅子にすわり
海風にふかれていると
体が
干物のように反転する
日暮れて
帰りの船に乗り込んだ
桟橋を
旅館の少女が声を上げ
いっしんに手を振って駆けてくる
語りたい物語が
まだあるのだろう
別れるためにだけ
一緒にいた夏
体じゅうを潮騒でいっぱいにして
カーナビ 木村孝夫
カーナビから元気な声が消えてしまった
東日本大震災時の大津波により
被害を被った場所に来ると
復興前の道順でしか案内できないのだ
だからその場所に来ると
記憶の道順をくるくると回るしかない
覚えていたものが大きく変わってしまった
その海岸線にあったものは
根こそぎ流されて傷つき痛みだけが残っている
ブルドーザーが
その大地を削り均しているのだが
まだその痛みの中だ
どこまで削り取ればいいのか
もう一度立ち上がる為には
その痛みを早く立ち切らなければならない
カーナビの声が元気になれないでいる
防潮堤の高さは七メートルを超えた
斜めの角度から見ると
刑務所の塀のようだといった人がいる
その人は
見てはならない角度から防潮堤を見たのだ
震災後には
そんな角度があちらこちらにある
だからどんなに小さなものでも
ぽとりと落とす言葉には配慮が必要なのだ
カーナビは同じ場所をくるくると回っているが
疲れたとは言わない
カーナビの頑固さが救いだ
待ち人 吉田定一
改札口に近い終着駅のホームで 懐かしい人
と待合せをしている。電車が着くと 人の波
が寄せてくる。目で待ち人を探すが 人の波
に飲み込まれて 俺は波に流されるばかりだ。
まもなく さっと人波は引いていく…。その
跡に 砂浜に残された小石のように ひとり
自分が取り残される。今日も君を片待つが来
たらず…。喫(す)いかけるPeaceを元の箱に戻す。
ああ、かつてこんなこともあったなと 記憶
の残像を引き裂き コートの襟を立て 改札
口を通り過ぎるが いまも置き忘れられたよ
うにしてある 遠き 若き日のにがい時間を
ホームの椅子(ベンチ)に眺める…。
すると何処からともなく 終わりのない終わ
りの序章のように ホレス=シルバーの弾(ひ)く
ジャズピアノ曲Lonely Womanが鳴り響き
美しい夕暮れ時の砂浜に俺を メランコリッ
クに佇ませる……。
はっと吾に返る。砂浜にいるわけがない。だ
が どんなところに在(い)っても ひとは自分で
自分を物語るその物語の中に佇ませる。今の
自分を確かめるようにして…。
(後を振り返っても 誰もいない。風がさっ
と 物語を花びらのように散らして あわい
時間の彼方へと 素知らぬ顔して通り過ぎて
いく。)
Horace Silver ソウル・ジャズを代表するジャズ・ピアニスト。
ソウル・ジャズ(ファンキー・ジャズ)は、ブルースやゴスペルの
影響を受け、1950年代末から60年代に流行した。ホレス=
シルバーが1962年1月に来日し、大阪フェスティバルホール
で恋人と聞いた。かの演奏が、今も記憶の淵を仄かに彩る。
朝の峡谷をゆく 斉藤明典
そびえ立つ秋の錦の山が
朝日に輝いている
険しい縦の襞の岩の壁
谷間を流れる黒部川
白い小石の洲 浅瀬を過ぎ
深みは エメラルドグリーンに
ほら! 先頭の機関車が見える
大きく弧を描いて
トロッコ電車がゆく
車内アナウンスが流れて知る
「猿橋」や「仏岩」や
「冬期歩道」古い「水道橋」
終点は欅平駅
その先にある仙人谷ダムの
歴史については語られず
むかし 人はこの谷に仙人を見た
そこに近代の技術が入った
今から80年前のことだ
国家総動員法のもとに
戦争の遂行を担わされ
多くの作業員が働いた
資材運搬のためのトンネル
それは「高熱隧道」だった
120℃の岩盤にダイナマイトが自然発火
不可能と言われていた越冬作業
これを強行 雪崩が襲いかかる
あまりにも多い犠牲者 さすがに
警察も工事の中止命令を出すが
従わず 無視して続け
目的を「達成」した
産土(うぶすな)に吹く風 佐古祐二
湖水のかすかなゆらめき
静かな朝のきらめき
透きとおったcapsule(カプセル)
小さな
それはそれは
目に見えないくらい小さな
capsuleに
封じ込められた
水と
土と
樹木
の気配
風が運び
頬に当たって
はじける
風のにおい
ひとは 夢のように
いつともどことも知れないところに
運ばれて
―― 理屈を超えて結びつく
それは産土に還ってゆくということ
昇る 高丸もと子
時々椅子を持ってきたり
抱っこされたりして
洗面所の鏡の中をのぞいていた
汚しては洗う毎日の繰り返しのなかで
ほんの少しずつ
彼女は昇りはじめた
産み落ちる時と同じ順序で
まず髪がのぞき
つぎに頭の形が見え始め
ようやく目が昇ってきたとき
自分を見つめている目のあることを知った
口が現れたとき
自分に微笑んでみることを知った
いつの間にか
胸元近くまで昇ってきている
髪の毛を梳かしながら
屈託なく笑っている彼女に
日没などあるのだろうか
今日も気づかずに昇っていく
彼女の朝は
やっぱり明るい
花冷え 高丸もと子
中年の男性がホームから線路に落ちた
駆け付けた駅員三人に抱えあげられた
そばにいた人たちは貧血だとわかると
石に躓いた人でも見るような眼差しを残して
次に来た電車に乗って行った
毛布を掛けられた男性の周りには
人垣ができはじめた
救急車のサイレンが近づくにつれ
どうやらその男性は
自殺未遂にされてしまっているらしい
真実はすでに数分間で隠されてしまう
しかしあの瞬間
特急電車が通過していれば
隠されたままで真実がつくられていく
月が出ている
花冷えがする
共生 ハラキン
はかりしれない遠い昔の未明 大きなシダ植物の下で ブッダが
瞑想していた。ゴータマ・ブッダよりはるかな過去仏 おそらく
ヴィパシン・ブッダであろう。そのそばに 白い装束で髪をみずら
に結った男子が 舞踏しながら忽然とあらわれた。おそらく神代の
神であろう。瞑想しているブッダに恭しく季節のあいさつを述べ
かたわらにすわり 教えを乞うた。ブッダは獅子のように説法をは
じめた。このふたりを食らおうとして 極端に前傾して走る肉食恐
竜がやってきた。白亜紀の名高いティラノサウルスであろうか。食
らおうとするが ヴィパシン・ブッダの強大な神通力で身じろぎす
らできない。
「ヴィパシン・ブッダも神代の神も 人類の反映ではないか。白亜
紀に人類などいるわけがない」。
「進化論は真実として確定してはいない。過去荘厳劫にあらわれた
とされるヴィパシン・ブッダも 国生みのころの神代の神も 進化
論では語れない」。
そうして白昼になり ブッダの慈悲の神通力を浴びつづけ ブッ
ダと神代の神に好感を抱いたティラノサウルスは ふたりのそばで
戯れ 神代の神は ブッダの教えに歓喜し次いで全きさとりをひら
いた 神の仲間の神が二人三人とふえ 舞踏していた。こうした情
景を祝福するかのように はるか彼方の火山は大噴火した。このは
かりしれない遠い昔の記録は インドにもチベットにも残されてお
らず 言い伝えの片鱗すら無い。
亜実在 ハラキン
剥がれたり 色褪せたり かすれたり 消えかけたり 紛れたり
といった様態で生きていく世界のことを考えている。いわば亜実在
が展開しているいずこか。
いにしえの絹本着色の女人像がある。ひたいや頬 目もと口もと
などが剥がれ 色褪せ かすれ 消えかけ 紛れていて 逆に地の
絹本があらわになっている。何かを捧げ持っていると思われる両手
はほぼ消え失せ 逆に絹本のウラ世界のなわばりで両手はあざやか
に息づいているのだろう。
絹本着色の僧形。千年の経年劣化がはぐくんだ亜実在に坐りつづ
けている。数えきれない宇宙のなかのひとつにすぎない銀河系宇宙
の 数えきれない世界のなかのひとつにすぎないサハー世界に生き
る俗形の俺が この絹本世界に いま迷い込んだ。
女人が立っていた。もはや表情はわからないが 笑い声がかすか
に聞こえた。サハー世界と音声は同じなのかもしれない。俺に気づ
いたのか気づかないのか ここの住人は姿形だけでなく反応すら
はっきりしない。俺の姿形はどうか。俺の足元は色褪せるどころか
消えかかっていた。まるで幽霊ではないか。僧形が樹下で趺坐して
いた。まさに高い境地に入っているらしく 俺にまったく反応しな
い。顔というものは消えやすいのかすでに霧のように霞んでおり
たぶんウラの世界と跨っているのだろう。
「旅の人よ あなたはいずこから来たのか」。周囲とほぼ同化した
老婆に訊かれた。此処に迷い込んでから意識が漠然としている。
ちょうどサハー世界の夜に見る夢のような。俺というものが漠然と
している。自我というものが 剥がれたり 色褪せたり かすれた
り 消えかけたり 紛れたり。此処は明るくはないが暗くもない。
空には太陽が見あたらない。夜はあるが星はない。
「輪郭もなく鮮明もなく明快もない」。
剥がれ 色褪せ かすれ 消えかけ 紛れる亜実在に どうか祝
福を。
断片 ハラキン
断片だけになった
もう全体は無い
目も鼻も口も断片にされて
いろんな角度から見える
目や鼻や口をつけられた
キュービズムの女
多情な男の
こころを解剖したらどうせ
口説き文句の断片が
詰まって腐敗していることだろう
デジタル思想が世を支配して
死んだ歌手も断片になり
若い断片も晩年の断片も
共生できるようになった
菩薩形の左腕とか薬師如来の両手先とか
十一面観音の大笑面だけとか
如来頭部残欠とか宝冠残欠とか
千年の断片よ
それでも修行僧たちは
師の教えの断片を持ちよって
私はこのように聞いたと
教えの全体を復元していったのだ
俺はというと
夜明けの窓の断片や正午の空の断片を
天界から買って
真理の歌をつくろうとしたのだ
もう全体はいらない
断片だけで行こう
回し車 藤谷恵一郎
あなたがいるのなら
この世に
悲惨と酷さが溢れているのは
なぜなのでしょうか
あなたがいないのなら
悲惨さと酷さに翻弄され
命を奪われる
無垢な命にとって
無実な命にとって
この世とは
なんなのでしょうか
私は回し車のラビット
いつしか見世物小屋に
震災 ―― 白い道 藤谷恵一郎
もし あの時へ戻れるなら
唇のパン屑に気づかぬまま
突然婦人は語り始めた
もし あの時へ戻れるなら
駅へ向かう私に手を振る息子を
いっぱいに抱きしめ
私の背後に
どこまでも どこまでも
白い道が延び
空へと繋がるまで
そうしているだろうに
日月 根本昌幸
今、しみじみと思う
日月の速さを。
若い頃はそんなことは
感じなかった。
しかし 昔も今も
日月は同じ速さで
過ぎて行くのだ。
突然速くなったり
遅くなったりはしない。
詩を書いて生きている。
はたしてこれが詩なのだろうか と
ふと思う。
詩を書くことは
恥をかくこと。
よくも長い日月を
こんな繰返しを
してきたものだ。
飽きもせずに。
もう とうの昔に
女には飽きてしまったのに。
これからの日々を思う。
これからは何に惚れて。
何をして。
生きて行けばいいのだろう。
行き先はだんだん
短くなってゆくばかりだ。
田んぼ 田島廣子
政府は 米の作りすぎと
休耕田にさせ 百姓に金を握らせた
百姓の手 足が 入らなくなった田んぼは
指も 入らなくなり
振り上げた鍬も 刃がたたない
石になった
苔のようなものが うっすら 涙のよう
田んぼは 死んでいった
田んぼの雀おどし
ピカピカ光る金のテープ
ガン ガン ドラム缶をたたく音
百姓さんの姿をした 案山子がない
今 何か 変
鳥たちが いない
ばった カエル とんぼ 蛍がいない
美味しい 米はどこに いった
福島の米つくりの新婚さん
放射能測定 米を買ってくれる人もなく
遺書をのこし 自殺した
百姓さんたちは
七十 八十歳 曲がった腰 膝を伸ばし
太陽と空を 見つめていた
黄金色の稲穂の実り 青い空に浮かべながら
手を 合わせた
分岐点 加納由将
あれはちょうど小学六年の秋ごろだったか、
硝子戸を閉めてスーパーボールを投げて縁
側で遊んでいた。ただただ弱い力でも跳ね
返ってくるのが面白くて一年ぐらいは続け
ていた遊びだった。何時間経っただろう、
ふと見ると同級生の女の子が立っていた。
黙ったまま硝子戸の向こうから見つめてい
た。僕が気付くと笑って入ってきてボール
を一緒に片づけてくれた。いつからいたの
かわからなかったが、あえて聞かなかった。
遠い日の二人 原 和子
―ハモニカは 風によく乗るんだねぇ
―そうよ だって
ハモニカは 風なんだもの
以前 このあたりにも
大きな団地が 建ち始めた頃
建築現場の横の空地に
そこで働く人たちの
プレハブの 宿舎があった
夜更け 風にさそわれて
遠い ハモニカの唄が流れてくる
浜辺のうた
月の砂漠
宵待草
みんな懐かしい唄ばかり
一日のきつい労働を終えて
ほっとした若者が
ふるさとを想って
窓辺で吹いているのだろうか
今夜は なんの唄かしら
手を止めて
耳をすます
広いバス道路を はさんで
その向かい側に
ある銀行の
四階建ての 立派な独身寮があった
休日の昼下がり
晴れた日の屋上で 山に向かって
クラリネットを吹きならす 若者がいた
夕陽色のジャケットが
ちらりと見えただけだった
なんの曲か さっぱり私には分からない
―クラリネットも
やっぱり風なんだろうか
いいや 違う
クラリネットは 風なんかじゃない
無断で心の奥にすべり込んできて
何十年も蓋をしていた 切ないものを
揺さぶっては 出ていく
サーカスのジンタ
大人か子供か分からなかった 道化者のピエロ
淋しい目をした動物たち
その悩ましい音色は
私の胸を通り抜け
山裾の あわい稜線のところまで
平凡で多忙な日常の繰りかえしのなか
会ったこともない二人の若者に 私は
ひそかな想いを寄せていた
だれも知らない 小さな喜びを
いつも エプロンのポケットに
しのばせているような
やがて 幾棟かの白亜の建物が建って
団地は完成した
あっという間に
プレハブは取り払われて
もとのまんまの さびれた空地に
ゆがんだ水道管が 一本
水滴をしたたらせていた
同じ頃
クラリネットもばったり 消えた
あのひともまた
転勤で どこかへ行ってしまったのだろう
梅雨のボサノバ 原 和子
梅雨の 午後は
ボサノバ
まの抜けたみたいな
ゆるゆるのリズムには
ビターのきいた ビールがいいね
ああ そんなこと言ってた あのひと
あっけなく どっかへ消えた
黒いベレー 青いベレー
この世に いっしょにいても
たまにしか 会えなかったけれど
思いだすってことは
やっぱり 電波
音を小さくして
ボサノバ
錆びた 脳細胞に
アカプルコの別れの唄は
ボンゴ
なんて さみしい
なんて ゆっくりはずんで
なんてゆっくり 懐かしいの
もっと さみしくさせて ボンゴ
知らない 南の国の言葉で
ヒソヒソ
けだるい恋の
耳うちしてる
雨がはげしくなった
日が昏れるよ
ボンゴ
葉っぱのお手紙 水崎野里子
季節のご挨拶を
送ります
あなたに
春には
たんぽぽの葉っぱ
夏には
ダリアの葉
秋には
銀杏の葉っぱ
冬には
掃きだめの
皺くちゃ落ち葉
わたしの
ひそかな ラブレター
たくさん送ります
毎日送ります
返事のない
あなたに
涙と
愛を込めて
葉っぱは飛んでゆく
青い鳥
羽ばたきます
涙にかすんだ文字が
返事のない
あなたへ
遠い 遠い
思い出の
ために
かしこ
薔薇色の人生 ―― La vie en rose 水崎野里子
あなたがいれば
人生は薔薇色
私は塗る
崩れた壁を薔薇色に
私は歩く
薔薇色の道
私は旅をする
薔薇色の街
私はくしゃみをする
薔薇色のくしゃみ
雨が降る
雨は薔薇色
風が吹く
薔薇色の風
そんなあなたに
私は逢った
それはきっと
神さまのおかげ
私のお祈り
薔薇色の息です
ふたりで潜む
おうちは薔薇色
愛を
愛があれば
人生は薔薇色
あなたと一緒
世界は薔薇色
雲 水崎野里子
遠いあの日に ひとり
見上げた 雲
今 思い出す
今 あなたと一緒に見上げたい
棚引く雲 夕陽に燃える雲
朝日をほんわり 包む雲
大空のドレスの模様
どこまでも広がる
軽やかな 薄衣
私は乙姫
あなたは仙人
二人で 雲を着ます
男と女 Un homme et une femme 葉陶紅子
咲きつづけ花のいのちよ 時を産むと
吠える男(お)のこの 重み量りて
男(お)のこらよ 脚広げ下腹にのるも
おみな子孕むは 神のみ業ぞ
女(め)が膚の起伏を撫でる 指に洩る
声音は 男ならず神の属格
女(め)がなかにつき入る男(お)のこ 宇宙(コスモス)の
無窮を知らず 盲いた獣
女(め)がなかの宇宙(コスモス)にこそ 死と生の
パピルスは在る 虹たつ岸に
洪水は人類の礎(もと) 女(め)がなかに
溢れさせませ たぎる男(お)のこよ
悠久の「時」の螺旋の 連環に
つながる裸線 男(お)の蕩尽で
仮面舞踏会 Masquerade Ball 葉陶紅子
カーテン越し 裸身に着けるペティコート
生まれ変わらん 影は匂える
仮面着け 双翅生やして着飾れる
今宵ロココの 貴人とならん
幾つもの顔持つ 神の如くにか
賑わい生きよ 浅き夢ゆえ
夜の霧立ち込める 石畳の上(へ)
角を生やした 影は乱舞す
高き頬紅に染めしが そのひと夜
長きひと世と 汝れは知りしや
宴絶えて鏡覗けば 汝が顔は
外せぬ仮面 他人の顔の
罪人も聖人も 自己(おのれ)も他人(ひと)も
賑わう惑星(ほし)の 絡繰り人形
空(くう)についての覚書 清沢桂太郎
観自在菩薩 行深般若波羅密多時
(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ)
照見五薀皆空 度一切苦厄
(しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく)
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
(しゃりし しきふいくう くうふいしき しくそくぜくう くうそくぜしき)
受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)・・・と私は唱える
般若心経は
この世の実相は空であると識(し)れば
人生の全ての苦しみや悲しみや迷いは和らぐと
教える
そして何物にもとらわれない
人生が送れるようになると説く
◇ ◇
初々しい乙女はやがて艶やかな女性となり
結婚をして 子を産み 老いて 死ぬ
私も
◇ ◇
天に輝く星々は
今から百三十八億年前
物質も空間も時間さえもない
真空の無の揺らぎ(*1)の中で
ビッグバンによって生まれた
ビッグバンの温度は十の三十二乗ケルビン(*2)という
常識では考えられないほどの高温であった
ビッグバンの最初の三分間は
宇宙は粒子と反粒子で満たされていた
十五分後には
光子 電子 陽子(水素の原子核)
中性子 ヘリウムの原子核(陽子と中性子からなる)
が高温のプラズマ状態で存在した
三十万年後 宇宙の温度は四千ケルビンまで低下し
電子が陽電荷を持った原子核にとらえられて
水素原子とヘリウム原子が生成した
宇宙空間の中で
この水素原子やヘリウム原子を中心とする
ガスや塵などの星間物質の分布に
揺らぎが生じて 密度の高い部分に
重力で一層多くの水素原子やヘリウム原子や塵が
集まって 星の中心が形成され 収縮して
再び しだいに高温となり
一千万ケルビンを超えた時
最も軽い水素が核融合を始めて
宇宙で最初の星として輝きだして
多量のヘリウムが生成した
ビッグバン後の宇宙では
多数の星が誕生した
その星が太陽よりも重ければ
中心部は一億ケルビンにも達し
ヘリウムが核融合を始めて
水素やヘリウムよりも重い
炭素や窒素や酸素が生成し
さらにネオンやマグネシウムやケイ素や
カルシウムなどが生成した
しかし これらの星は
やがて超新星爆発で死んで
その星の中で生成した
いろいろな多量の元素を
真空の宇宙空間にばらまいた
私たちの太陽系は
ビッグバンの九十二、三億年後の四十五、六億年前に
ビッグバン後の早い時期に生成した星々が
超新星爆発で死んでいったときに
放出した元素がもとになって誕生した
そして この地球上に
原始地球誕生から約十億年経った
三十五、六億年前に生命が誕生し
いろいろなバクテリアや植物や動物に進化して
今 乙女や私は生きている
この地球上に生まれた乙女や私は
成長し子孫を産み老いて死んでゆく
そして
火葬場で焼かれて
水蒸気や炭酸ガスや酸化窒素やカルシウムの
化合物に分解される
地球は今から百億年のうちには
膨張してくる太陽の高温で
場合によっては その太陽に飲み込まれて
乙女や私や地球上のあらゆる存在が
水素や炭素や窒素や酸素や
カルシウムなどの原子や
素粒子にまで還元される
その太陽も
永遠の存在ではなくて
寿命があり 宇宙の中で消滅してゆく
そして宇宙空間で分子 原子 素粒子にまで
還元された乙女や私は
数億年数十億年という
長い時間の経過の中で
天体同士の衝突という極めて偶然な現象を含む
一定の天文学的条件と
物理学的条件と化学的条件と
生物学的条件が満たされた
地球に似た新しい星の上で
再び新しい生命となる
乙女や私を含めた
宇宙の全てのものは
真空の無の揺らぎから生まれ
実在しながらも
一定不変ではなく
常に消滅生成を繰り返し
変化している
◇ ◇
名誉も名声もいつかは消えるものだと知ると
嫉妬も 執着することもなくなる
名誉名声なんて何だ
無名で生きて死んでもよい
初々しい乙女も才色兼備の艶めいた女性も
いつかは老いることを知ればよい
片思いなんて何だ
失恋なんて何だ
それでもこの世の中には
名誉や名声があることを知らなければいけない
それでも初々しい乙女や
才色兼備の艶めいた女性には
心が惹かれることを認めなければいけない
◇ ◇
誰かが言った
空とは
かたよらないこころ
こだわらないこころ
とらわれないこころ(*3)
*1 ビッグバン以前の真空の揺らぎは、時間の揺らぎであって、その
時間の揺らぎが極めて小さくなった瞬間に、不確定性原理で、巨
大なエネルギーの揺らぎ、ビッグバンが起きた可能性がある。
*2 ケルビン:絶対温度の単位。水は二七三ケルビン(セ氏〇度)で凍り、
三七三ケルビン(セ氏一〇〇度)で沸騰する。
*3 薬師寺(奈良市西ノ京)からのハガキより。
参考資料:沼澤茂美・脇屋奈々代『宇宙』(成美堂出版 二〇一二年)
木造駅舎の夏 晴 静
レールが続いています
ピカピカに光って続いています
トンネルの方まで続いています
抜け殻が鈍く光っています
じっとしたまま動きません
ピクリとも動きません
蝉が啼いています
狂おしく啼いています
啼いて啼いて押し寄せています
影が薄くなり始めています
影が長くなり始めています
トンネルの方まで続いています
列車が見えています
茜色に見えています
トンネルに吸い寄せられています
風が吹いてきました
裏の山から吹いてきました
汗を連れていきました
夏がもうすぐ過ぎ行きます
胸の内 秋野光子
大きな大きな 穴の囲(まわ)りを
歩きながら 時を刻んでゆく
温室の中に居るような
陽差しを浴び 風も見え 雨も感じ
一年中 同じ温度に 空調されている中で
ゆるやかに歩いている
暑くも寒くも 感じないので
フト そばにある穴を見ては
孤独の闇に 目を落とす
深い深い 暗がりに
引きこまれそうになっては
ぼんやりと踏み留まる
落ちてゆく実感は ないけれど
そばにある穴の存在は
いつも気になる
無意識のうちに
身体が震えるような
寂寞に襲われる
はっきりと
認識は出来ないが
身体の中に
胸の真ん中にある 孤独の穴
混(ま)ざってる 秋野光子
チャッカリ と
すました顔して
当たり前のように
その列に混ざって
コウノトリと同じように
首を伸ばして 羽根を広げて
コウノトリの餌を食べ
見物客の前で ゆうゆうとしている
白いサギと青いサギが 何羽も居る
山間部の広い空間に
造られた コウノトリ公園に
ドジョウや 食用になるいろんな
生き物の住む田圃(たんぼ)や
三ツの小池に サギが居る
平気な顔をして 居る
飼育されている コウノトリは
羽根が切られていて
この公園からは 飛び出せない
青サギや白サギは
好きなように勝手に飛びまわり
夜は山上の大木の上で 眠る
時々 野生になったコウノトリも
餌だけ食べに来て
自由に 羽ばたいて行く
あっ サギや!!
ほんまに こんな人も居るよね
<PHOTO POEM>
花 左子真由美
ひらく
とは
ほころぶ
こと
それは
ほろぶこと
に
すこしちかい
ひらけ
よ
ほろび
よ
たまゆらの
いのちをかけて
はな
塔 青山 麗
天と地のはざまに
屹立する五重塔
なぜそんなに高いのか
古代には七重
九重の塔もあったという
塔は本来
墓だったというが
地中へとは向かわず
虚空へ
遥かな天上界へとのびていった
あの空の向こうには何がある?
天を突くような塔からは
千数百年前を生きた人たちの
そんな素朴な問いさえ
聞こえてきそうだ
命は限りあると
虚しくなったとき
人は天空へと向かった
天と地をつなごうと
必死に万の部材を積み重ねた
こころよ
永遠に
そう願いながら迎える今宵
五重塔に降ってくるような星々が
無限の宇宙との融合を約束してくれる
実りの秋か 神田好能
散歩している時
夕陽に光る
丸いモモを見つけた
かお見知りの人が
木のまわりを
やさしい手付きで
ふりはらっている姿
あ・・・美しい手が
ゆらりと見えた時
小さい
可愛い丸い実が光った
おいしそうに光った
名も知らぬ丸い実
ふっ、とふれてみる
おっとふれた指は
もう小さい実をとった
ぽんと口に
ほりこんだ時
横で
あっと声がしたが
小さい丸い実は知らぬ気に
甘く口の中でとけた
子供のような笑い声が
はじけた
たのしい声だった
小詩篇「花屑」その10 梶谷忠大
沈丁花(じんちやうげ)
春は疾うに立つたのに
沈丁花は待つてゐた
沈丁花は怺へてゐた
何を待つてゐるのか
何を怺へてゐるのか
まん丸くみえる沈丁の木がある
いくつかの小枝のさきの花柄には
じゆういち枚の緑のうてなと
じゆういち筒の深紅のつぼみが
ひとかたまりで着いてゐる
その花つぼみのかたまりが
ひともとの沈丁の木に天球のやうに花序を成してゐる
陽のひかりといふより
陽の温もりをむさぼりながら
沈丁花のつぼみはふくらみ
ふくらんだ臨界ではじけ
深紅のつぼみは白つぽいはなびらを見せるのだ
冴返る日を怺へ
凍返る日を怺へ
風花の舞ふ日を見送つた
三寒四温 それははるかな
はるかな時代の悠長な按配だ
沈丁花は怺へてゐた
つぼみを裂いて蕊をさらすことを
花弁をひらいて媚びることを
丁香を放つて誑かすことを
それは魂につないで死を覚悟することであるから
それは命のカウントを始めることだから
陽の温みを吸いながら
その日を待ちながら
沈丁花の深紅のつぼみは
怺へてゐた
義母を悼む 梶谷予人
背の曲がる媼を越ゆる夏あざみ
草刈れば汗滂沱の妣逝きたまふ
鬼界より衣子妣降らす虎が雨
聟殿と天に呼ぶ声片白草
月涼し黄泉路に杖は要るまいか
俳誌「獅林」の創始者、禅僧で俳人であった
遠山麦浪の長女家永衣子は、百二歳の俳人生を
全うした。
病室の窓に不屈の若葉あり 衣子
稀勢の里 あっぱれ 丸山 榮
つらかっただろうな 稀勢の里
何度も 何度も 挑戦し
何度も 何度も 夢やぶれ
よくぞ くじけず 頑張った
モンゴル モンゴル モンゴル モンゴルと
19年の 長きにわたり
日本横綱 いなかった
やっと 手にした 稀勢の里
日本中から お祝いの 狼煙のような 雄叫びが
稀勢の里めがけて とんできた
ウォー ウォー ウォー と
ただひたすらに 相撲道に つきすすむ
15で決めた 相撲の世界
親孝行を 胸に秘め
すくっと立つは 日本横綱 稀勢の里
いつのまにか雨が 下前幸一
二月の早朝
闇の寝床にふと目覚め
わずかに時が身じろぎをする
細かな刻みが
私の意識を呼んでいた
いつかの遠い雨音が
まだ明け切らぬ記憶の淵に
見えない雨音が降っていた
私は闇にたゆたい
言葉の殻に触れていた
意味の抜け落ちた
言葉の殻
ただ形であり音であるもの
体感零度の触覚
交わりのない交感
言葉をもたない
濡れそぼった真実が
膨れたフェイクに負けていた
透明カプセルのヘイト
色落ちした20世紀の
擦り切れた旗
毛羽だった感情は
降りしきる雨と共謀し
私はあなただと告げていた
自称する言葉は
私の直前で立ち止まり
ただうなずきを求めた
言葉が語りうるのは
一瞬の沈黙と
細かな刻みを走る光の意思
二月の早朝、私は
時が湧き出る泉に立っていた
遠い雨音を背後にして
言葉が沈黙と交わす
充放電のスパーク
希望とは
摩擦のようであり
仄かに揺らぐともしびは
明け方の雨に震えて
夕暮れ 山本なおこ
だれがともすのか
いつともるのか
私は電柱に灯りがともるところを見たことがない
気がつくと
通りからは遊んでいた子どもたちの姿がきえ
白熱電球だけが秋の中でさえている
勤めから帰った人は
にじ色の光の輪を見ながら歩く
光の輪の中に入ると
人はほんのちょっとほほえむ
その中を
金木犀(きんもくせい)のにおいが流れることもある
コスモスがほおっと浮かびでることもある
輪から抜け出て歩む人の胸に
ぽっちり灯(ひ)がともることもある
だれがともすのか
いつともるのか
私は電柱に灯りがともるところを見たことがない
桜の空 瑞木よう
よくはれた はるのそらに
さくら さき
はらはらと さくらまう
きから はなれ
そらに うかび
かぜに ながれて
ひかりながら
いくよ
どこに
わたしも ゆきたい
はらはらと
TICK TICK TICK もりたひらく
様々な思いが
絡みあって
幾重にも
かさなりあって
ひとつの
まっすぐな
ちからとなって
明日(つぎ)へ
翔び立つ
瞬間(そのとき)を
待っている