182号 抒情詩
182号 抒情詩
- 言葉が出てこない 月野 光
- 不機嫌なアリス 宮本苑生(ソノエ)
- あしたのわたし 尾崎美紀
- SONO― 園 井上良子
- 嫁に行く 白根厚子
- 朝 佐倉圭史
- 今年の残雪 二〇二一年三月の雪 安森ソノ子
- 舞踊「淀君」によせて 安森ソノ子
- 釜ヶ崎公民権運動の旗 来羅ゆら
- 失語症の夢 来羅ゆら
- ひとみとひとみの出会う処 白井ひかる
- 埋葬 葉陶紅子
- 繭空 葉陶紅子
- 通信票の空白 斗沢テルオ
- 信じている 阪南太郎
- 仏さま 中島(あたるしま)省吾
- 泥棒猫 中島(あたるしま)省吾
- いとこのゆかこ 中島(あたるしま)省吾
- 夏の葬送 升田尚世
- 演技 ハラキン
- 幻想 ハラキン
- 枝葉 ハラキン
- 地の祈り 笠原仙一
- 二人だけの物語り 笠原仙一
- ゲンゲ畑 牛田丑之助
- 棺桶を背負って来る女 牛田丑之助
- 旅へ出ようぜ ベイベー 牛田丑之助
- 彷徨 牛田丑之助
- アスリート2 フィギュアスケート女子 中西 衛
- 義理の姉の死 田島廣子
- <PHOTO POEM>水の化身 長谷部圭子
- おかしな会話 吉田定一
- だれのものでもない 吉田定一
- いのちのプラットホーム 吉田定一
- 道 水崎野里子
- 好きなように いまも 関 中子
- 終末期 方韋子
- 遮断機 平野鈴子
- お地蔵さんのある町で 平野鈴子
- たゆとう桐の小箱 平野鈴子
- きっと、きみはいたはず ――百メートルランナーのきみに 増田耕三
- 催促 増田耕三
- 黒雲と夾竹桃 増田耕三
- いわしの雲 山本なおこ
言葉が出てこない 月野 光
僕の顔に何か書いてあるのか?
ニュートラムの中 ベビーカーに乗った
小さな顔が僕から離れない
ちょっとニッコリとかした方が良い?
変顔でもしてやろうか?
僕の顔を見て離れない瞳は
瞬きさえせず睨むでもなく
ただじっと見つめる
僕の方も気になって首を傾げたり
目をパチパチやってその子の気を
引こうとアピールしてみるけれど
全く動じない・・・
アレレ? 不思議な感覚
父親がそんな僕に一言
「この子は生まれつき目が
見えないんですよ」と
申し訳なさそうに告げた
僕は絶句した・・・
なんと言い返せば良いのか
言葉が出てこない
可哀想にだとか 簡単に
言えない・・・
困惑した僕の顔を見て父親は
「目は見えないけれど とても
元気なんで大丈夫ですよ」と
僕は頷いてお辞儀をする
それしか出来なかった
次の駅で父娘は降りて行った
困惑した僕に気を遣い
父親が会釈しながら
「ありがとう」と
やっぱり僕は黙って
お辞儀しか出来なかった
不機嫌なアリス 宮本苑生(ソノエ)
不思議の国に迷い込み
不安そうな女の子
ふいに大きく また小さく
不敵な笑いのチェシャ猫や
分身術のトランプ
増える増える ウイルスみたい
振り切ってもついてくる
封鎖せよ 地下の国
(普通の自分に戻りたい)
ふと気づけば カーラジオ
不要不急の外出避けて
フロントガラスにアリスが映る
深々と陽の冠
不格好なマスクと手袋
触れ合うのはガラス越し
不安と不満 膨らんで
不機嫌なアリスが言った
(不思議の国に戻りたい)
あしたのわたし 尾崎美紀
きのう 雨にぬれた
靴下がぬれてしかられた
しかられたから少し泣いた
泣くとおなかがすく
お腹がすくのは涙のせいなのか
きょう 雨は降っていない
それでも帰りが遅くなってしかられた
しかられた後 くやしくて
ぬいぐるみに当たった
ぬいぐるみはだまって床に転がった
でも、ぬいぐるみは泣かない
あしたは 地球がこわれるかもしれない
それならもうしかられない
今夜は おなかいっぱいお菓子を食べて
歯磨きもせずに寝てやる
いい子になんかならないからな
きっと
あしたはまた 知らん顔してやってくる
そうやって誕生日が積み重なることを
私は知っているから
声がかれるまで
坂本九の「明日があるさ」を何度も歌う
そして、わたしは
ぬいぐるみを抱きしめて
またあしたね、と耳元でつぶやく
ぬいぐるみは汚れて古いタンスの匂いがする
ぬいぐるみは眠らない
黙って暗闇を見つめている
SONO― 園 井上良子
かさね かさなる
はなびら かおり
ひらき はじめ
はなの なかの
ばらのそのなかに
はなむぐり
はなむぐり
きんいろの
かふんにまみれて
みつをすう
ひとには けっして
できないことなのよ
わたしはせめて
おちてもかおる
はなびら ひろい
ゆぶねに そっと
うかばせましょう
嫁に行く 白根厚子
青空に赤とんぼが飛ぶ頃になると
馬が引く荷車に 嫁さんがちょこんと座り
嫁いりの行列だ
唐草模様の風呂敷で箪笥を覆い
数人の男たちが、荷物を押さえていく
家から、嫁ぎ先まで坂道を下り、
また、坂道を下りていく
向かいの山は、鉱山の選鉱場だ
大煙突から煙が出ていた
西風に吹かれていく
男たちの唄が朗朗と続く
夕暮れていく空に一筋の赤い雲が浮かんでいる
女は嫁に行く……
冬至の日だった
18歳の娘が嫁に行くという日
朝から、雪が降り続けている
もう、膝たけまで雪がつもって
あの子はどうするだべか
おばさんは、さきほどから心配している
何としたことか 雪がやまない
娘は、山間の村、農家に嫁に行くのだ
嫁さんのかっこうしたって歩けねべさ 馬は使えない
数日過ぎてから
おばさんは、嫁さんの成り行きを聞いてきた
裾からげて、もんぺをはいて、足袋履いて
わらぐつ履いて
雪の中を歩いていったって
たくましい嫁さんだ
布団を包む緑色の唐草模様が浮かんでくる
―かあちゃん、なんで嫁に行くんだべ
―生きるためだ みんな生きていかねばなんね
悲しんでばかりでは、生きていけねのしゃ
まだ、納得ができなくて、雪をつぶてにすると
軒下のつららにぶつけた
何でかな 嫁に行くって―
いまだにわからない、嫁に行くって
お墓の中でじいちゃんが笑ってる
死ぬまでの課題だと 78歳の女がつぶやく
朝 佐倉圭史
海に近い小さな町で
ひとりの主婦が、スペイン風の
色彩豊かな玄関を清掃している
彼女には、数々の皿に施された青い模様が
海の一部に見える――確信された視覚によって
波打ち際と玄関の距離が、同じ色彩で
どんどん埋まる様な感じと共に、確信されたあらゆる美しさの
虜となりながら、充実の午前の仕事を進めていく
今年の残雪 二〇二一年三月の雪 安森ソノ子
幼い頃 スキーに興じたふるさとへ
ハンドルを切り ひた走る
八五〇メートル余の峠を越える十八歳からのスピードに
京都市街の朝は見守る 無事に山道を登れよと
峠を越えた地点から 裏日本の気候
帰村した街で働く気疲れ多い女主人は
里山の地底からの声につつまれ
明治時代に祖父の造った栗林へ 一人で歩む
陽の全く当たらない木陰に 真冬の残雪の広がり
澄んだ大気を友として
人も動物も寄せつけず
私を迎えた雪の精の輝き
少しの汚れもない残雪の表面を
手で一払い 奥の固さに驚くが
ザクザクとした凍った手触りの雪を
「天然のかき氷よ」と口に頬張る
かすかな声で
「コロナ禍の大変さ 天空のはてまでも届いていて……
だから汚れなき木陰の主と共に
貴女の そして昔からの知人の安否を知ろうとしているのです」
とささやく風の揺らぎ
両手で 掘りすくい上げた残雪を
桜花満開の鴨川のほとりから帰村した首筋にあて
雪笹の自生する地の 一点になっていく
舞踊「淀君」によせて 安森ソノ子
小谷城址を訪れた日から
聞こえる 近江の国の山城で生まれた茶々の声
本名は浅井(あざい)菊子(浅井茶々)として成長した三人姉妹の長女が
炎上する城の中で最期を迎えることを 誰が予想できたであろうか
父・浅井長政は 妻の兄・織田信長に攻められ他界
母お市(小谷の方)も 後に再婚した柴田勝家は戦いに敗れ
夫と共に自ら命を絶った
共に舞踊の舞台に立ってきた師である風月舞家元は 舞う
淀君の現世での身になりきって
時代に翻弄されて尚 自己の意志固くもち 豊臣の志を貫こうとする情念
気位高く生きぬく気迫が
私を歴史の怒濤の奥へ ひき込んでいく
子と家臣と一丸となって立ち向かい
戦国時代の勝者の砦を守りぬこうとした日々
「淀君」と呼ばれる身となりてからの想いの丈は
振り付けの雅と時代の嵐の底に ひときわ流れ
創作舞踊の振り付け舞う師の鮮やかさ
絶命の瞬間 白い絹の衣装むなしく
倒れる淀君の内なる叫び
鑑賞する息のむ胸で 炸裂する
四十代で絶命を選ぶ道を 戦国の世は背負わせ
それでも後世で〝悪女〟と評される淀君の
母親ゆずりの美貌の生涯
小谷城 大阪城は
あまりにも震える権力者の苦の姿に耐えてきて……
釜ヶ崎公民権運動の旗 来羅ゆら
なんて時代遅れなんやろ
なんて野暮なんやろ
色あせてしもうた
いのちがぱたぱたと声をあげている
捨てられた粗大ごみ
古びて壊れた家電
ほころびたソファー
鉄壁のバリケードを背に
ラーメンの匂い
おっちゃんが挨拶をする
うまそうやなぁ
おう
(この旗の写真撮ってもいいですか)
顔を見ないでおっちゃんが頷く
きょうのいのちのねぐら
背中で掃除しながら
おっちゃんの沈黙の横で
釜ヶ崎公民権運動の旗がゆれる
はらはらとゆれる
風にそよぎ幽かにゆれる
古いか?
ながいあいだ風に吹かれて
雨に打たれて
よろよろとはためいて
それでも
強い向かい風が吹くときは
凛と立ち上がり
あの空に翻る
あの空に 翻る
失語症の夢 来羅ゆら
失語症の夢は
緑のプールに浮かんでいる
重力を失ったから
水底から
世界を見ることができない
遙かの大地を夢に見る
地上に
脚をおろす場所がない
そもそも
脚がない
百年生きた赤ん坊
生まれたばかりの老女
言葉など
なかったのかもしれない
あかねいろの空
鼓動を頼りに手をのばす
失ったものなど
なかったのかもしれない
定点を持たないからだは揺れ
消えたことが溢れる場所で
誰かが迷子になり
大声をあげて泣いている
兵隊の行進が
雲の上を行く
足音だけをのこして
流れる涙が
零れ落ちる
目を閉じ
時を閉じ
からだを
揺れにゆだねる
だれ?
遠くでなつかしい声が呼んでいる
声に向かって
両手をのばす
さがすかたち
もとめるかたち
遠い原初のかたち
はじまりの
かたちが
揺れる
ひとみとひとみの出会う処 白井ひかる
新しい絵の具で描いたような朝だ
薄水色の空に浮かぶ雲は
光を含んで白く輝いている
車は坂を下り切るといつもの信号だ
だが目の前で黄色から赤に変わった
今日もハズレだ
きのう仲間からさんざん
上司の悪口を聞かされたけれど
今日も続くに違いない
信号からふと目をそらすと
すぐ横の高速道路の橋げたに
ずらりとヒヨドリが並んで
羽を休めている
・・・
ふと下を覗くと
信号待ちの車が一列に
整然と並んで停まっている
一台の車の運転手がこちらを見ている
渡りの朝だ
出発の合図を待っている
目の前に広がる海峡に目を凝らした
きのうの予行演習
波状飛行*がなってないと
部隊長からこっぴどく叱られた
ほかのみんなは上手く飛べるというのに
ハヤブサの急襲をかわすため
すばやく部隊は集結し
大群となって海上すれすれまで急降下し
また上昇するのを繰り返す
仲間との息を合わせろ!
部隊長から何度も檄が飛ばされた
頭の中で繰り返しシミュレーションしてみる
・・・
信号が赤から青に変わった
鳥たちはいっせいに飛び立ち
車は次々に走り出す
地中の奥深くでは
マントルが緩やかに流れている
*波状飛行 短く羽ばたいて上昇した後、翼を畳んで滑空する飛び方。
筋肉の使い方が断続的になりエネルギー消費など生理上の
利点がある。
埋葬 葉陶紅子
横たわる若き裸身を 画布の上(へ)で
飢餓とチフスで 殺しゆく筆
肉削げて 顎角(あご)尖り頬そそり立つ
男(おのこ)のごとく 黒髪は切る
乳房のみ遺して 胸は8本の
肋骨浮かせ 老媼となす
腸骨の浮きでた下腹 出血斑
肢(あし)爛れさし 骸骨(むくろ)となせり
死人(しびと)さえ凍つく曠野に 横たわり
裸身となって 朽ち人を思(も)う
酷寒の曠野に彳(た)ちて 血をたどり
なれが遺骸(かばね)を いま埋葬す
深き穴凍土にうがち 端坐せば
昼空のすえ 星はまたたく
繭空 葉陶紅子
身を破り 朱の肉片となり踊る
濡れ羽色の空 血と火の夜宴
身を焦し 火焔と燃やす膚(はだ)ゆえに
腺から出でる ぬめる滴り
傷口ゆ 柔らかき翅生ひ出でて
滴る夜は 子のごとく抱く
翅広げ 傷の口よりすり抜けし
あちらの空を ぬめる滴り
指先ゆ 繰り出す糸が描く空
破れし〈時〉を 彩かに紡ぐ
彩かにも 見えない糸で紡ぐ空
膚(はだえ)は恋ふる 永遠(とわ)の螺旋を
見上ぐれば繭かかる空 虹色の
風になびくを 4月と名づく
通信票の空白 斗沢テルオ
目の前に赤茶けてしまった一枚の通信票
青森県天間林村立中野小学校三年
担任女教師М先生からの通信票
1学期通信欄
―他人に対する批判が鋭く、自分のやることは
何でも間違いないと思っているお子さんです
2学期通信欄
―真面目にやっていますが、どこか陰気な暗い
感じがします。あかるい子にさせたいものです
3学期通信欄
―あかるいお子さんにさせてください
(あゝこんなことしか書いてもらえなかったのか)
家庭からの
1学期連絡欄
―朱肉が汚れたままの雑な確認押印のみ
2学期連絡欄
―朱肉がかすれ辛うじて判読できる確認押印のみ
3学期連絡欄
―押印もなく空欄のまま
母は口数が少なく主張することもしない
いつも何かに耐え忍んでいた人だった
空白の連絡欄―もしかしたら
〝私は私なりにこの子を育てています〟
58年の星霜経た通信票前に
母が母なりに育ててくれた私が今ここに居て
もうすぐ古希を迎える
信じている 阪南太郎
「どの花もみんなきれい」
そんな歌をたくさんの人の前で
大声で歌いながら
自分の庭の花には
「早く芽をだせ」
「早く咲け」
と吸収しきれないほどの水をやる人
いないよね
自分の庭の白く咲いた花を
こっそり赤に塗る人
いないよね
信じていいよね
虫たちが
大好きな季節に大好きな歌を歌うように
私たちも
咲くべき時に自分の色で咲いていいよね
仏さま 中島(あたるしま)省吾
仏さま、私を助けてください
私は平日昼間から暇でしんどいのです
仏さま、助けてください
東京オリンピックは中止か無観客が痛々しいのです
楽しみにしてた東京の人がかわいそうなのです
コンビニの募金箱に入れました
北向きのお地蔵さま
私をお救いください
仏さま、感謝です
朝のセールでスーパーの寿司弁当が美味しかった今日です
知的障がい者なので
日本では
お母さん死んで独りぼっちになったのに
年金とかが出て
コロナの影響を受けていません今日この頃のお日様です
仏さま、四十歳の
私をお救いください
友達の北向きのお地蔵さまにも
よろしくお伝えください
泥棒猫 中島(あたるしま)省吾
わりかんわりかんひまわりのボクの青春
ボクゥはいっぱいいっぱい恋をしたい
ボクゥのスタンスはいやなことあったら無視して「負けた」と言う生き方
きがよわいよわいひきひきひきこも
気の弱いA型じゃなく、気の弱いAB型のねばねばしんきしょうのおたく
ボクゥはまだチューボーだ
ボクゥには好きなおんなじクラスの同級生がいる
名前をゆうかちゃんという
彼女ゆうかちゃんには彼氏もいる、彼氏もまたおんなじクラスの同級生だ
もう御手上げと想って全部あきらめてボクは無視していた
今日は日差しが暑い冬のひまわり
好きな女の子のゆうかちゃんの彼氏は進学塾に通っているんだ
今日は進学塾の冬のひまわり
駅から電車の中、駅から塾の前までやつらは一緒だった
ボクゥは知らんぷりして後ろを歩いて帰った
ボクゥハヤツノ塾の近くの家
タンポポが咲いていた
ゆうかちゃんがやってきて
かわいーと言った
ボクゥはゆうかちゃんの髪の毛にタンポポを刺して
お姫様みたいと言った
ゆうかちゃんはにっこり嬉しそうだった
今は夕方、もうすぐ夜
昼間とは違い寒い雨が降ってきた
濡れちゃうよとボクは折り畳みの傘をあげた
ボクはお
ボクはお
泥棒猫
今ゆうかちゃんはボクの家でボクを見つめてる
大地が揺れて
雷が堕ちる夜だった
妹と仲良くなった
帰れないゆうかちゃんはお母さんに危険じゃない気の弱い男の子の家で泊まるわ
大丈夫だから学校には明日、ヒッキーの家から行くと電話した
妹と仲良くなった
深夜になり
今ゆうかちゃんは電気を消したボクの部屋でボクの瞳を見つめてる
ボクはお
ボクはお
ボクは泥棒猫みたいだ
いとこのゆかこ 中島(あたるしま)省吾
ゆかこのためだけに神戸に僕は住んでいる
いとこの慶介の妹だ
僕のいとこだ
僕は嫉妬している
ここは生まれ変わった別次元の同じ僕
パラレルワールドだ
ゆかこは田舎から出てきて
神戸の高校に一人暮らしで通っている
パラレルワールドの僕は病気じゃなかった
神戸湊川の大通りに僕はゆかこを発見した
君だけのために
田舎を離れ僕は神戸に住んでいる
前の(現世の)宿業が消え
現世である前のパラレルワールドで苦しんだ
(今の時代、前世である現世の罪滅ぼしで苦しんだあと
病気という障害の罪が消え
病気じゃなかったパラレルワールドの自由の身の来世の同じ僕は)
歩道橋の上からゆかこの名前を叫んだ
ゆかこは歩道橋の下の大通りの歩道に誰かほかの男といた
僕はゆかこを追いかけた
とある日、ゆかこの付き添いの類で鳥取県の高校総体で
車で保護者ばりに駆けつけた僕はゆかこを学校に送ったあと
そのあと、昼食に
鳥取の薄暗い雑居ビルに一人ぼっちで入った
大人の商店と書いてあった
エレベーターで適当にさ迷い
たまたま、六階に降りた
薄暗がりの六階はゲームセンターだった
階の端まで行くと風俗店があった
ウインドウテラスから鳥取の都会の街の景色が観える
風俗店が端にあった
小さな本の販売コーナーもあり
僕の本が入り口に売っていた
パラレルワールドでも、僕は作家だった
夏の葬送 升田尚世
桟橋をひき返す
ベンチの横に
釣り人が捨てて行った魚
小さく弧を描いて
放れば
空
海浜公園の上空は
旅客機に引き裂かれながら
遠い高さで美しい
サーフボード図柄のTシャツで
見上げた顎の角度のまま
マルボロをくわえる
芝生の途切れたあたりを
ズック靴で軽く蹴って
明日のことを考える
あの日から
すべての夏が永遠だ
満ちてゆく
溢れてゆく
そうやっていつまでも
笑っているのだ
あなた
山手工場のサイレンが鳴った
向かいの主人が
店先の篩(ふるい)をしまい始める
高校生は自転車で行き過ぎて
格子のうちの暗がりで
わたしは夏を見送る
演技 ハラキン
二人の男が胸倉をつかみあって膠着している。どちらも右手で相手
の胸倉を時計回りに搾りあげて 左手ないし左腕は遊軍。隙をこじ開
けようとしている。男Aは男Bの眼をカッと見開いた眼で睨み 男B
は目線を男Aの胸倉あたりに精妙に下げ 禅僧のごとく半眼。半分は
情況を把握し 半分は己の心を凝視している。そこへ 二人の男の膠
着を胡散臭そうに見ながら 腰が九十度以上曲がった老婆がゆるやか
に通り過ぎた。
人間というものが 自身の演技から逃れられなくなったのは なぜ
か古代ギリシャ悲劇以来という。男Aは眼をカッと見開いている限り
表層の演技からは逃れられない。つまり演技をほどくわけにはいかな
い。心まで身動きがとれなくなったので、遊軍の左で男Bにボディブ
ローを入れた。それを合図に舞台は暗転。
たちまち 腰が曲がった老婆にスポットライトが当たった。老婆は
暗い客席に向かって 人間の演技の始原について 滔滔と語った。
次いで老婆の脇を 一本のピンスポが走り 三歳ぐらいの女児が現
れ 光を浴びて 歌い始めた。
人間というものの 演技の不可思議について詩篇で騒いでいるのは
ハラキンぐらいではないか? と投げかけると同時に俺の演技も容赦
なく始まっているのだ。
幻想 ハラキン
床の地紋に吸いこまれ 幻想 いや実相 いや真相は起ちあがる。
どう見ても 古の欧州の 小国の女王にちがいない。女王の国に 俺
は蕩(とろ)けて遊ぶ。
近所にある勇猛な雑草野は おそらく近代から いつまで経っても
変わらない。いつまでも何十種類の雑草が 春夏秋冬につれ 青々と
なったり 枯草となったりを繰り返す雑草野なのか どこまでも。
不定期に 音のうるさい草刈機を 地主が操っているのに出くわす
が いくら刈っても雑草野は雑草野。堆積して折り重なって出来たあ
ばらやを近視眼的に覗くと なにやら豊かな世界が発酵している。ど
うぞ中へお入りください。小さい卓袱台にきわめて小柄な老植物学者
が 雑草という植物は無い と甲高く蚊のように呟いた。
このお伽の国を二十五、六年前 わが愛犬シェットランドシープ
ドッグが 元気に蹂躙した 何度も蹂躙したことを想い出した。彼女
はとっくに死んでしまったが偶像は元気だ。メロディという名で凛々
しい顔をしていた。メロディのことを想い出したら 世界はメロディ
だけになる。メロディが満ちたらみんな踊る。そのように幻想も実相
も真相もこぞってフォークダンスを踊る。
枝葉 ハラキン
台風にはげしく身をよじらせているのは すでに二十五
年以上のつきあいになる枝葉A。書斎の窓からいつも見え
るので つきあい と言った。風に鼓舞されて荒馬と化し
た枝葉。
世界の枝葉となりそうなところ 世界は枝葉となりおお
せて インターネット生命体の枝葉と限りなくオーヴァー
ラップしてみせた。
どこまでが生命で どこからが生命なのか 枝葉となっ
た世界では 混迷を極めていった。もう三千万年もこうし
て生きている って空を飛べる爬虫類は もう二十五年以
上も書斎の窓から眺め続ける者に告白した。
三千万年ものあいだ もちろん単体で生きながらえてい
るわけでなく 生まれ変わり 死に変わり 生まれ変わり
死に変わり 生まれ変わって三千万年になったというだけ
の 気が遠く遠くかなたへと伸びるノンフィクションが
瞑目して伸びる。
新左翼の友だちがジグザグデモでデモンストレーション
するというので ブルースギターが上手い友だちと見学し
に行った。因みにブルースギターの友だちは 十二、三年
ぐらい前に 枝葉の世界を恨みながら死んだ。新左翼の友
だちは 反動概念と革命概念とを止揚したあげく 実は同
居させたまま ジグザグデモへと突入したことを 白けな
がら話してくれたあと 「デモに入れよ」と恥ずかしそう
に呟き どこかへジグザグして去った。書斎とブルースギ
ターは青年にありがちな 迷って迷ったあげく日和見を決
め込んだ。というノンフィクションの枝葉を 今し方書斎
は語った。
地の祈り 笠原仙一
この地の底に脈打つもの
この時の流れに脈打つもの
夜露のように 降り注いでいるもの
命あることの 温かさ
命あることの 真実
静かに静かにこころ澄まし
静かに静かに 手を合わす
静かに静かに万象見つめ
静かに静かに 想いを馳せる
二人だけの物語り 笠原仙一
辛い冬を越え
蕗のとうの春になっても
真実も笑顔も 奪われてさくら
あなたと 二人
朝に目が覚め 交わすキスは
今日も命があることの喜び
二人で生きてきた四十三年
乗り越えてきたあとの 温もり
不思議 力 二人だけの 物語り
ゲンゲ畑 牛田丑之助
二人 ゲンゲ畑で花を摘んだよ
そんなに離れなくても大丈夫
患者のベッドはカーテン一枚で隔離され
毎朝消毒液を噴霧されるから
母の墓前に供えるように
君にどれだけ摘んだか見せるから
君も胸いっぱいにゲンゲを抱えて
競争をしよう
谺が響いて 君は静かに線路を跨いでしまうけれど
昨夜の夢が花咲くから
それを静かに撒いてくれればいい
やっぱり笑うんだね 栗鼠が頬を団栗で満たし
君は引潮と一緒に空の裏側へ戻っていく
でも忘れないで 何でもするから
耄碌した婆ちゃんの店で消しゴムもくすねて来るから
ゲンゲの束が世界にそっと置かれて
架空のミツバチが別離を祝福してくれても
今はもう少しだけ近づいてくれないかな
君の顔を黒い印画紙に記録できるくらいに
ほら 紫の風が吹いてくる
ゲンゲが痛みを代わりに感じてくれるように
笑って揺れるから
さよならをする前に手を握って
だめなら小指でもいいから
棺桶を背負って来る女 牛田丑之助
女たちが棺桶を背負い列をなして歩いて来る
棺桶の中身はそれぞれ異なるが
しかし皆姉さんかぶりで
自分よりも大きい棺桶を背負って
賽の河原を踏み生死の峪を越え三途の河の浅瀬を渡り
廃線列車に揺られて都会までやって来る
そして棺桶の中の骨だか屍だか青春だかをできるだけ高く売り
空になった棺桶を背負ってまた昼にも闇夜の村に還って行く
我が家にも棺桶を背負った女が来る
そして物も言わずに棺桶を玄関先で降ろし
こちらが値段を言うまで無言のまま動かない
次元の歪みの黒い穴が蹲(うずく)まり
家中の空気が油になって澱んでいく
だから早く去ってもらうために適当な額を言い
棺桶の中身を購入するのだが
一昨日は女の陽に焼けた肩甲骨だった
先週は筋肉がみっしりついた二本の薬指だった
そういえば幼児の踝が入っていた時もあった
どれも食べるには臭みが強く捨てるには気が引けるので
床の間に並べてある そこは小さな地獄だ
しかし家族の誰一人もう来ないでくれと言えないので
女はまた数日たったら棺桶を背負って我が家の前に立つ
こちらで死人が出た時に買い取ってくれるかというと
それはしない 穢れているかららしい
だからうちの床の間の地獄はどんどん充実している
旅へ出ようぜ ベイベー 牛田丑之助
旅へ出ようぜ ベイベー
お前の鉛のような鰐革鞄は俺が持ってやる
重いのはさすがに母親の首が詰まっているからだが
そしてホームの突端に立ち
警笛とレールの継ぎ目を渡る音が聴こえたら
軽くキスなんかしてみようぜ
蟹の運転手が目配せし
やっと来たぜと俺がお前の手を引いたら
さあ 旅の始まりだ
どこに行くのも どこにも行かないのも
全て俺たちの手のひらの中にある
だから無制限の自由を馬鹿らしく消費して
あらゆるものを駆逐するんだ
俺はお前の首筋を噛み
お前は俺の陰茎を捻り千切る
何という甘美なひと時だろう
何という焦燥の時間だろう
子供の頃にこんな夢を確かに見た
だから行こうぜ ベイベー
もうすぐ発車の晩鐘が鳴り響くから
お前はお前の寂寥を踏み飛ばして
俺は俺の悔恨を握り潰して
遅れないように捕まらないように
脊椎反射で後ろ向きに跳び乗れ
彷徨 牛田丑之助
ぎゅ ぎゅ 音を立てて
ニコちゃんの砂浜を
黒い駒下駄をひとつずつ両手で下げて歩いた
私の踵はひび割れていて
ニコちゃんの砂さえ沁みるのだが
前を行くあなたは歩みを緩めてもくれない
絣の着物の裾が乱れ
羊毛の渦巻く私の黄色い脛が露わになるが
誰もそんなものは見ていない
ねえ 私はあなたに呼びかける
地獄があったら二人で一緒にいけるの
すると
極楽だったら?
風に乗った答えが私の息を止める
この人はそんなことを考えていたのか
私の汚血色の絣を誉めもしないで
三時間かけて作った二百三高地髷を愛でもしないで
人を信じる虚しさはとっくに忘れてしまったが
ああ それにしてもこの足元の
ぎゅ ぎゅ はどうにかならないか
ニコちゃんが呻き 嗤っている
おかげで今夜は長く重く底なしの夢を見そうだ
沖を渡った双子岩からの突風が吹きつけ
私は吹き飛ばされそうになるが
よく考えれば既に吹き飛ばされ
くるくると螺旋に回転して
地面に叩きつぶされた蛙だった
いつ旅は終わるのか
いつあなたは振り向いてくれるのか
それさえわかれば
三味線を弾いて他人様の枕元に立たずに済むものを
アスリート2 フィギュアスケート女子 中西 衛
選手の名前が呼び出される
スケートリンクの真ん中に出てとまる
軽音楽「真珠の首飾り」が奏でる
細くひきしまった肢体に
薄紫いろの衣装で身体をつつんだ選手が
ゆっくりと滑り出す
晴れやかな顔が紅潮し
かすかに微笑む
一度踏み出せばもう後戻りはできない
ほんの数ミリのエッジで全重量を支え
途切れさせてはならない図形を描き出すのだ
彼女らを輝かせるのは数字で表される得点ではない
音楽との調和だ
多彩なスピンも そしてもちろんステップも
音楽の中から生まれ
彼女の持つ演技が内側から絞り出てくる
長い髪がなびき しなやかな手 足
セクシイな輪郭を浮き上がらせ
情熱がほとばしることになる
滑走で一番難しいのはジャンプだ
トウループ サルコウ ループ フリップ
ルッツ アクセル など多々あるが
フィギュアスケートほど華々しい失敗を
観客の前で曝さねばならないスポーツは珍しい
何しろ尻もちをつくのである
誤魔化すのは難しい
平気なふりをして立ち上がり
転んでロスした時間などなかったかのように
観客には演技や競技感を感じさせない
肢体 衣装 滑走 音楽が一体となって
二次元 三次元の世界を表現する
超演技が観客にどれほど感動を与えるか
これほど素敵なスポーツはない
義理の姉の死 田島廣子
あんたが亡くなって メールを見て
わたしは焼身自殺をしようとしたくらい 苦しみもがき
あんたの墓で
あんたとは、墓に一緒に入らへん
わたしは、恥じらいもなく言っていた
あんたに、愛人がいようが、
あんたの子かも、知れないなんて
シングルマザーかも知れないのに
どうでも、いいことだったのに
焼くぐらいなら、優しくせえー
あんたの言葉が、かなしく聞こえる
*
帰りに義理の姉が「廣子ちゃん」と、
呼んだが、返事もせず振り向かなかった
それが、義理の姉との最後になった
六か月後 義理の姉は死んだ
わたしの家の留守電にぷつぷつと、
血を吐く音が残っていた
わたしに、電話をかけていたのだ
沖縄から、解剖に医師が来た
食道から胃にかけて潰瘍があり
胃は穿孔していた
*
「生きているとき聞いときたいんやけど
おかあんが、死んだら
おとおんと、一緒の墓に入るか」
「そうね お嫁には行かないから」
「あーあー 良かった」
と、息子は、言った
<PHOTO POEM>
水の化身 長谷部圭子
昼下がりの水たまりに
いのちの根源をみつけた
ゆらゆらと 輝く水面
そっと 蹴ってみた
ぐるぐると 濁る水面
静かに 耐えて
落ち着いた水面に戻っていく
水は知っているのだな
我が身を愛おしむ心を
ただ慈しむことの 尊さを
この愛おしむ心が
自らの命をつないでいくことを
おかしな会話 吉田定一
これ! 朝食抜きの昼食よ
すべてあなたの健康のため
じゃ 昼食は?
昼食抜きの 簡単な夕食で済ましましょ
じゃ 夕食は?
夕食抜きの朝食よ
朝でもないのに 朝食か
眠ってもいないのに もう朝か!?
夕暮れも 夜もない
夢見る 夢もない
夕暮れ時の楽しい一献(ひととき)と
〝さよなら〟したくないね
(健康のためとはいえ
残り僅かな時間に添えられた ひと時の楽しみ……)
なに言っているのよ ちゃんと一日
三度の食事をしていてさ!!
だけど ウイスキーを水で割るように
「楽しみ」を「健康」で薄めないで欲しい
だれのものでもない 吉田定一
手のひらをぱっと開いて おんなの子
このテントウムシ だれのものでもないの
さっき あのアジサイの葉っぱに止まっていたの
おじさん! いる? いらない?
「だれのものでもないって」いいね
放して 自由にしておあげ!
テントウムシ テントウムシ
ひとりのものでないところへ 飛んでいけ!
両手を広げて拡がっているあの青空のように
瞳に映る山脈(やまなみ)の風景のように
だれのものでもないっていうことが
なんて素晴らしく尊いことなんだろう そしてそのことが
だれのものでもあるっていうことに
無邪気に咲いている あなたのこころの花のように
(若き時代が夢見た理想社会に おじさんを還らせる)
生きていこう おとなになっても枯らさずに
咲かせていてね だれのものでもない花を
自らの手で摘み取らないでね 摘み取らせないで――
いのちのプラットホーム 吉田定一
ホームに列車がすべり込むと ふわっと
沸き立つ風に 吸い込まれるような気がして
一歩 後退りすることがある
宙に浮いているような軽い身なので
そのまま風と一緒に いのちが
列車に巻き込まれるとも限らない
二十歳そこそこの姉が みずから列車に巻き込まれて
いのちを果てたのも 苦しみを軽くして
微風(そよかぜ)となり こころ戦(そよ)いでいたかったのだろう
誰だって 一度はある!?
風に運ばれていくような 身の軽さで
頭上の青空に 身を潜めていたいと願うことが…
ああ 夢幻(ゆめまぼろし)の向こうから
ホームに滑り込んでくる列車――
ドアが開いても だあれも乗客はいない
移り変わる車窓の風景に 過ぎし歳月を重ねていると
走る列車の遥か遠方で 見覚えのある駅が
ぼおっと霞み浮かぶ
あそこよ 行き先はと いのちが呼びかける
背負った人生の哀楽を下ろすのは あの駅か
身軽になって 心地よく吸い込まれていきそうだ…
もしかしたらあの駅は 神さまの罠かもしれない
安易に執着を脱ぎ捨てて 安らいではならぬ
何処からか車内アナウンス声
――まもなくいのちのプラットホーム 終着駅
――誰(だーれ)もいない淋しい駅だな オレは降りないよ!
(ちょっと外に出ただけというのに…)
ずいぶん遥か遠くへ来たものだ
現在(いま)という時間を乗り継ぎ 乗り継いで
何処へ行こうとしていたのだろう
道 水崎野里子
道は輝く
道は白い
花々の道
星屑の道
長く歩いて来た
長く夢見た
喜んだ
悲しんだ
道
プラタナスの道
チューリップの道
たんぽぽの道
竹の道
大風
大雨
傘が飛ぶ
髪を乱す
道
道が途切れれば
道を探した
わたしの道
あなたの道
獣道
崖道
わたしの前に
道はある
すこやかに伸びる
一本の道
これから歩いて行く
どこまでも
すこやかに輝く
わたしの道
夢の道
好きなように いまも 関 中子
歌って
好きなように
やがてシャガの花も咲くでしょう
杉の末(うれ)もうごめくでしょう
忘れていた
あのなつかしい
両腕いっぱいのみやこわすれ
溶いて
春にふる雪
淡く生まれても
泥の歌も 芽吹きの感嘆も
小鳥のついばみも
人の吐息も
匂肌も
いまも
短い時を飾ろうとして
紫の色を変えずにいくたびも咲いて
旅を続け 人の生まれを尋ねているよ
なにひとつ 夢とも幻とも晦(くら)まさず
忘れ路の そのみちゆきは
きらめいて人を奪い
いまも
歩いて
名づけられずとも
好きなように 望むように
何をかなして
名づけたものもゆく
名のないものへと朽ちる
いまあるところの
果てをしるし
終末期 方韋子
酷使しすぎた あまりにも
もう、地球は悲鳴をあげている
そのことに気がつかないで
いつまでもいまのままでいられると
思っていた
気がつくのを待っていてはいけない
それは人類最期の日になるだろうから
昔、火星人の姿を想像して
火星は酸素が少ないからという理由から
蛸のような奇態な動物を描いてきた
その姿こそ人類の終末期の姿であったのだ
人類は生殖器と悪知恵という脳の一部のみを肥大化させ
ピンポイントで敵を始末できる人類は
ピンポイントで人類を救えるか
戦争という共食いをしながら
生きるために
自らに制約を課すことができるか
はっけよい
のこった
のこった
遮断機 平野鈴子
ホームドクターとして二十余年
高齢の両親にこころ砕く日々
医師とは懇意な関係だった
が「夜中に急変したら」と尋ねると
救急車で行って下さい
のつれない言葉
ささやかな期待は一瞬に音をたててくずれ
気まずいつながりとなりクリニックを去った
遮断機の警報音がひびくなか
連呼する私の名前をきいた
先生は手をふり立ちどまって私を待っていた
膠原病になってしまったよ
免疫にかかわる病気なんだ
ターミナル期で時間が残ってないんだ
かけることばが見当たらない
慰めることもできずにうろたえた
手を取ることしかできなかった
医師が患者になったとき
一人の人間として病気の孤独さをはじめて味わったのではなかったか
自分の病状を掌握せざるをえない残酷さ
医師ゆえに心のごまかしも通用しない
プロフェッショナルの美学へのみちのりは
謙虚で多くの患者をすくい支えた
この時二人の間に言葉なき許しを感じとった
ふりむくこともなく手をふり白髪まじりの
孤影が遠のいていった
無力な私は雑踏の中をただ見送るすべしかなかった
お地蔵さんのある町で 平野鈴子
天理教教会の太鼓がひびく
換気扇からとどく鼻をくすぐるうどん屋のだしのにおい
古長屋から歯をけずる音がもれてくる歯科医院
お地蔵さんをお世話する人拝む人
たえまない線香のけむり
仕舞屋(しもたや)のとなりは男仕立の和裁のいえ
機械の音で景気もわかる莫大小(メリヤス)屋
否応なしの異臭をはなつメッキ屋
子供が常連客の駄菓子屋はあたりがでたと大はしゃぎ
のーんびりと時間がながれる
まるでジオラマの町のようだ
よう切れるようになりまっせー の包丁研ぎ屋
傘の修繕おまへんかー
冷えてるワラビ餅どうでっかー
やかん・鍋の修理致しまっせー の鋳掛屋(いかけや)
古漬けだっせーおいしおまっせー の伊勢香こ
地蔵盆に浴衣すがたのお子達は
「冷やしあめ」をのみながらおかしを頂けるのを待っている
焼いも焼いもの声と香りに反応して財布をにぎり
リヤカーに寄ってくるオバチャン達
中央市場の川魚屋のぼんさん達の自転車
大軍団の列がチリンチリンと鳴らしながら
どん突の住込の家に吸いこまれていく
玄関先で餅を搗いてくれる「賃搗(ちんつ)き屋」
男衆の餅搗きのいせいのいい掛け声
ハイ、ハイ、ヨォッ、ヨォッ
手なれた搗く・餅をかえすのはやわざ
女衆は手ばやく餅をまるめ鏡餅や丸餅に仕上げる
この町はもろもろの声が通りすぎる
丁寧なくらしかたがあった
物を大切につかった生活
今は手をかけることを手放したごじせい
張板(はりいた)や伸子張(しんしばり)*をつかう女性達の姿は今はない
悉皆屋(しっかいや)*の暖簾も看板も風化してしまった
大手をふっている当世の断捨離
いつまでも物を捨てられず
始末をかたくなに守っている人もいる
*伸子張 着物を解き洗って伸子を打ち引張って
ふのりをつけ乾かして仕上げること
*悉皆屋 染物や洗い張りをする店
たゆとう桐の小箱 平野鈴子
京の骨董市で私のこころに
迷うことなくはいってきたふしぎな風
小さな箱のふたには赤い糸巻に白菊が色付されている
中には小さな鈴が七個はいっている
灰桜色・サーモンピンク・桜桃色・紺色
オールドローズ・縹(はなだ)色・鴇羽(ときわ)色の
絹の細い紐がついている
このもちぬしにはどんな日々のくらしがあったのか
ちらさ雨のとき犬矢来のある石畳を
下駄の音をひびかせ通りすぎたのか
川面にせりだした枝垂桜が花びらを
吹き散らされ寂しさを味わったのか
香(こう)を聞いているとき坪庭からメジロの声がつたわったのか
細面のひとだったのか
すぐきのぶぶ漬がが好きだったのか
そんな過去に見果てぬ思いをはせる
七色の紐は時代を感じるほどに色あせていた
目を閉じて桐の手触りをたしかめてみる
それは別世界のいいようのないぬくもりの
質感だった
「今はわが枡掛(ますかけ)*の両手のてのひらに
ねんごろにおさめられていますから」
*枡掛 手のひらの中央を横に貫いた手の筋。 長寿の相といわれる。
きっと、きみはいたはず
――百メートルランナーのきみに 増田耕三
Rよ、
とある高校に合格したと聞いた
あれから十年以上、過ぎたね
よちよち歩きのきみの手を引いて
きみが父母(ちちはは)と暮らしていた
アパートの近くを歩いたが
なんのことはない
気がつけば自分自身が
幻のように溶けていくばかりである
会うことの許されない歳月があり
そしてこれから
私が冥界に旅立つ日までも
会うことは叶わないかもしれないと
覚悟している
でもね
きっと、きみはいたはず
深刻ぶるでもなく
軽んじるでもなく
月日は流れたけれど
催促 増田耕三
何も書けなくなるときがある
しばしば
すると
――何か書くことはないのかね、おまえさん
詩から催促される始末
――あれやらこれやら、いっぱい詰まっていたはずだが、
いったいどこへいってしまったのかい
と、詩は容赦なく畳みかけてくる
こんな時は忍の一字
そういえば若いころにはよく使ったな
《忍の一字》
忍者の忍でもなかったはずだが
忍ぶ二人には
似合っていたのかもしれないね
忍を破って出て行ったのは女
忍を破らせて出て行かせたのは男
ただ
遠くで懐かしい匂いのする
風が吹いていたのを
・・・男も女も気づかなかった
黒雲と夾竹桃 増田耕三
黒雲の中にある夾竹桃の家で
馴染み深かった人の手料理を食してから
ふたたび現世にもどされたのか
気がつくと
美容室へ行った妻を待つために
量販店で時を費やしていた
彼方の山並みを
雨足が走っているのが見えた
帰ることのできない食卓で
私は何を見ようとしていたのだろうか
――(四十年以上も前の食卓)
澱んだ水道水の匂いがこもり
それでも命の炎が宿っていた
今でも覚えている
山の形をした焼肉の道具
スマートとは言い難かった焼き器
焼かれた少量の肉のことなど
そうか、雨足が走っていたのは
あの小さな焼き器にあった峰だったのかと
いまさらながらに得心するのである
私の中をまたしても
雨足が走りぬけていくようだ
いわしの雲 山本なおこ
ホームがごったがえしていると思ったら
人身事故があって電車が遅れているという
アナウンスがあった
ざわめき
溜め息
いらだち顔
ついこの先の駅で
つい何分か前に
自ら列車の中に身を投じた人
どこの誰か 考えもおよばないが
その時 その人の脳裡を横切ったのは
何だったか
ラベルのボレロの序章でも
モネの睡蓮の光でも
一群のコスモスの、花でもなかっだろう
そんなものでは決してなかったろう
もしかしたら
家族の顔でさえもなかったかもしれない
しかし もし
それらのうちの一つでも
くっきりと心にあったなら・・・
果たしてその人はホームから
身を翻したろうか
放物線さえ描けないこのちっぽけな空間を
暗い淵だけが見えたのだ
底知れない暗い淵だけが
迫り上がって見えてきたのだ
人々は遅れてきた電車に
そそくさと乗り込み
ぎゅうぎゅうづめの箱にうんざり顔
だが
あすは我身かもしれないのだ
私もそのひとり
私はいつか見た美しいいわしの雲を
けんめいに想いながら
呪文のようにくり返さずにはいられなかった
人生は捨てたものじゃない
昨日 今日 明日
人生は捨てたものじゃない
まわりの景色がぼやけた
くらあんと体がつんのめった
私の葬送曲であるのに違いなかった