美しい本作りならおまかせ下さい。自費出版なら「竹林館」にご相談下さい。

出版社 竹林館  ホームへ戻る

  • お問い合わせ06-4801-6111
  • メールでのお問い合わせ
  • カートの中を見る

192号 ことば

192号 ことば

約束の時間まで   岡崎 葉



あのひとが止みそうにもないと言うから
あのひとに会いたくてたまらないわたしは
西の空は明るいよ と答える

明け方から降り出した雨は
まだ雫のように降っている
でも きっと止むと信じ込んで
自転車に乗る

横断歩道に来て 空を見上げれば
頭の真上でちょうど真っ二つに分かれて
西の空には青空が広がって
東の空は黒い雨雲に覆われている

約束の時間まで
郵便局に寄って 手紙を出し
本屋で 国語辞典を買う
用事を済ませて表通りに出ると
空全体が青く 雲は白に変わっていた
その上 陽が射して来た

どうしても会おうとしたから雨は去った
そうして時間はいつものように正確に流れて
運命の女神はわたしたちのために微笑んだ

ブランコと花蘇芳(はなずおう)   働  淳



風に舞う桜の下で
ピンクの花蘇芳が揺れている
ウグイスの囀りが
遠くに近くに
ブランコも揺れている
旅立った詩人たちの
読み上げた言葉も遠く近く
ほら、そこに座って俯き
あの懐かしい声が
舞い降りてくる

西洋花蘇芳の別の名を聞くと
悲しい歴史を思う
過去の独裁者たちの影が
今も世界を闇と化し
ブランコが大きく揺れもどってくる

戦(いくさ)があり、空襲もあって
その体験を語っていた
思い出の詩人たちの
ほら、今もそこに座って俯き
鳥の囀るように
あの懐かしい声が
誰もいない公園に
舞い降りてくる

静かな朝   榊 次郎



静かな朝です
いま 筑前煮を作ろうとして
野菜とまな板と包丁を取り出したところです

静かな朝です
時たま窓ガラスを震わすような
バリバリと機銃に似たバイクの排気音が聞こえてくる

静かな朝です
サクサク ザクザク 様々な形に刻まれた野菜は
不規則に転がっていきます

わたしの妄想でしょうか
野菜たちは崩れ落ちたヘルソンの街並みに見えてくるのです
静かな朝と裏腹に今この時もどこかの町で黒煙が

もしかして新しい三八度線が轢かれるのかもしれない
なぜか百八十年前の詩人 シェフチェンコの言葉が
記憶の奥から蘇ってくるのです

「静かさに満ちた世界 愛する ふるさと
わたしのウクライナよ。
母よ、あなたはなぜ、破壊され、滅びゆくのか」と

湾   弘津 亨



あなたは脳に
障害を負って生まれた
乳房がふくらみはじめ
初潮となって

あなたのなかの海を
訪れる夜明け
岸辺のどこかで
薔薇の蕾が開こうとしていた

日ごと あなたが
待ち望んだ
水平線に現れる一隻の舟

その舟をあなたが迎え入れると
父と母はうろたえ慌てふためいて
わたしたちは あなたをめぐる
あれやこれやの噂話に
日々をついやしたのだった

妻となり やがて
新米の母になり
不意に 嵐が襲ってきても 家族の
艫綱が切れてしまうことはなかった

算数は苦手だったあなたが
夕食の買い物を
懸命にやり繰りするとき
あなたは
家族を憩わせる静かで大きな湾である
あなたにつながる祖母が母が
そうであったように

スウェーデン、ヨーテボリの思い出   水崎野里子



スウェーデンは遠かった
とても寒かった でも
スウェーデンの港街
ヨーテボリの思い出は
今でも 蘇る

中央駅から縦横に広がる
列車 トラム バス路線
めまぐるしい 交通手段
行き交う人びと
新しい 古い ビルの建物
座る椅子の多さ 洒落たデザイン
傘を伏せたような

美術館は古い 由緒ありげな
建物 ぐるぐる歩いてやっと着いた
寒いはずが 咲いていた
色とりどりの薔薇園
黄色 赤 ピンク 白
つるバラのかわいい小さな濃いピンク
メルヘンの世界
木々 名前を知らない
知っている大樹
街に流れる川沿いに作られた
植物園
若くはない
二人の夫婦が歩く
自然の中の生活
日本では ふと 忘れていた

裏町ホテル
鉄道路線が見える
道端の大きな緑の樹を
毎朝 毎日 眺めた
名前は知らない
知らなくていい
ヨーテボリでのわたしたちの
生活の傍に立っていた

泊まった というより
住んだ 遠い記憶
ホテルのフロントマンの
おじさん 無料コーヒーを
よく飲みに行った
洒落たフロア
去る時 さよならと
手を振り合った

今は遠い街
人びとがいた
生活があった
どこでも
ここでも
落ち着いた

やさしい人びとが
住んでいる いつも

夜を照らす
明かり

風船物語   水崎野里子



風船が飛んでいく
街の中
木々のなか
車の往来の激しい
車道を
交差点を
人々の上を
公園の空っぽベンチ
池の鯉

高い都会のビルの上
雲へと
山へと





赤い風船 
青い風船
緑 黄色
白黒の縞模様
風船
誰かが膨らませ
空に放った

ひらひら風に揺られ
びしよびしよ雨に濡れ
ピカピカのネオンに照らされ
ふんわりふわふわ雲に上昇
そしていつか 消える
バンクする
空気が抜ける
落ちた風船のビニールの
残骸 あちこちに

掃除係のおばさんが
掃除している 朝
ある裏町
ある裏通り

星と疾走   葉陶紅子



砕け散る 頭蓋骨をちりばめて
星座となろう 天空飾り

盲目の賢者の石を 拾ったと
差し出す少女 幼い君か

鳥骨で作った笛は 魂を
宇宙(コスモス)の先へ 飛ばすと言うぞ

疾駆する 光の槍に貫かれ
死の円環が からめとるまで

光速で走れば 星のかけらでも
永遠のふち きっとつかめる

オリーブの小枝を 君に手向けんと
疾駆するあを 君は笑うや

星の洞(うろ) ラザロのごとく生き返り
光のごとく ただ疾駆する

青い闇   葉陶紅子



腑分けする われが屍体の隅々に
沁み入る 青い闇の虫の音

真っ白な飛沫(しぶき)に揺れる 舟に乗る
獣の双眸 脅える闇夜

灼熱の鉄が ゆるゆる冷えるとき
闇を引きよせ 膚を染めゆく

わが屍体 虫の音青い闇さえも
一如となって 交じり広がる

青い闇 反転すれば白き昼
なれを孕みし 揺籃(たゆたい)の海

真青なる海 振り向けば真白なる山
いづれにも 闇はあるべし

青い闇 それらが量(かさ)を測るのは
手のひらでなく 風の瞬き

月 =コロナ渦中遠地の母想うS君の話=   斗沢テルオ



母さん
東京の夜空に月がでています
くっきり満月です
遠い日の十五夜にお団子作りましたよね
一緒にお月見しながら食べましたよね
母さん
今でも夜空の月 見上げていますか

そして私は新幹線に乗る―
700キロ先の故郷 一路母の傍(もと)へ

帰ってくるからと約束して上京した高卒の春
そのまま都会の華やかさに埋もれ
やがて結婚家族もでき人生の喧騒に追われ
気が付いたら一人暮らしだったあなたは
終の住処を介護施設に移していた

玄関ドアでガラス越しの10分
コロナ禍中の面会はまるで刑務所の接見室
それでも瞬時に方言――
「母っちゃ!」
「よぐ来たよぐ来た」
言葉発するたびガラスは吐息で曇り 
にじむ泪に相まって皺ぼやけ母は若返る
孫の写真をガラス面に押しあて
「見えるガ? 母っちゃの孫だよ」
ドア這う母の掌に私も手を合わす
冷たいガラス越しに伝わる温もり
「今でもお月さん 見でるガ」
「見でら いっつも見でら」
「離れデでも同じお月さんバ見るべし ナ」
小さくなってしまった躰で車椅子揺らし
母はクックッと笑った

上り最終の車窓から手の届きそうな月
母も見ているだろう月が
後ろ髪引かれる私を見守るように
どこまでもついてくる


    *それから二カ月後S君のお母さんは施設内コロナ感染であっという間に亡くなられた。

紅葉狩り   吉田定一



なんと美しい 季節のひと時なんだろう
やがて はらはらと舞い散る 
落ち葉

こうして紅葉(おまえ)は 今年一年纏った歳月を
脱ぎ捨てて 
大地に 帰っていくんだね

ああ なんてお前は 
世界と 
美しい「さよなら」をするんだろう

緑の衣装を 
赤い衣に 着替え
永遠の時間を告げて 静黙する

紅葉のように 僕も
老いの枯葉を 華麗に散らして
今年の 哀しみの闇夜と

早くバイバイしたいものだ
また来年 若葉の芽吹く頃
紅葉と一緒に

生まれ 変わったように 
新芽の命を 手にして
またお前と 生を共にしたい

道なき 道かも知れないが
想像力という名の衣を 身に纏って
一歩歩めば 道になる と――

親しき友、浮田義一郎先生に   門林岩雄




君と二人で永源寺へ行った
君の車に乗せてもらって……
そこはもみじの名所
紅葉(こうよう)を満喫した
君は大学院の一年先輩
とても親しくしてくれた
君は優れた
そして熱心な臨床家
外来が終わったあと
「これから一回りしてくる」
と受け持ち患者を診に行った

君は長らく公立病院長を勤め
そのあと開業……
何物にもたじろがぬ姿勢
そんな君に
俺(おれ)はすっかり惚(ほ)れ込んだ
君の存在は
俺の心の拠り所
その君が
こんなに早く逝くとは……
これから俺は
どうすりゃいいんだ
ああ!



    浮田義一郎先生 令和五年二月四日永眠 享年九十三歲

帰去   牛田丑之助



必ず あした会えるのに
なぜ きみたちは
それほどに 名残を惜しむのか

ばいばーい
ばいばーい ばかやろー
ばいばーい こんちくしょう
ばいばーい ばいばーい

ぼくたちは この先二度と
会えないかもしれない
なのに
なぜ

じゃ

軽く手を挙げ
背中の残像だけを 置き去るのか

地下鉄の窓ガラスに映った
やつれ顔が

じゃ

と云っている

<PHOTO POEM>自慢人生から底辺を知った   中島(あたるしま)省吾



現在、精神病患者らや
底辺の病人人生を理解できる
キリスト教会除名になって
除名になった人物とクリスチャンは話してはならないと
聖書にあること理解した
スーパーマーケットで牧師と遭っても無視される
大人を知った
福祉なしじゃ死んじゃうよ
そんな人々もいる
働かざる者食うべからずでは死んでしまう人々もいる
障がい者は働けないじゃん
政治家の福祉予算削減には淋しく想います

<PHOTO POEM>ドッペルゲンガー   長谷部圭子



昼下がり
もう一人の私に出会った
遠い夏
煮え切らない私に愛想を尽かし
私から抜け出した半身
なんのためらいもなく
あの人の手を取った あなた
自由を得た あなたと
不自由な世界で 泳ぐ私
カラフルな世界を闊歩する あなた
モノクロームな世界で 息をひそめる私
昼下がりの悪戯が見せた 束の間の幻影

<PHOTO POEM>飛んできて   尾崎まこと



たとえば飛んできて
花にとまってみると分かることがある
花が風に揺れているってこと
わたしがとまっているってこと
それは
わたしが蝶であること

たとえば飛んできて
枝にとまってみると分かることがある
枝がわたしの重みで揺れっているってこと
わたしがしがみついているってこと
それは
わたしがカラスであること

たとえば飛んできて
地球にとまってみるとわかることがある
地球が回転しているってこと
わたしがへばりついているってこと
それは
わたしが人間であること

きつねうどん   平野鈴子



きょうも教室に出汁の香りが漂う
腹時計が催促する
毎日この出汁の誘惑に敗けてしまう
大きな寸胴鍋に満たされているうどん出汁
白く柔らかめなうどん玉
甘くソフトに炊き上げ巧く油抜きされた
うす揚げ(油揚げ)がうどんの上に横たわる
口の中にジュワーと広がる旨さ
九条ネギは香りと色の名脇役
うす切りのカマボコは遠慮がち

これが淡口の品格ある出汁なのか
黒い出汁に慣れ親しんだ私は醤油の淡い色に衝撃を受けた
しかしその味は昆布と鰹・うるめのハーモニーが旨さを引き出し
 抜群の美味しさだった
この旨味をまったりと表現するのか
二杯を所望してしまった恐ろしや中学生の私
天下の台所と言わしめた大阪
食い倒れの大阪
母校の食堂の「きつねうどん」の美味しさの神髄を味わった



    東京の学校から大阪の中学二年生に編入し中高五年間
    この女子高で美味しい「きつねうどん」を食べ続けた

霧笛の夜   平野鈴子



姫路の美術館の帰路
車窓を見れば半世紀以上前が回想される
山と海がせまり三宮はエトランゼの街
行きかう人の肌合いも変化にとむ

スペイン料理は「カルメン」で
トアロードの帽子の「マキシン」色彩ゆたかなお洒落なデザイン
もうアスコット競馬場やロンシャン競馬場にいる気分
今夜のメリケン波止場はどこの国の外国船が停泊中か

ボンソワールとかわす声
フラワーロードのキングスアームスのすぐ脇で夜ごと佇む黒い影
ルージュをさした華奢なからだにハイヒール
幼さをみせるボブスタイル
ぎこちない英語で話は成立
霧笛と共に水兵と消えていく
濁流の中で生きているのか
鴨居玲の絵画の中のデフォルメされた黒い画像と彼の端正な横顔が浮かぶ
職場のメイン厨房の騒音を後にして
衿を立てながら家路に急いだあの冬の夜

『占い店予報気象センター』   中島(あたるしま)省吾



東岸和田駅前のトークタウン、それは大阪郊外南部の大規模ショッピングモールの歴史、
そして、著者の創作のストーリーとフィクションです

大阪府岸和田市の東岸和田駅周辺に昭和の終わりにできた大型ショッピングモールです
昭和はニチイ、平成初期はサティ、平成後期はイオンを迎え入れのスーパーとしていました
令和に入り、トークタウンは廃止され、イオンモールとして再構築されました

今は、ここは昭和のニチイ時代の木枯らし一号が吹く一一月
予報気象センター
トークタウンの端っこの小さな敷地内の平屋です
予報気象センターの一族はトークタウンの経営人一族です

東九さん一族です
翌日が定休日のトークタウン、マイクロバスで来た一族は集まって雑務をしていました

ろくでもない占い店
実は実力のCEOの場所
予報気象センターにはお客はなく、プールの掃除を一族がしていました
今日はいとこ同士の聖子ちゃんと翔ちゃんが脱走
予報気象センターの平屋の一番奥の裏部屋にこもって布団をセッティング
一族の近所の奴で運転士のアルバイトをしているしまず
マイクロバスで大阪南部の泉南市信達牧野の東九さんらの平屋の実家に帰るために
しまずは翔ちゃんを探しています
聖子ちゃんは明け方、始発電車で帰ります
「先行くで」
しまずが聖子ちゃんが翔ちゃんおれへん、いないと言った奥部屋に入って来ました
「翔おる?」
「おれへん」
奥の裏部屋でドカッと音がした
しまずが裏部屋のほうへ行った
ドッキング
「カエルで」
「電車で帰る」
シングルの布団に枕二つを観た
「わはははははは」
シマズガイッタ
退いた
翔ちゃんと聖子ちゃん、寒い今日はその気に×××
今、外は昭和の木枯らし一号が吹いていた
昭和のスニーカーブルースがトークタウンのほうから聞こえる

無責任な私   中島(あたるしま)省吾



チャットGTPで優秀な詩が描けた
脚本家も作家も
要らなくなる、必要なくなる
ただプロダクションと、著者名「○○編集部」でできる
おおノー

最近、喉が詰まる
お母さん死んで在家で
一人でしんどい
ジャニーズ略歴価値ももう終わった
お母さん死んで福祉生活が定着づいてきた
医者代はかからない
廃人への道を選ぶ私
精神病院で一生いようと想う

ありがとう出版界
ありがとう出版社

私はアメリカが嫌いです   中島(あたるしま)省吾



私はアメリカは嫌いです
昔、二〇一〇年ごろ、正統派のキリスト教会追い出されたころ
壮年教会長老SSが家に来て
お母さんが昔、駐車場警備会社の同僚のおっさんに貰った二〇キロの米
どうしようも運べなく精米していませんでしたが
私の誕生日でした
壮年教会長老SSがよっしゃと
自らの車で運んで、私にやり方を教えながらも、手伝わせながらも
精米して家に持ってきました
お母さんは「ありがとうございました」「ありがとうございました」の連続で
頭私まで下げて、感謝の一コマ
後で、壮年教会長老SSが帰った後、
お母さんは「助かった」「あんた、誕生日やったんやで、感謝しい」

メッシークン・アッシークン・ミツグクン
アメリカではケンタッキーフライドチキン
鶏肉を骨付きで揚げた
簡単な行動である
アメリカではマクドナルド
ハンバーガーをパンにはさんだだけ
コストのかからない行動です
コカ・コーラ
炭酸になんかいろいろ入れてできたようですね
コストのかからない行動です
今、現代、ウインドウズ、マック、アップル、マイクロソフト、グーグルなど
コストがかからず
パソコン一つでできる行動を産み出しました
アメリカでは福祉はなく
だから税金も安い
強者はアメリカンドリームに挑戦する

代々、日本は自動車や世界のパナソニックなどの
手難しい分野を引率してきました

今ですら壮年教会長老SSがなんかをプレゼントするのではなかったのが悔しい
家にあったもの(無賃、無料)を発展させたのだ
奴は株もする生涯独身
トランプのことをトランプ先生と言って
ほめたたえる
アメリカ発のキリスト教聖霊派
私のちびまることは
なじまない
私が壮年教会長老SSだったら、ゲームとかDVDなどをプレゼントする

智恵を使った
壮年教会長老SSの誕生日プレゼント
私は、コスト軽く発達するアメリカは嫌いです

今、いつもの二〇〇前後の毎度の高血圧で頭が痛い
誰もなにも言わないし、しない
よその教会で自由に行かすためからか
壮年教会長老SSの携帯番号は着信拒否に
私がされています

水脈   中島(あたるしま)省吾



水脈が通る
脈々と繋がる
水が湧き出たと
生物が生まれたと
まだ地球以外の
生命体は
地球には知らされていない二○二四年
動物が歩く
地球
生命共存の星
地球
今日も
私は
歩くから
太陽が
観つめている

水の街   升田尚世



歳月は
水になって街路にあふれ
女は小舟をすべらせる
水面が上昇し続けるので
小舟はみるみる
押し上げられて
高い処へところへと
進むのだった

水の深みに
男の顔が
仄暗い緑に揺れる
唇の端が少しめくれて
三日月みたいに
眠い目だ
濃褐色の虹彩を
じっと覗き返せば

「お乗りなさいな」
手招きで
誘いかける間もなく
面影はやがてかき消えた
赤煉瓦の鐘楼を
おぼろに映し
水は重たく淀む

或る夜
男の腕は
白く長かった
櫂がないので掌で
ゆるく嵩を確かめて
水の街を漕いでゆく

見えない強要   加納由将



自分の生命力が そがれていく
どんどん 気力がなくなり
どんな風にでもなれ
という気持ちになる
本さえ放り出してしまい
畳の上に体さえ放り出して
食べるのも 面倒になり
腹がへった時 何か 口に入れるほうが
ずっと 効率的なような 気がしてならない
世界には 一日二食 あるいは一食の ところも たくさんあるというのに
どうして 時間を割いて 食べるのか
することは 山のように あるというのに
自分がおかしいのか 分からないが
何が そんなふうに 強要しているのか
わからない

赤ずきん   来羅ゆら



女の子だから
赤ずきんは 言いつけをまもらない
赤ずきんは 道草の楽しさを知っている
赤ずきんは 赤いずきんをつけるとみんなが見ることを知っている(可愛いい)
赤ずきんは 人を疑わない そして 人に絶望している
赤ずきんは 本当に怖いのは狼でないことを知っている
赤ずきんは どうしても逃れられないとき
懐深く入り込むことが生き延びるすべだと知っている
赤ずきんは 危険の中にみをさらして生きる
母のようにならないためのけものみち
だから
赤ずきんは
キケンに分け入りキケンを掻き分け
さがしものを さがしている

あなたまでの時間   来羅ゆら



春の水より
夏の水が
清冽で
明るい味がする

夏が燃えて
哲学が休んでいると 
生き物は鳴いて交尾しながら
秋を促してくる

秋がひと息ついて
空を高く高く広げていると
冬は底から忍びより
尖った風が吹き始める

息をひそめて
人は着ぶくれ
樹々は葉を落として
死んだ真似する冬

或る朝
光の
気配が
揺れて目覚める と

冬の光と
春の光が
交わるあたりに
あなたがいる

冬の鶲(立原道造によせる誄歌)   川本多紀夫



信濃路がつづく山の麓の
サナトリウムに
旅人のように病む若者の
みずみずしい肺葉を
冬の鶲の鳥がきて啄ばむ

鶲が棲みつく
胸の奥の方からは
かすかな水泡(みなわ)の音に似た
《ラッセル音》が聞こえる

医師に聞かせてもらった聴診器から
若者は それをどこか遠くの
灰色の北国の
地方の山あいにひそかに湧き出る
泉の音におもいあわせた

 (いつになくこの年の冬は
  雪の来るのが遅かった)

木々の梢が重なりあって
紫にけぶる疎林のなかの
峠につづく小道を辿りながら
若者は 春先にはきまって
峠の谷向うの
冬木のなかに灯るように
白々と咲く一本のコブシの花をおもった

 (そのころには 道沿いの
  マンサクはもう済んでいた)

まなうらに記憶の風景をおもい描くうち
兆しくる はつかな不安を覚えつつ
雪の遅い冬の向うから やがて彼にも
たぶん来るであろう
コブシの花が咲く春をおもった


     ――ラッセル音は気管支・肺疾患などに見られる異常音

星座   左子真由美



ひとりが本屋を出るころ
ひとりは詩の講義を聞いていた
ひとりが陸橋の下で
ストリートミュージシャンの歌を聴きながら
レヴィナスについて考えているころ
ひとりは井伏鱒二の訳したという詩を読んでいた
人生即別離
サヨナラダケガジンセイダ と

ひとりが電車に乗っているころ
ひとりはその電車の
駅の近くを歩いていた
ひとりが家に着くころ
ひとりはその反対方向の
電車の中にいた
ガード下の店で買った
明日の朝のパンを抱えて

あたりはもうすっかり暗くなった
闇のなかで
神様は星々をながめるように
見ていたに違いない
いましがたつらいわかれをしたばかりの
ひとりとひとりのちいさな劇(ドラマ)が
雑踏のなか
ぎこちなく進んでいくのを
そして
たくさんのひとのたくさんの劇(ドラマ) 
それぞれに形を変えてゆく美しい星座たちを