164号 手
164号 手
- <PHOTO POEM>路地 長谷部圭子
- <PHOTO POEM>名も知らぬ木々たち 神田好能
- <長編詩>(祈り)メルトダウンのあとに 下前幸一
- 連鎖 佐古祐二
- 白い噴水 吉田隶平
- あなたは男 吉田隶平
- 望遠カメラ 為平 澪
- 街で出会った女の人 たひら こうそう
- 南阿蘇村 藤原節子
- 記憶の中の伝言板 山本なおこ
- 踏切 青山 麗
- 逆転 牛島富美二
- 貧困、されど 藤谷恵一郎
- 毎日 加納由将
- 駅 A La Gare 水崎野里子
- 雛罌粟(ひなげし)の花 水崎野里子
- 日溜り 水崎野里子
- 指を差す人 水崎野里子
- 判断 関 中子
- 記憶 晴 静
- 自殺は絶対にいけません 清沢桂太郎
- 晩秋 瑞木よう
- クラゲ ――海のシンフォニー 野呂 昶(のろ さかん)
- シラウオ ――海のシンフォニー 野呂 昶(のろ さかん)
- 空とぶ教室 斗沢テルオ
- 現代版白雪姫 ~100ポンドの雫~ 中島(あたるしま)省吾
- ミスター・ノーバディー 葉陶紅子
- 孤島の裸線 葉陶紅子
- 男と女 根本昌幸
- ドア 吉田定一
- 自我 ハラキン
- 抽象化 ハラキン
- 表徴 ハラキン
- 春夏秋冬―2016 きだりえこ
- 薬を一錠も飲まなくなった日 もりたひらく
- 心 もりたひらく
- 空 ~そら~ もりたひらく
- 心は どこへ 原 和子
- オリオン 原 和子
- かぜ 中西 衛
- 空 日野友子
- シゲちゃん 日野友子
- 希望 日野友子
- あいさつ 高丸もと子
- 空色の切符 高丸もと子
路地 長谷部圭子
夜の帳がおりた路地。
色褪せたコンクリートの壁。
くたびれたフェンス。
いろいろな痛みを知っている。
剥き出しの侘しさを
かくそうともせず、
その姿が潔くて
今宵も また この路地に会いにゆく。
名も知らぬ木々たち 神田好能
名も知らぬ木々たち
美しくそびえ立つ大木もあれば
小さく小さく見すごされながら
生きて来た木の葉たち
まだまだ赤く色を残して
ちりちりと歌う心の歌
からりとひびき踏まれても
たわむれて歌う良さ
落葉たちも
散り落ちたが故に知る音
枯れてから歌う心の歌
浮き沈みの中に陽をあびて
知る ひびき合いゆえのあゝ
心の音の美しさ
(祈り)メルトダウンのあとに 下前幸一
セシウムの夜
小さな座卓には
缶詰のおかずと
暖かなごはん
一軒家の灯火を
山裾から湧き出る闇が押し包み
僕らは小さく言葉を交わした
かたわらには福島民報
見回りパトロールの人が
ついでに村に10部ほどを配達している
君がここ葛尾村へ移り住んだのは二週間前
避難指示が解除されてすぐのことだ
村にはなにもなく
施錠されたスーパーの
からっぽの店内と
廃屋
解体予定の張り紙と
死んだ自動販売機
医院もない
食堂もない
コンビニも
店屋もない
耳鳴りのような
視界のざわめきの
除染された田畑を占領して
汚染廃棄物の巨大な台地が聳えている
道路際のモニタリングポストは
0・232マイクロシーベルト*
君が働いているのは「せせらぎ荘」
今は風呂だけの営業(無料)で
食事も宿泊もない
村一番の憩いの場
時給いくらのアルバイト
仮設住宅の被災者支援に通ううちに
葛尾村に惹かれたのだという
自治会長さんに紹介されて
入居した村営団地には人影もなく
まるで時が凍てついたまま
とまどいと
名付けられない思いを胸に沈めたまま
僕らはレンタカーを走らせた
あの方へ
ひと山を越えて
向こう
あの方へ
「ふるさと再興メガソーラー発電所」を過ぎて
封鎖された大熊町
帰宅困難区域を迂回し
禁じられた地帯を迂回し
戻る術もない故郷を迂回し
真っ直ぐな疑問を迂回し
立ち去れない思いを迂回し
あの方へ
僕らは走った
国道6号線
誰もいない
国道沿いの街に
何かがひしめき合っている
打ち捨てられた
ファミリーレストラン
コンビニエンス・ストア
スーペーマーケット
ガソリンスタンド
ホームセンンター
そば屋
営業所
高圧鉄塔が海の方へ続くのは
あれは東京電力福島第一原子力発電所
次第に口が重たくなっていったのは
あれは放射線の
線量計の数値のためか
言葉が自分を恥じていたのか
ホラ! そこが双葉駅
「原子力明るい未来のエネルギー」
撤去された宣伝の看板が掲げられていた
そこが、それ
3・245マイクロシーベルト
このまま通り抜ければ
南相馬市
すぐにも居住制限が解除される街だけれども
「もう、戻りましょうか」
夜の森駅 0・72マイクロシーベルト
人気のない暗い駅舎が
あれからずっと口を噤んだまま
鳴り物入りの収束と避難解除を
広報と新聞とテレビが喧伝し
夏の夜をせき立てていた
うちそとの嘆きと痛みを塗り込めて
「たぶん、戻ってきたのは、数人でしょう
なんにもない、不便なままで
帰れと言われても、誰も帰れない
体育館は小、中二つも新築しているけれども
子どもは5、6人も帰ってくるかどうか
みんなバラバラです
私たちのあとは、この家はどうなるのか」
仮設住宅自治会長の松本さんは
それから
葛尾村をレクリエーション・ゾーンにしたいと
その夢を語った
まるで
言葉が言葉を引きずってくるように
日帰りゾーンと長期滞在ゾーンの畑
牧場と家畜のふれあい
のびのびと体験ができる
子どもたちの森の学校
土の中、腐葉土の中の
微生物や虫たち
森の働き
雨が降り始めた
小雨の中を濡れながら
葛尾村を案内してもらった
キャンプ場の「もりもりランド」
葛尾大尽屋敷跡
磨崖仏
磯前神社
葛尾大尽墓石群
放置された記念物に人影もなく
除染廃棄物の深緑色の台地が見え隠れしていた
「あれを見ると気が変になりそうだ」
松本さんの立派な
何代もの寂しい家をあとにするとき
忘れてはならないと思った
なにを
私と
私たちは忘れてはならないのだろう
なけなしの希望はいまも
全国に自主避難している
2017年3月末の
災厄が迫っていた
チェルノブイリよりも無慈悲な
日本の安倍自公政権の
復興という名の棄民
見なし仮設が追い出し部屋に変わる
子どもたちの甲状腺で
細胞が変異する
体のどこかが不調になる
ひとりひとり
「放射能の影響とは考えられません」
セシウム137の半減期は30年
わずか5年半後の
収束したはずの危機が
廃村のような風景にとぐろを巻いていた
移住した君の見ている希望は
どんな形をしているのだろう
祈りはどんな言葉で語られるのだろう
メルトダウンのあとに
*大阪では毎時0・05マイクロシーベルトだった
連鎖 佐古祐二
海の中
ホームを通過する急行列車のように
猛スピードで泳ぐ
魚の群れ
瞬時に反転しては
海上から差し込む陽光を鱗がキラリと跳ね返し
波の上では
跳ね返る光を見逃すまいと
海鳥が旋回している
食の連鎖は世界のリアル
(ヒトの世界で繰り広げられる命の連鎖は報復の連鎖)
大自然の営みの世界で繰り広げられる
魚たちの群れのきらめき
風を抱いて飛ぶ鳥たちの姿には
モオツァルトのピアノの調べが聴こえるのだが
白い噴水 吉田隶平
夕暮れの噴水は
白い手のように
空をつかもうとしていた
「明日を考えると 不安になるの
元気でいれば 何とかやっていけるけど
怪我でもすれば 食べてゆけない」
疲れて気怠く見える顔に
遠いところから
赤い残照が届く
ふと目を閉じ
「わたしに結婚を迫る男がいるんだよ」
そういって背を向けた
自分では見ることのできない その後ろ姿
自分では気づいていない その愛しさ
白い噴水が
薄紅の空に傾く
あなたは男 吉田隶平
あなたは男
あなたの言葉が理解できないことがある
多分 別々のことを考えている
嘘もついている きっと
あなたは食べるに困らず
わたしには明日の生活の当てもない
あなたはわたしよりずっと年上
だけどあなたは時々少年
そんな二人が
同じ時間 同じ空間に居るだけでも
なんだか不思議なのに
離れていても
まるでハグされているように
あなたを感じ
眠くさえなってくる
ながく待っていたような ときめき
不意にめまいのような さびしさ
わたしは裏返しになる
わたしは女
望遠カメラ 為平 澪
高級カタログで見た望遠カメラ
小田急線で持っている人を見かけて
少しだけ羨ましかった
ある日 望遠カメラをくれるという人が現れて
私は有頂天で貰い受けた
ピントの合わせ方も手つきも 儘ならなくて
もどかしいだけの品物だったけど
ずっしり重いボディが程よく 腕に馴染むころ
女郎蜘蛛たちの罠にかかった獲物の言い訳や
背丈を競い合うセイタカアワダチソウの企みや
顔のない都会の上面くらいには
ピントを合わせられるようになった
私は望遠レンズが見せる景色に夢中になった
見えなかったもの、知らなかったこと、
美しいものと、汚いもの、
何もかもが新鮮で 私の目はレンズが映しだす
正義の言いなりになった
もっと高い所へ、もっと高い所から、もっとすごい高みへと
焦点を合わせようとした時 足元が何かにつまずいた
─―老いた母の死体だった
壊れたカメラを抱いて
ピントのずれた頭と焦点の合わない目をした私が
瞳孔を開いたままの母の目に 写し出されていた
街で出会った女の人 たひら こうそう
夕日をあびて
交差点に立っていた女の人
静かにきらめいていた
露草の花の色が浮き出た衣装
空には見ることのできない
むらさきをおびた
深い紺色
春の空色は紺色のしずくの色
夏の空色は
昔 入道雲が泳いでいた
山の奥の溜め池の色
秋の空色は
すすきを浮かべて流れている
小川の色
夏がくると露草の花のいろを求めて
青い空から降りてくる
光のしずく
その真ん中に立っていた
女の人
向こうの街角から歩いてきて
静かに ひそかに
私の前を通り過ぎて
光の中に姿が消えていった
街の空に深い紺色の輝きを残して
南阿蘇村 藤原節子
平成二八年
九州のおへそ
阿蘇山麓の村が大地震で
亀裂した
箱庭型の優美な地形が
断層で引き裂かれた
長年心の奥底に眠っていた
秘宝が突然目を覚まして
傷ついた姿をさらけだした
今から半世紀の昔
その時私は十九歳の大学生
夏休み
民俗学の野外研究で
サークル仲間と
この南阿蘇村の小学校で
合宿していた
V字型の谷間の真ん中に
白川という清流が流れ
川の両側にせりあがった
棚田の坂道を
真夏の炎天下に
登り下りしながら
故老を訪ねて歩くと
厳しい農作業の合間に
お茶請けに漬物で
もてなしてくれ
村に伝わる信仰、伝説を
訥々と語ってくれた
村の寺も神社も訪ね回り
人のいない小さなお堂で
握り飯だけの弁当を食べた
夜になると 指導教官を囲み
寄って来る蚊をうちわで
追い払いながら
自分たちの集めた資料を
各々が報告しあい
熱い議論が交わされた
研究の成果は
「阿蘇南麓の民俗」という
書名で出版され
学会から高い評価を受けた
見たくなかった
若かった私が
向学心に燃えながら
ひと夏を過ごした
人も景色も輝いていた
あの村の崩壊
優しかった村人たちを
突然襲った悲劇を
記憶の中の伝言板 山本なおこ
夜更けに駅の伝言板を見るのは
何という寂しさだろう
きっちり大きく書かれてある文字も
遠慮勝ちに小さく書いてある文字も
青白くあって
蛍が飛んでいるように見える
これらの伝言板のメッセージは
相手の心に届いたのだろうか
もしかしたら何一つ
届かなかったのではないか
朝になれば 綺麗に消されて
また人待ち顔になって立っているのだろう
それでも私は私宛に書かずにはいられない
希望をもってと 胸のなかに
踏切 青山 麗
眼の前を通り過ぎる
京都行きの急行電車
駅を出たばかりで速度は遅く
車内は白く照らされて明るい
ドアの脇に立っている人や
シートに横一列に座っている男女が見える
黙りこくった無表情な顔もはっきりと見て取れる
そのなかに無意識のうちに探している
沿線に暮らすあなたの姿を
この電車に乗っていないとも限らない
確率は低いかもしれないが
まったくゼロとはいえまい
追う 追う
静かに だが必死にあの瞬間の瞳を
そもそも
この世であなたと知り合った確率は
どれくらいのものなのだろう
同じ職場かその周辺に居合わせなかったなら
出会わなかっただろうし
そうだったとしても
あの日あのとき
あの高層ビルのあの部屋を訪ねていなかったなら
口をきくことすらなかっただろう
そう考えると何十万 何百万分の一
いやまずこの時代の 同じ地方に生まれていなかったなら
巡り会えていないのだ
気の遠くなるようなこの奇跡――
遮断機が上がる
一緒に待っていた見知らぬ人たちが
両側から歩き始め 再び別れてゆく
あなたを見つけられなかった電車の
テールライトが冷たく遠ざかってゆく
わたしが見逃しただけで
あなたは車内に佇んでいたのかもしれない
遮断機の向こうにわたしを見つけたのかもしれない
しかしそうだとしても
あなたは何事もなかったように
過ぎゆく偶然を見つめていただろう
逆転 牛島富美二
退職して時が余ると
日々に罪意識に苛(さいな)まれて
その身体を苛(いじ)めるためにひとは
散策とジムへ奔る
そんなあの日
M9・2が罪を吹き飛ばし
散策を、ジムを吹き飛ばし
退職前の心を思い起こさせ
生活維持に奔り回る
心の襞(ひだ)の切れ目が塞がり
震度7が私を取り戻す・・・
という妙な体験
春なら未熟の鳥の羽となり
秋なら枯れ落ちた木の葉となり・・・
けれど
朽ちたものたちは朽ちたなりに
何もないものの充実感
やがて満ち始める充実感
足元に咲く蒲公英に
イギリスびとは希みをかけるという
それとは知らずに
畠の侵入者とばかりに
ちぎって投げ捨てる
向日葵一輪の花びらの
散り果ての一枚の葉裏に
ふっと見つけた脱け殻ひとつ
あの日も縋りついたままか
脱け殻の手足に届ける
そのすがる葉を生けて
過ぎ行く七日のあいだ
蒲公英の花言葉
真心の愛・神のお告げ・前途洋々・威厳・思わせぶり
向日葵の花言葉
崇拝・憧れ・熱愛・愛慕・光輝・あなたは素晴らしい・いつわりの富・にせ金貨
貧困、されど 藤谷恵一郎
㈠ 肉体労働
彼はいつも
床に座り込み
壁に背をもたせ 休息する
ごった返す控え室
汗と煤煙にまみれた労働者たちの
深夜の休憩時間
体力のない私は
肉体労働の厳しさと
身心ともに格闘していた
彼も例外ではないだろうが
どことなく円やかで穏やかな気を感じさせ
黙々と働く
仕事場で
彼に背後から声をかける
何の反応も見せない
二度三度
やはり反応がない
前に廻って話しかけると
心がかようように
言葉が通じた
ああ 唇を読んでいるのか
㈡ちびた鉛筆
もう学校にもっていきづらくなった
ちびた鉛筆
お母さんはいつもキャップをつけて
ちびた鉛筆を使っていた
生活に必要なもの以外で
なくて済ませるもので
お母さんが自分のものを買った記憶がない
だが今日
お母さんは 思いきってデパートで
一ケースの鉛筆と
二冊のノートを
買ってきた
保育士の資格試験の勉強のため
キッチンのテーブルで
お母さんは子どものようにうれしそうに
新しい鉛筆とノートとご対面だ
新しい鉛筆とノートが お母さんの
夢への道を明るませている
コロ コロリ
ちびた鉛筆も
がんばれと
毎日 加納由将
身体が次第に悲鳴を上げていく、筋肉は
酸欠を起こし血液が逆流を始める。親指
の内側を無数のありが這いまわり首筋を
どす黒い欲望が走り、緋色の痛みを残し
て居座ったままもう何日も居眠りを繰り
返し、能率の上がらない作業を繰り返し
ながら、明日を待っている
駅 A La Gare 水崎野里子
人混みの中で
時計を見上げる
さようなら あなた
わたしは一人
どういう街に着くか
わからない
どういう人たちに会うか
わからない
大陸が茫漠と広がり
その気配を嗅ぐだけ
列車に乗り込み
敷かれたレールを辿れば
明日 どこかに着くだろう
明日 誰かに会うだろう
列車が来る
見慣れた駅を捨てる
未来への旅路?
それとも
現在も未来も失せた
混沌の時間への旅路
雛罌粟(ひなげし)の花 水崎野里子
真っ赤な雛罌粟
舗道の裂け目から
伸びて咲く
群をなして
風に揺れる 音もなく
私は日傘を射して
みつめている
あなたは去って行く
あなたの面影が
小さくなる
いつか見た絵
赤い雛罌粟の丘
傘の女
あなたは絵の中に去る
赤い雛罌粟が
ざわめく
日溜り 水崎野里子
丸い日溜まりに
あなたがいたとき
私は遠くで立ち止まっていた
走って行けなかった
あなたは 今いない
わたしは日溜りを探す
あなたがいない日溜りの中で
立っている 立ち尽くす
日溜りの中を すばやく駆けて行った
駆け抜けて行った 時間の肉体
あれは若い日の 白熱の幻影?
それとも 若かった女の 疾走の夢?
今 失われた時間の中に立つ
若くはない女は 未来を手探りする
日溜りの中 私は駆け抜けよう 今
愛を胸に 身を焦がす 世界への愛を胸に
指を差す人 水崎野里子
指を差す人の写真を見た!
なぜかこころに残る
光があったはずだ
風で髪が揺らいでいたはずだ
あっち!
彼方だ 遠い? 近い?
腕は延ばされ
指が突き出る
その先は見えない
でも確かな方向がある
女に 男に
子供に 大人に でも
行く手に 何かがある
あり得る きっと
指差す方向に
あなたを待つ
私を待つ なにものかが
ある いる きっと 確かに
この町では誰も指を差さない
さあ 指差そう! 彼のように
素早く 矢のように
すこやかな初恋のように
朝の新鮮な風のように
あっち! こっち!
そっち! 一点の恥らいもなく
それは未知
それは未来
彼に続け!
魔法のガラスの城
高らかな天使の歌声
新しい人生への
扉
指差してごらん あなた!
たしかな光の行方が 敷かれるから
判断 関 中子
あの人は男 あの人は女
服装では区別がつかない
顔 顔をみて 体つきを見て
顔の何を 体のどこを
形 突起 色 艶 目配り 髪型
ちがう ちがう
どういったらいいのだろう
どうアピールされたといったらよいのだろう
あの人は〇〇さん あの人は△△さん
瞬時に区別できるのはどういう技なのか
顔 身体 顔 身体 何がある
それをどうみる
そのどこをみる
ときめきか かがやきか
もっと不変な 〇〇に△△にふさわしいもの
どんな努力が実をむすんだのか
どれほどの愛情が時の経過をこえて認識をささえるのか
あの人はだれ あの人は女それとも男
そしてあの人の名前は
記憶 晴 静
微かに
微かに
揺れふるう
蕾開いた
幼き菜の花
微かに
微かに
揺れふるう
羽開いた
幼き紋白蝶
花に纏わり遊ぶ
紋白蝶
なされるままの
菜の花
どちらが姉か妹か
微かな記憶
今
くっきりと
幼き頃の
あの子らが
自殺は絶対にいけません 清沢桂太郎
ちょっとエロチックですが
真実の真面目な話から始めます
(1)
結婚をした
父になる人と
母になる人は
ふつうは 隣り合わせの布団か
一つのベッドに寝ます
夜 父になる人のオシッコを通すペニスは
太く固くなることがあります
その時 一緒に寝ている母になる人のオッパイを
触りたくなります
オッパイを触られた母になる人の産道である膣は
粘液で満たされます
父になる人はその膣に大きく固くなったペニスを
挿入し 射精をします
その精液にはふつうは三億匹の精子が
泳ぎ回っています
その精子は
日本人なら日本人の遺伝子でありながら
少しずつ遺伝情報の異なる
ほぼ三億通りの異なる遺伝子を持ちます
精子は母になる人の卵巣から
卵管に排卵された卵子に向かって
泳いでゆきます
そして 三億匹の精子のうち
一匹だけが偶然に卵管内の卵子に突入できて
受精が成立します
精子の性染色体がY染色体の時
その受精卵は将来一人の
独特の個性を持った男になり
X染色体の時その受精卵は一人の
独特の個性を持った女になります
あなたは 母になる人の卵管の途中で
三億分の一のさらに半分の確率で
独特の個性を持った男になりました
あなたは 三億分の一のさらに半分の確率で
独特の個性を持った女になりました
あなたになった父の精子の
隣の父の精子が受精していたら
あなたは別の遺伝情報を持った
別のあなたになっていたのです
母になる人は一か月に一個排卵します
卵子も一個一個少しずつ
遺伝情報が異なります
ですから 父になる人と
母になる人の愛の営みが一か月早かったり
遅かったりすると
卵管に排卵される卵子の遺伝情報は異なるし
受精する精子の遺伝情報も異なるので
あなたは今のあなたとは
別のあなたになっていたのです
あなたは同じ父と母から生まれた
兄弟姉妹と容貌 性格 能力 体質などが
いくつかの点で似ているところがありますが
多くの点で違うでしょう
まず第一に 一卵性双生児でない限り
二卵性双生児の場合や兄弟姉妹とは
性別と顔つきで区別できます
この偶然だけが支配する極めて低い稀有の確率で
生まれてきた あなた
そのあなたをあなたはどう思いますか
(2)
あなたは「自分は父と母の
快楽の結果生まれてきたのだ」と言うかもしれません
でも あなたは生まれてくると
毎日毎晩昼夜を問わずにお腹をすかし
オシッコをしたり ウンチをして
泣いて 父と母 特に母の注意を
強制的に喚起します
父と母 特に母はどんなに疲れていても
どんなに眠くても起きて
毎日いつでもあなたにオッパイを授け
何回もオムツを取り替えます
肌着も取り替えます
取り替えた肌着は
あなたのために
毎日洗濯して乾かします
これは一年、二年、三年と続きます
この父と母のあなたへの愛情の行為は
形は変わりますが
あなたが大人になるまで続きますし
あなたが大人になっても基本的には同じです
この父と母の愛情をどう受け取りますか
(3)
父と母は
あなたがいなくなると
とても心配です
あなたが亡くなったとしますと
非常に悲しいし 淋しいし
生きてゆくのがつらいです
(4)
あなたには
この父と母の気持ちが
分かってほしいのです
(5)
しかし 人は精神的に疲労が重なった時とか
あるいは原因不明の理由で
脳の構造が
微妙に正常とは異なる形になった時に
あるいは シナプスと呼ばれる
脳の神経細胞と神経細胞の接合部位に
異常が起こった時
強い不安感や幻聴幻覚や
うつ状態やそう状態や妄想など
精神状態が正常でなくなると考えられています
そのうつ状態になったとき
人は病的に自殺したくなることが多いのです
それは心の病気です
病気ですから医学が治します
多くの病気が薬で治せるように
心の病気も薬で治せます
心療内科とか精神神経科という看板を掲げた
精神科医を訪ねてください
自殺は絶対にしてはいけません
晩秋 瑞木よう
走る車のフロントガラスに
音たてて 礫のように 打つ
色とりどりの 葉
風に舞う 落葉
降りしきる 葉
裸木を残して 空に流れる
葉 行きつく先の 沼
水面を覆う燃える葉
水面の下では魚が葉をついばんで
身の色を緋色に染める
夜を潜る
やがて月煌々と 沼に影を落とし
降る葉の影を落とし 葉を沈め
月の色を 鱗に映す
クラゲ ――海のシンフォニー 野呂 昶(のろ さかん)
無数の天女が空を泳いでいる
なんという軽やかさ 清らかさ
体のすみずみまでが すきとおり
天衣はないかのようだ
どこからか 天の音楽が聞こえてくる
空は しーんと静まり
ときどき波が
こわいものでも さわるように
手をさしのべる
シラウオ ――海のシンフォニー 野呂 昶(のろ さかん)
手のひらから こぼれた少女の夢が
魚のかたちで泳いでいる
水のように
すきとおり
体の中心には
かすかに 葉脈のふるえ
月の光が ときめいている
空とぶ教室 斗沢テルオ
もしも教室が空をとべたら
どんなに楽しいだろう
機長は先生で教卓がそうじゅう室
黒板にチョークで進路を書いて
さぁきょうも出発!
一時間目の理科は星の観察
天の川にちょっといたずら
宇宙が大洪水になったりして
二時間目の社会はタイムマシンに変身
縄文の友だちにサッカーボールプレゼント
三時間目は図工
七色の虹にクレヨンぬって
十色にも百色にもふやすんだ
四時間目は算数
算数はえ~とえーと…まぁいいや
五時間目の体育は
かっこいいスカイダイビング
給食は太平洋でお魚つっておさしみ
やすみ時間は
新雪みたいな雲の上で雪合戦
おっとっとー
ぜんぶがやすみ時間みたいなもんだけどね
こんなに楽しい教室だったら
朝が待ちきれない!
七時になったら
玄関から全速力でかけてくんだ
大きい通りに出るとケンちゃんもあっくんも
みんな かけてくるんだ
「おはよう!」
「おはよう!」
みんなみんな全速力で
学校にむかってかけてくんだ
そして一番乗り! って入るんだ
楽しい楽しい
空とぶ教室へ!
現代版白雪姫 ~100ポンドの雫~ 中島(あたるしま)省吾
朱雀愛(しゅじゅうあい)という白雪姫がいました
森の中の家で眠っていました
白馬の皇子様が白雪姫はどこだどこだとストーカーみたいに探していました
現代版白雪姫は家の中にいるということは気づきません
そのまま素通りしました
その夕方
○○○○と名札の書いた
Johnny'sアイドルグループの一員で一世を風靡していた
女性誌で一度、日本一彼氏にしたい男の子だったけど
いつの間にかJohnny'sを脱退して無職になって
困って
「仕事ってやってられね~。かったる~」
こっそり、郵便配達業をしている男が
郵便屋さんとして家を叩きました
「郵便ですが、郵便ですが、郵便ですが」
呼んでも返事しない、電気がついている
おかしいと思った配達員の○○○○は
窓の外から中を見ました
(あれっ、女の子が死んでいる??)
ドアが開いていたので急いで中に入って
「起きろ、起きろ」
と郵便配達員は起こしました
起きません
「やばいな」
必死になって起こしているうちに
○○○○の鼻から鼻水が零れました
風邪を引いていたようです
朱雀愛という白雪姫の唇にポトンと落ちました
「おい、起きろ」
唾液と鼻はつながっています
白雪姫は目を覚ましました
静かな夕暮れ時です
ミスター・ノーバディー 葉陶紅子
ミスター・ノーバディー いまどの辺り?
少女に問われて答う 永遠の1/2
永遠は お日さま昇り沈むまで
にっこり笑い 少女は糺す
温かいベッドにもぐり 寝てる間に
宇宙(コスモス)の果てまで ひとっ飛び
目覚めれば 永遠はまた始まるの
そんなにどうして 悩むことなの?
お嬢ちゃん 死と永遠のからくりは
神不在の現在(いま) 分かりはしない!
永遠は 水平線の彼方に生まれ
心の空に ぽっかり浮かぶの
ミスター・ノーバディー 少女がさとる高みまで
辿り着くのは はてさてしんどい
孤島の裸線 葉陶紅子
裸線とは スカートまくり
乳色の肉(しし)の彼方を 可視化する画技
裸線とは 脂肪でも血でも肌でもなく
内なる景色 孕ませる視座
苦い淵に投げ込まれし人 石のごと
眸(め)は閉じず 闇を喰らいて
夜のなかの夜つき抜けて 彳ったまま
眠る孤島に 肉(しし)腐るまま
雪の上(へ)に紅き血流れ 鳥たちは
ぐるり群れ飛ぶ 声なく鳴きて
骨格が 樹のように透けて見える日
鳥は知り初む 自由の空を
珍客な黒猫3匹 やって来て
孤島に彳てる 裸線に懐く
男と女 根本昌幸
男と女がいる
(ことばを話せるのは人間だけだが)
動物にも。
魚にも
植物にも。
樹木や
草花にも
男と女がいる。
オスとメス。
オシベとメシベ。
と いうふうに。
これが男と女でなかったなら
なにもかもが跡絶えてしまう。
うまく出来ているものと思う。
この地球は。
異星人はどうであろう。
異星にほんとうに
生命体はあるのであろうか。
あるとしたら
男と女はいるだろうか。
(どんなことばで愛をささやくのだろうか)
不思議なもの。
不思議なこと。
生命体という
それを造り出す
男と女。
女と男。
ドア 吉田定一
わたしは何も求めたりはしない
あっちへ身を振って お迎えをし
こっちへ身を振って 見送ったりするだけで
じぶん自身は外に出かけるわけもなく
部屋で休むというわけでもない
じぶんの軸足を持って
いつも同じところに佇んでいる
流れる川の水面に映る
深夜の 月のように
まどろみ微笑んでいるだけで
流されることもない
ただただドアノブに
手を掛ける人を待っている
手の温もりが わたしの胸の中を行き交うだけで
頬がはんなりとゆるむ
わたしは何も求めたりはしない
自我 ハラキン
俺の生体の位置とは数ミリずれて自我は呼吸し 俺の挙措にあわせ
て 自我はなまなましく躍動した。とりわけ青魚の臓物のような腐
臭が漂う薄明に 自我は姿をあらわし 薄笑いを浮かべて俺を挑発
したので 俺はたった数ミリの間合いだがどうにか殴りかかった。
膝で蹴った。殴られても蹴られても自我はなおも薄笑いを浮かべた
まま 姿を掻き消した。怒りによる暴力では自我は殺せないことが
わかった。
数ミリずれて動く自我もあれば あるじである人と正対して鏡のよ
うに動く奴 背中合わせに動く奴と 生体につきまとう様態はさま
ざまだが 奴らは一様に「人生」を愛している。だから別名を「人
生」としてもよい。人生はこの世(あの世ではわからない)にあふ
れている。本屋にあふれている人生論は自我たちの著作。百年一日
で あの独裁者の演説と同じく同じことをひたすらくりかえして
煽っていく。人はひとときも人生とは離れられない。人生のことを
忘れられない。人生から旅立てない。一睡も出来ずに迎えた薄明。
またしても微風が完全に凪ぎ あの腐臭が漂ってきた。もうすぐ自
我があらわれる。人生があらわれる。
抽象化 ハラキン
いまではスズメバチ アシナガバチ ミツバチ どころか蜂の種類
は数えきれないほど増えてしまった。もちろん蜂の種類だけでない。
生物にとどまらずこの世の森羅万象が 絶妙に細部を違えておびた
だしく枝分かれしてしまった。これからはわからないがいままでは
具体のちからが抽象のちからを圧倒してきた。
リアルに描かれた名高い山には 麓も山奥も山の彼方も無い。みご
とな遠近法で地平線のかなたに道がのびている。歩いていってごら
ん。にっちもさっちもいかず 君はたちまち絵具にまみれる いや
絵具と化すだろう。中世の女人が額縁のなかで微笑んでいるが 微
笑んでいるのは絵具。あのときから○△□や色彩それ自体が華華し
くなり 山とか家とかバレリーナとか馬とかチューリップとか 名
前たちが影をひそめた。それはなんであるかを恋人にしゃべれない。
「あなたのみているものは、あなたのみているものである」。
抽象の森に 恋人たちは分け入っていく。森の奥に いや中心に向
かうほどに 抽象化が強くなっていく。森羅万象も中心に向かうほ
どに 有無を言わせず抽象されていく。蜂の巣があった。見たこと
のない蜂が気ぜわしく出入りしていた。さっきから痛いほどではな
いが 感覚器官に違和感が続いている。抽象されるわけだから さ
ては眼も鼻もなくなりのっぺらぼうにされてしまうかと彼は思った
が 彼女の顔を見るとくっきりと目も鼻もある。だがいままで見慣
れてきた彼女の顔ではなくなっていた。森の中心と思われる磁場に
巨大な鏡があった。男と女は完全に同じ顔になっていた。
表徴 ハラキン
あたかも力士がたたんだ腕を伸ばすように また伸ばした腕をたた
むように そのようにあっという間に 目覚めた人は弟子たちとと
もに大河を渡ったという。たたんだ腕を伸ばすように云云は比喩に
すぎない。渡るにあたって覚者はなんらかのポーズで呪文を唱えた
のか。拍子をとったのか。
独裁者は しだいに沸騰していく弁舌と合わせて身ぶり手ぶりして
群衆を喜悦させていった。威厳を表す腕組みを静としてやにわに右
腕を伸ばして動に転じ 右手で虚空を指差しこれを振り払い 素早
く両腕を拡げ 両手で拍子をとって そのように舞踏のように 同
じ意味内容の弁舌をひたすらくりかえしていった。
たとえば腕組みをしたまま ずっとしたまま 上体も顔も動かさな
いで 俺は討論を続けられるか。語る意味内容と身ぶり手ぶりとは
ほとんど関係がないのに(今は手話の話をしていない) 俺は感情
的になって しきりに拳を振り上げたり振り下ろしたりしているこ
とだろう。「言葉の意味内容に自信がないから 人は身ぶり手ぶり
で話す」。
教えを説くとき覚者は 全く身ぶり手ぶりをしなかったという。説
くいちいちの内容によって 覚者の心は全く左右されなかったのだ
と考えられる。波が立たない。おそらく結跏趺坐して 両の手のひ
らをゆるやかに重ねてあるいは印をむすんで むすんだまま おだ
やかに説教し 弟子や村人の質問に答えていったのだと思われる。
春夏秋冬―2016 きだりえこ
猛々しき神の血肉や猪の鍋
天おぼろ地もおぼろや六十階
ミモザ燃ゆ反戦少女でありし頃
民棄つる国儚しや更衣
山の灯を入れて切子のまはりけり
改めて憲法を読む敗戦忌
舞ひ舞ひて奈落に置かれ秋扇
底紅や幾千眠るしやれこうべ
寝て見ゆる宇宙ありけりへちまの忌
しみじみと秋噛むここち渋皮煮
かなとけり日本語にあり玩亭忌
凩を眠らしめ母眠らしめ
薬を一錠も飲まなくなった日 もりたひらく
ああ、もう これ以上
私は ガンバレない
心が悲鳴をあげてしまってから
「ガンバる」という言葉が 使えなくなった
(それでも 便利な言葉には 違いないから
時には 使ってしまうのだけれど)
私は ようやく しんどくなれた
ようやく しんどい と 感じることができたんだ
奇妙な安堵感が 崩壊の始まりだった
私が ハンディキャップを持って生まれてきたことを 知った母は
「この子は厳しく育てよう」と
心に誓った、らしい
「けれど少し厳しすぎた」と 年老いた今になって
あの頃の私を 労わってくれるけれど
「今さら そんなことを 言われても」と
私は ただ 途方にくれる
「この子は 養護学校に通わせたほうがいいですよ」
就学前健診で そう言われて
それでも 何とか普通学級で
追いついていこうと
足手まといにならないように 生きていこうと
ただ ひたすらに 突っ走って
「力ってどうやって抜けばいいんですか
力の抜き方が わかりません」
いつも張り詰めて生きてきたから
肝心なところで 踏ん張れなかった
ムリしなくていいよ と 手を添えてくれるような
ゆったりとした人たちに 包まれるようになって
また 歩き出せるように なったのです
やれることは やろう と
少しずつ 少しずつ
出来るように なっていったのです
心 もりたひらく
ときに
心が 揺れ動くこと が
とても 苦しい
心なんて なくなってしまえばいいのに
傷つきやすい心なんて
捨ててしまいたい
けれど
それも 心の
なせるわざ なんだね
震える心
それを包(くる)む 私の肉体
すべて ひっくるめて
受け容れることが できたなら
ただ
それが できたなら
空 ~そら~ もりたひらく
あたまを ただ 空っぽにして
(自分の 意見など 持たず)
長いものには 巻かれ 巻かれて
(上のものには ただ 媚び へつらい)
ひたすら 流されるだけで
それでもいいやと 思えるような
(私が そんな
ニンゲン だったなら)
楽 なんだ
ろうな
空は ただ 青く
どこまでも 深いけれど
(からっぽ ではない)
空っぽには できない 頭を 抱えながら
とぼとぼと 歩く 私の 肩に
空が ずしんと のしかかる
心は どこへ 原 和子
心は どこへ
どこへ 還っていくのだろう
人生のすべてが
祭壇の白い花々に 変わるとき
心が あなたへ
還っていくとしたら
あなたは どこで
待っているんだろう
呼びとめるような
懐かしい風
心を 蝶のかたちに切って
夜明けの夢に 放せば
そこは もう
時間さえなくなった
無限の空間
蝶は 飛びつづけるだろうか
痛んだ翅を ふるわせて
あなたへ
オリオン 原 和子
風の強い日は
オリオンが またたく
いまも残酷に殺されている 大勢のひとびとの
善良な たましいのように
犬の吠える夜は
柿の実が 落ちる
赤く 熟れた祈りのように
私の胸の
やわらかい 落葉のなかへ
忘れないでって
みんな 言ってるのかしら
風も
星も
死んだひとたちも
大切なことを
決して 見失わないでって
そう きっと
みんな 言ってるのだわ
犬も
柿の実も
朽ちていく落葉の
つぶやきも
かぜ 中西 衛
触れながら
そこにいるでもなく
いすわるでもなく
さけるでもなく
ささやくように
気づかないように
そして
教会の屋根を越え
ステンドグラスの窓から
聖なるものの方へ
わたしのこころの中を
ゆらしながら
そっと
抜けていったのは
カメラから
風邪のひいた古いフイルムを
取り出すと
その一瞬の
きらめきが
そのまま残っていた
空 日野友子
のしかからないでください
常識だとか
普通だとか
世間だとか
親だとか
名乗って
のしかからないでください
被さってくるのは
空だけがいい
深々と深い
広がる空
――ひしめく青い色のうつろい
はるか上の方に空
空を見上げると
連なれる
生き物たちの
かなしみ
ぬくもり
シゲちゃん 日野友子
小学校の同窓会に行った
シゲちゃんに会った
小学校を卒業してから 四十年あまり
シゲちゃんとアタシの生活は交差しなかった
シゲちゃんは すっかりオジさんになっていた
でも すぐにシゲちゃんだと判別できた
だけど 話すとシゲちゃんは世慣れたオジさんでもあった
今回の同窓会で複数の女子から
―実は初恋の人やってん
と 告白された とか
六年生の時の騎馬戦は劇的で
最後は一騎打ちになったこと
その果敢に戦った一騎こそシゲちゃんだったこと
そんなこともあったよね
シゲちゃんは体育が得意だった
勉強もできたよね
ケンカも強かったよね(アタシの方が強かったけど)
話題はつきない
シゲちゃんは今 有名な会社の社員(たぶんエライさん)
子どもたちも成人しているらしい
今でも あの家に住んでいるんだそうだ
小学校二年生の時
悪ふざけしたアタシが鉛筆をシゲちゃんのお尻に刺してケガをさせ
親に連れられて謝りに行った あの家
地蔵堂の角を左に曲がってすぐのところ
シゲちゃんは あの町のあの家で年を重ね
真っ当にオジさんになったんだ
シゲちゃんとアタシの生活は これからも交差することは ない
だけど シゲちゃん
居てくれてありがとう
あの町のあの家で真っ当にオジさんをしていてくれて ありがとう
シゲちゃんはアタシを照らす星の一つだ
希望 日野友子
不安を肩に乗せて歩いている
不安は あたしを急き立て
不安は あたしを迷わせ
不安は膨れ上がったり 萎んだりするが
居なくなることは ない
おそらく
不安は共にあったのだろう
あたしが生まれた時から
不安を萎ませるために
あたしはモノを知ろうと努力する
不安を覆い隠すために
あたしはあたしを飾りたてる
不安は あたしを退屈させない
不安は あたしに温もりを求めさせ
不安は あたしをあたしの仲間捜しに追い立てる
気がつけば
不安は長いつきあいの気難しい友のようだ
今年の春がそこまで来ている
頬を照らすハチミツ色の光
ほのかな不安は そのまま希望
あいさつ 高丸もと子
木枯らしの道
山茶花の赤をこぼしていく
これは
風のあいさつ
小鳥
見つけただけで逃げていく
これは
小鳥のあいさつ
そこにはいつも人がいて
ふと振り返ったときも
微笑みしか残っていない
年月でありますように
出会いも
別れも
みんな同じ空の下での
あいさつ
空色の切符 高丸もと子
分厚い雪のすきまから
一枚の青色が見える
それは空に戻っていくための
雪の切符
晴れた日の切符は
もっと空色になり
遠くからの汽笛のような
春風が近づいてくる
そしたら私も手をふって
生きている合図を送りましょう