180号 記憶・ことば・モノ
180号 記憶・ことば・モノ
- 無人の家 青木はるみ
- 朝の光 岸田裕史
- かかと 升田尚世
- 同情病 吉田義昭
- 一番星の下で 白井ひかる
- チャタテムシ 斗沢テルオ
- 鬼ごっこ 来羅ゆら
- だれだって休息したい 関 中子
- 年賀状と国旗 平野鈴子
- 日米甘辛問答 平野鈴子
- 地下鉄御堂筋線淀屋橋③番出口 平野鈴子
- 花々のように ―星野文昭絵画展(豊中)より― 藤谷恵一郎
- 炎 吉田定一
- 「ノンフィクション100%」 ハラキン
- 真っ白な大きい ハラキン
- 地か演技か ハラキン
- 食べることに ハラキン
- 野鳩が空を ハラキン
- 覆われている ハラキン
- 僕は信じる 阪南太郎
- おのずからの道と希望 笠原仙一
- 「だ」の覚悟 笠原仙一
- 四畳半の孤島 牛田丑之助
- 日付けのない記憶 牛田丑之助
- 路傍 牛田丑之助
- ベイビーベイビー 牛田丑之助
- 呆ける 中西 衛
- <PHOTO POEM>年輪 長谷部圭子
- <PHOTO POEM>浮雲 左子真由美
- フットレスト 加納由将
- 節分 根本昌幸
- 兎少女と蜥蜴男 葉陶紅子
- 相聞 葉陶紅子
- 公園のからっぽベンチ ――コロナ時代の中で 水崎野里子
- もみじ葉に寄す 水崎野里子
- 律儀な季節のただ中で 下前幸一
- 自身への恋文(ラブレター) 山本なおこ
- 触れる 尾崎まこと
無人の家 青木はるみ
――真夜(まよ)の雨
踏みてぞ帰る
落葉かな――
こんな言葉が口をついて出た
外燈だけを頼りの無人の家のドアを
そおーっと静かにあける
いま 落葉を踏んできた私という存在は
何(なに)なんだろうと思う
三木清は『人生論ノート』の中で
――虚無(きょむ)は むしろ人間の条件である
それなしには
人間は考えられぬものである――
と言っている
――コスモスや
闇のなかにぞ
咲きぬべし――
あちこちの部屋の
電燈を全部つけてから
ふたたび何(なん)だか五七調のことばがうかぶ
台所でお湯をわかし ぼんやりし
ウェッジウッドの紅茶を飲む
この紅茶の贈りもの用のパッケージは
苺と淡いピンクの小花
まるで生きているような緑いろの葉脈で
埋められているので
ほっとする
それから小指をキザっぽく はねあげる
――雨の音
ティーカップの皿の
青い薔薇(ばら)――
朝の光 岸田裕史
薄く透明な炭素フィルムをすかして
朝の光を見つめる
青い電流に流された影のひとつが
単位格子に収められている
昨日までの接触抵抗を忘れ
生きたまま
朽ちてゆく眠りにつく
電極にふれると
結晶軸のあかりが灯り
N極の電子が放出されているのがわかる
朝もやの中に冷たいホウ素があふれ
あの人の影が映しだされる
その影のすきまから
朝の光がもれ
イオン結合がくずれていく
わたしの影もデバイスにつまずき
単位格子から流されてしまう
円弧を描いて見えなくなるC軸曲線
先細る思いをあてにせず
ぼんやりした迷いを振りはらう
ここまで来れば静電エネルギーなど怖くもない
これから電極の先端に移動し
波数空間に朝の光を投げ入れる
かかと 升田尚世
かかとを失くした
あれから
店頭に並ぶ
パンプスやサンダル
夕べの記憶の岸にさえ
つま先を差し入れてみるけれど
かかとの辺りであきらめて
(ひとつふたつ季節のまえ
この足を愛おしく懐に抱えて
男は温めたのだったか)
裸足のまま
アスファルトに揺らぐ
初夏の木蔭に脚を踏み入れ
人混みを抜ける
ワンピースの裾が
旗のように白く翻る
わたしは前のめりに
つぎつぎと歩を繰って
隣町まで
その向こうまで
ズンと頭を突き出して
越えてゆく
小石だらけの坂の中腹で
流れのはやい雲を見上げた
風が砂ぼこりを巻いて
小さな湾に
正午の陽が照り返す
(耳の奥のほうで
男が爪を切るのが
聴こえた)
つま先でしゃがんで
少し泣いた
同情病 吉田義昭
懐かしい時代から吹いてきた風
振り返ると青空の下に不安げな町
ここで生きる人への愛おしさ
私の暮らし方まで透けて見えます
傾斜のきつい長い石段を登りきると
明るい墓地への方角を見失います
西か東か南北に進む道か
私は楽しんで道に迷っていたのです
あなたは生きている人が歩く道を
私は死んだ人が通る道をと呟き
私が立ち止まっていると妻が
暖かな風と一緒に現れて来ました
この十字路で時代と時間が交差
私の影と妻の影が寄り添い
ここから妻が生きている人の道を
私が過去に消えた道を歩くのです
死んでも悩みごとは尽きないと
昨日 新盆で家に帰ってみたら
家中に憐れみ悲しみ涙の匂い
あなたが拾ってきた同情がいっぱい
足の踏み場もなかったと妻が笑います
町中に可哀想が落ちていましたが
私は拾って来た覚えはありません
身体についていたのかもしれません
妻と暮らした町での想い出が風に揺れ
私が誰かの不幸を背負ってしまうと
妻は歩く道を間違えてしまうのです
私も強く生きようと決意しますが
同情を拾っていたわけではありません
捨てられた子猫や子犬を探して
息を切らしながら墓地に着くと
妻はそっと自分の墓に隠れに行きました
一番星の下で 白井ひかる
車窓を流れていく街並みは
徐々にその色を失い始めている
どうやら日没が近いらしい
昼間の物語は
これでおしまい
夜のページがめくられて
あちらこちらに明かりが灯るまで
街は束の間息を潜める
遠く
オレンジ色の仄かな光で
縁どられた山の稜線は
姿かたちを変えることなく
ずっと視界についてくる
西の空一面に横たわる
なだらかな黒いシルエット
天を仰ぐ君は
もう静かに寝息を立てている
君は今 何を夢見ているの?
高い胸の頂きの辺り
ポツンとひとつ
一番星が煌めいた
もうすぐ漆黒の夜空に紛れて
君が姿を消すまで
僕も共に眠ろう
チャタテムシ 斗沢テルオ
書棚から懐かしい文庫本
田山花袋「田舎教師」の頁をめくる
旅順陥落に沸き立つ日本の片隅で
病に伏してしまった自分の不甲斐なさを嘆く
主人公清三
その世話をやく萩生さんをかつて
〝野心がない〟〝種類がちがう〟と
自分の相手には物足りない男とみていたが
富国強兵の時代にあっても誠実に慎ましく
日常を生きている彼をやがて
〝今にして初めて平凡の偉大なるを知る〟と
病床で心あらたにする
と 頁の中に小さく動くもの
虫眼鏡をあててみると まさに虫
極小のそれでも確かに動いて生きている虫
すぐさま調べてみるとどうやら
チャタテムシというらしい
どこから引っ越してきたか
昭和30年1月の文庫初版から半世紀
すっかり赤茶けてしまった頁と頁の
樹木の温もりに包まれ
「田舎教師」の世界に棲みついた―
極小のチャタテムシ
遼陽占領の歓呼の声をお前も聴いたか
〝国に報いることもできず〟にいた
清三の苦悩に寄り添ったか
〝不平も不満もなく〟生きていた萩生さんの
偉大なるを知ったか
誰が名づけたかチャタテムシ
時代時代の新刊並ぶ書棚の奥深く
森羅万象にも忘れられたかのように
今日もひっそりと息づいている
〝 〟内は小説より引用
鬼ごっこ 来羅ゆら
カンタの鬼ごっこは
ほんとうの鬼が出てくる
カンタが鬼ごっこをしようというと
ドキドキした
カンタに追いかけられると
逃れられない
カンタに捕まると
路地の奥につれていかれる
カンタは女の子を塀に押し付けて
ズボンをスカートに擦りつけた
カンタはかなしい目をして
口もとから鬼の息を吐いた
カンタの母を近所のおばさんは
あの めかけがといい
うちでは祖母が
あの 手かけがといった
カンタは突然 消えてしまった
家の前に古い卓袱台や割れた茶碗
カンタの擦り切れたズボンが
傘の横から覗いていた
おとなたちが囁く 夜逃げという響き
カンタは私の夢に後ろ姿であらわれた
夜の暗闇の中をひとり
カンタはどこまでも逃げ続けていた
だれだって休息したい 関 中子
かくれて
山陰で横になっている
人に見つけられ恐れられるのを恐れる
風よ
波を立たせないで
風の波を立たせないで
平らに横たわっている
とても疲れてしまったんだ
この数日 休みなく騒ぎまくって
地上を我が物にしようと略奪を重ね
圧倒的破壊力を持続し
そのうえ
ゆったり進みつづけた
わたしが持てるはずのものをみんな使った
使い切った 雲になって
今朝はだれもきのうを覚えていない
そのふりがやさしさになる
細く薄い 薄い雲
残り風に応えず
眠る
山陰に隠れ
今夜 一晩中
雲を忘れていておくれ
年賀状と国旗 平野鈴子
顔をうかべ声かさね
一年を達者で暮らせる思いを込める年賀状
オフィスのドアをノックし新しいご縁を手にした日
三回目の彼女からの賀状は届かない
もうサヨナラ? だなんて
私の心は折れてしまった
病気が完治した人
逢いたいと伝えてくれた人
単(ひとえ)・袷(あわせ)の字が読めない若い人
息子が独立してひとりになった人
ダイエットしてきれいになりたい人
今年こそ着付をマスターしたい人
家業を継いでくれたとよろこぶ人
夫の定年で夫源病になった人
なぜか気になるヘビースモーカーの画家
はいはいが円熟した処世術の女将
三人の友人は来年から欠礼との添えがき
なんと寂しくせつなくひびく
元旦の郵便受に何度も足をはこんでみる
ときめき心のたかまり
抑えられない期待感
あと幾度得られようか
ほのぼのとする一通
他家は国旗を掲揚しない
我家の当然は違和感さえ感じる昨今
三が日の朝日に誇らしくひるがえる日の丸
目ざとくみつけた注連縄(しめなわ)の稲穂にチュン
むらがる ついばむ たわむれる
取りちらかした籾殻(もみがら)が御慶を表している
雀の姿なきあとは
早咲きの水仙のかおりがたちこめている
日米甘辛問答 平野鈴子
家族みんなでウエルカム
ホームステイの留学生
今夜は鯛・鮪・イカの造り
口には入れてみたものの
えずいてのどを通らない
彼の口もと凝視する
目には涙があふれてる
朝はパンにたっぷりのピーナッツバターがお気に入り
ヨーグルトもコーンフレークもかかさない
コーヒーにバナナ
トンカツは美味しいと親指を立てグー
納豆は「変(へん)」といい臭い臭いと笑いころげ受け付けず
ラーメン・ギョーザ・カレーは大好きで
柿は手首を回してまあまあという
おでんのコンニャクはこの世のものと思えない舌が笑ってしまうだけ
鰻の蒲焼で目尻がさがりデリシャス
ちりめんじゃこは目がにらんでいて恐いデス
カステラは甘くて彼のお気に入り
豚マンの皮の食感「変」という
神戸ビーフのテンダーロインにご満悦
餅の磯辺巻は黒い紙とエンドレスのかみごたえがこれも「変」
葛切りの繊細な味わいは胃カメラのむようでギブアップ
彼の勉学熱心には驚いた
四ヶ月の短期留学を終了帰国
昨年ひさびさの再会
ヤンキー青年は二人の息子の父となり
大学教授でご活躍
私のボルテージは上がり毎日の食事と昼の弁当の写真をとり
記念に持たせた二十年前
息子のような疑似体験の貴重な時間
遠い日から老いが加速する日本の母
見送る駅で
次男の幼い少年は車イスから手をふった
両親と長男の優しい眼差しがそそがれていた
それぞれが明日の希望を生きる
二家族の人生模様
地下鉄御堂筋線淀屋橋③番出口 平野鈴子
深夜にうなされ目をさます 汗ばんでいる
何十年も経ているのにあの緊張感が尾をひく
書類の再確認・印鑑捺印
上司からの注意で悩まされることも
身につけている時計は午前三時をさしている
長い風霜(ふうそう)と仕事との運命共同体
名脇役をつらぬいてくれた時計達
オイスターパーペチュアルデートの防水時計
デ・ヴィルの手巻時計
ステンレスのダイレクトタイムの自動巻時計
サファイアのシンボルマークの手巻時計
みんなアンティーク時計になってしまった
悔しさと無念を味わった日
スランプの辛酸(しんさん)も知った
新しい靴が三日ですり減った日
パワハラもなめてきた
セクハラにも遭遇した
土佐堀川の川面の風が
柳と四十路の女(ひと)の髪の乱れを悩ませながら
水草をも安治川へと流していく
上昇気運のあのとき
ワインレッドのアタッシュケースが
パートナーだった
わたしが最もビィビィッドに輝いていられたのは
あなたがたのお陰でした
地下鉄御堂筋線淀屋橋③番出口に帰ってきたときの安堵感
なぜか大和川を越えると不安になったわたし
いつもカフェで倒れ込むようにソファーに疲れ切った身をしずめ
ウェッジウッドの黒と金のボーダー柄の
バラの豪華なカップで
香り高いマイルドなウィンナーコーヒーを
飲ませてくれた粋な店主がいた
修理代が捻出できぬ年金生活
逡巡したが時計を手放すことにきめた
愛着と惜別の中に佇む
新しい持主に寄り添ってほしい
角膜となり
心臓となり
腎臓となり
肝臓となって
わたしの時計達よ
きっと次の人々をも全力で支えてくれるだろうから
アデュー
いま香ばしいほうじ茶を飲む手には廉価な
蛇腹のバンドの時計が正確な時を刻んでいる
花々のように ―星野文昭絵画展(豊中)より― 藤谷恵一郎
命を奪われても
命の救いは奪わせない
心を殴られても
命の救いの枠組みは壊させない
魂を捨てられても
魂の救いの姿勢は捨てさせない
毟られても
切られても
花を咲かそうとする花々
のように
炎 吉田定一
炎 1
ろうそくの炎が消えるとき
一瞬 明るくなるように
さ・よ・な・ら
あ・り・が・と・う
の ひとこと ことばの炎を灯して
逝った 義姉(あね)
ほんの少し まわりの悲しみを
和らげ 明るくした
炎 2
燃え 燃えている
感情をたかぶらせるように
燃え上がる炎
ああ 揺れ燃え立つ炎のように
激しく俺は燃えてきたか
あったような ないような…
炎の上で 俺が踊らされていたような
風を避け 燻ってきただけではなかったか
アッチッチ アッチッチ
燃え 燃えている炎
炎 3
燃え 燃えている
「焼ける」という事象には
燃え焦げたりして あとにモノの痕跡を残す
「燃える」とは 火がついて燃焼する現象だ
燃えて灰になって モノの痕跡の跡形(あとかた)も残らない
整理した恋文を 燃やしてしまうように
遠くから好きな人を 悶々と焼いていては……
たとえ失恋の憂目に会ったとしても
愛の炎の燃え尽きるまで 燃える
愛憎の跡形(あとかた)も残さないまで―
後は静かに 愛の炎の火の消えゆくのみ
(「焼ける」「燃える」のことばが 諭している)
ただ想い出だけは 痣(あざ)のように胸に
焼け残る と
「ノンフィクション100%」 ハラキン
「ノンフィクション100%」という題名のテレビ番組が
始まった。生まれてから今に至るまで演技というものをし
たことがない。「演出」や「ドラマ」という言葉の意味は
わかるがまったく実感できない。自分を格好よく見せよう
としたことがない。そしてとどめは嘘をついたことがない。
という素人の男が身じろぎせず立って本番を待っていた。
カメラが回った。男は交差点を歩き出した。するとこの
男 激しく痙攣し始め まもなく消えた。撮影カメラに
セットされた人工知能が 彼を電気的な圧力で画角から弾
き出したらしい。オーディションに応募した際の自己申告
が嘘と見抜かれたのだろう。
出演予定(すでに「出演」などと語彙が狂いだしている)
二人目の素人の女が カフェの席に座った。派手でもない
地味でもない。なんらかの主張というものが微塵も感じら
れない服装。テーブルに運ばれたコーヒーに右手を伸ばし
た。とたんに彼女も激しく痙攣し始めた。コーヒーを飛び
散らしながら まもなく消えた。
真っ白な大きい ハラキン
真っ白な大きい皿には 何も食べものが無かった。その
ことが彼のイメージと欲望をかきたてたらしい。幼児は
皿の上に好きな食べものがあるかのように 手をのばして
お皿の上で食べものを掴み 食べる真似をはじめた。その
ジェスチャーが母親との飯事という遊戯につながった。
二歳にならない人間が 或る特定の真似をする。「真
似 マネ」ということばを知らなくても それを生き
ることが あきれるほど幼いときから 人間にはでき
るということ。
右手に持ったスプーンで 左手に持ったお椀のなかの見
えない食べものをすくって 母親の口までもっていくと
母親は口を大きく開けて 食べて咀嚼する。幼児はふたた
び同じ動作で 見えない食べものを母親に与える。母親は
時々 おいしい! と叫んで破顔する。
ここで起こっているのは 食べている真似だけではな
い。幼児が母親役になって 幼児役の母親に食事を与
えるといういわば演劇の原型も。人間とはこんなにも
役者だったのか。
見えない食べものだけど じつは何も無いことを 幼児
はわかっている。母親は咀嚼するが 食べるふりをしてい
ることを 幼児はわかっている。食べることにまつわる
「遊び」が今はおもしろい。「ふり」という言葉は知らな
いけれど 上手にふりをする。「遊び」という言葉も知ら
ないけれど すでに遊んでいる。
真似や演技がいっさい出来ない人間はいるのか。真似
や演技をいっさいしない人間はいるのか。ノンフィク
ションだけの人間はいるのか。フィクションだけの人
間はいるのか。
地か演技か ハラキン
地か演技か。俺はいま ただたんなる一生活者なのか。
或る役柄を演じる役者なのか。この疑問を解くためには人
間という社会的動物の本質を どこまでも探っていかなけ
ればならない。
人間というか人類というか その進化のどのあたりの段
階で演技というものをするようになったのか。たとえば
ネアンデルタール系なのか クロマニヨン系なのか。仮に
クロマニヨン段階から演技を体得したことが判明したとし
よう。以来 現代の人類に至るまでそれは演技を駆使する
歴史であったのだと。
しかし問題はそこから枝分かれする。そして解が見出せ
ない底なし沼を潜っていく。人類という種は演技する動物
であると規定できたとしても 個人としての人類には い
まは演技していない或いはめったに演技しない つまり地
の状態もけっこう多いと想像されるからだ。
台本が無い。演出家が存在しない。観客もいない。とい
う条件で 即興的に演じてみようということになった。ど
んな役柄にするか。俺は父親がタクシードライバーだった
ことを思い出した。影のあるしぶい人物像を出しやすい
じゃないか。着古したジャンパー姿で長距離客を狙う個人
タクシーという設定で行こう。
さて この即興劇がうまくいったとしても 「なぜ人間
は演技をするのか」という巨大テーマの解答にはつながら
ないだろう。因みに「地」も「演技」も 俺が持っている
反対語対照語辞典には 単語すら掲載されていなかった。
食べることに ハラキン
食べることに一生懸命でない生きとし生けるものは人間
の富裕層だけであると教わった。哺乳類 爬虫類 両生類
鳥類 魚類 昆虫類 細菌類 植物 みんなじぶん及び子
どもの食べものの獲得と じぶんの血を継ぐ子孫をのこす
ために生きているらしい。
森の枝先にのぼって 獲物をじっと待っている。「忍耐
強く」などと人間的に待つのではなく 死んだように待っ
ていて 哺乳類(たしか人間も含む)が下を通りかかると
間髪入れず落ちて 哺乳類のからだにとりつき 口で突き
刺して血を吸う。ダニ全力の吸血。言っとくが遊びじゃな
い。他方 あきらかに遊ぶことが報告されている生きもの。
公園のすべり台をすべり しかも何度かすべる。そんなカ
ラスもふだんは燃えるごみ置き場で 執拗に食い散らかし
ている。これは遊びじゃない。
ハラが空いたから歌っているのではない。求愛活動であ
ると教わった。じぶんの血を継ぐ子孫をのこせるかは 朝
の雑木林に響かせるさえずりの美声にかかっているのだと。
ウグイスの若い雄は 来る日も来る日もさえずりを特訓し
ている。ホウホケケキョキョ などとまちがった音数とメ
ロディを修正できず 雌に無視され 子孫をのこせぬまま
老いてしまうこともあるのだろう。
野鳩が空を ハラキン
野鳩が空を僅かに飛んだり アンテナ塔の足場に戻ったり
また飛びながら昆虫を食べたり また足場に戻ったりする
のを眺めていると こんなことを繰り返しているのが「飽
きた」みたいな鳥の主観が俺に入ってきた。空を飛ぶ鳥が
空を飛ぶことのなにやら無意味な感じに薄煙のような嫌気
を抱くことは やばくないのか。
S・フランシスの絵画の前で息子が「こんな絵だったらオ
レも描ける」と 父親の俺に言った。俺は反論しなかった。
こんどはJ・ポロックの絵画の前で息子が「こっちの絵の
ほうがいい。でもオレも描ける」と。瞬間的な嫌気を感じ
ながら あしながバチとカマキリが死闘するような幻像が
浮かんだ。
大伽藍が偉そうに建っている古寺の金堂は 修復のための
覆屋にかくれ その金堂と回廊のあいだに 修復工事の
(こっちのほうが偉そうな)縄張りが居座っている。古代
と現代の同居にしびれた小学男子が写真をたくさん撮って
いる。しかし縄張りが現れてから如来や菩薩側の強い嫌気
が漂うようになった。ブルーシート 鉄パイプ 材木群
カラーコーン バリケード とどめはハイライダー。嫌気
がしびれるぜ。
幼児の俺を「諦めて」夜逃げし 数年ぶりに俺に会いに放
課後の小学校にやってきた生みの母。再会の舞台は跳び箱
の倉庫の片隅だった。ヒトシ ヒサシブリヤナ ゲンキカ?
本当の息子だからあたりまえだが おっ呼び捨てか いや
当然か? でもちょっと偉そうだな などと嫌気のような
ものが微量だが生じたのを思い出す。
覆われている ハラキン
覆われている
地球がウイルスに覆われている
生老病死の
病むことにむきあう 死ぬことにむきあう
マスクで覆われた人類の顔
フェイスシールドで覆われた人類の顔
覆われている
人類は暴力で覆われている
銃を乱射しよう
顔を踏みつけよう
核弾頭を飛ばそう
そして略奪するのだ
いまや真実と嘘は
手の平と手の甲の違いでしかない
人類よ
或る世界が存在する
地もなく 水もなく
火もなく 風もなく
太陽もなく 月もなく 星もない
現世もなく 来世もなく
来ることもなく去ることもなく
もはや死ぬこともなく
生まれ変わることもなく
拠りどころもない
それが苦悩の終わりと*
涅槃の展望を
聖者は告げたが
その声は
生真面目な青年の弁論に
掻き消された
流れ者の
ウイルスたちが
人類の飛沫でさすらって
いままさに俺の鼻の孔から入った
*『自説経』より
僕は信じる 阪南太郎
ある人は言った
人間は言葉を持ったから
武器をつくったと
それは事実だろう
人間が言葉を持つ前は
武器も基地もなかっただろう
それでも僕は信じる
武器を地球から消すことができるのも
言葉だけだと
辞書も鉛筆も
武器を無くすために使うのは
僕たちの義務だよね
百舌鳥がいろんな声でさえずるのは
恋人になって
と誰かに言うためだって
人間の言葉も同じだよね
となりの国の言葉も
地球の裏側の言葉も
文字のない言葉も
誰かを傷つける噂を流す道具でも
武器をつくる道具でもなかったはずだよね
僕たちの言葉も
お友だちになろう
けんかしても仲直りしよう
恋人どうしになろう
と誰かに言うための道具だよね
だから僕も書き続ける
愛の詩を
おのずからの道と希望 笠原仙一
突如の新型コロナウイルスへの恐怖で
人間様は右往左往 お陰で 隠れていた
魑魅魍魎の正体があぶり出され
万全と思えた大統領や首相までもが失脚した
この出来事と同じように
どんなに魑魅魍魎がこの国を闊歩し支配し脅しても
度重なる天変地異や原発の惨事への恐怖で
再生化エネルギーによる循環型社会への希求の流れは
もう止められない 再び大惨事が起きれば
日本中汚染され この国は滅びる
高浜や美浜の原発を再稼働するか否かの問題は
福井県だけの問題ではない ましてや地方の一町議会が
原発の再稼働を許可する権利などどこにもない
我が命はいとおしい 子や孫もかわいい
平和で仲よく自由に生きたい 暮らしたい
そんな素朴な 我らの願いは
どのような時代が来ようとも 止められない
もう止められない
「だ」の覚悟 笠原仙一
六十五歳からの十年と 若い頃の十年
時間は同じ十年の筈なのに
死を怖れてしぼんでいこうとする心はなんなのだ一体
忘れてはいけない 流れている時間は同じなのだ
悩み苦しみ 希望と絶望に震えながら
長く感じた十代の頃の時間と同じ時間なのだ
手術の時 僕の心臓は二度止まった
その時 僕の全ては完全に消えた
もう自分ではどうすることもできなかった
そして分かった 覚悟し 居直った
止まったら止まった 死んだら消えるだけ だ と
この 生かされ復活した命を燃焼させよ
感謝し手を合わし みんなのために生きよ
死を怖れては何もできない 創造の喜びに燃え上がれ
時よ 命よ 自由よ 集中せよ
この与えられた時を惜しめ この命を惜しめ
この自由を惜しめ この心を惜しめ
己よ 友よ 人よ 命あることを惜しめ
四畳半の孤島 牛田丑之助
家中の座布団を重ねその上にボクは乗った。そこは絶海の
孤島でボクはその島に一人島流しなのだ。だからと言って
大声は挙げない。挙げると四畳半中に声が響き母さんが飛
んできてうるさいとボクを殴るに違いないし、そもそもこ
の島は周囲には全くほかの島影もなく、大声を挙げたとこ
ろで誰にも聞こえないからだ。ボクはこの世でたった一人
だ。そう思うとなぜか心が雨の日のように落ち着いた。こ
の島で一人で暮らし一人で死んでいくのだというのは自分
にぴったりのように思えた。なぜなら座布団七枚の外の世
界も結局は同じようなもののくせに、そうじゃないと誰も
がボクに説教するのだが、ほんとはそうじゃないとボクは
知っていたからだ。だったら最初からウソがなくきっぱり
と一人の方がよほど気持ちがいい。ボクはクラスの背が高
くショートヘアの彼女のことを考えた。彼女にももう会え
ないのだと思うと、寂しいというよりもむしろドキドキす
るのだった。彼女はボクのことを思い出すだろうか。いや
思い出しはしまい。なぜならクラス替えがあるだけで好き
な子は毎回変わるからだ。だから新学期になればボクのこ
とは自動的に消滅するに違いない。であればこの島にいて
消滅しても同じことで、やっぱりその方がよほどすっきり
とする。そうして世の中の誰からも忘れられていく、それ
がボクの心から望みだった。なんて「充実」しているんだ
ろうとボクはこの間覚えたばかりの言葉を使ってみた。実
際これほどまでに満ち足りたことは生まれてから一度もな
かった。完全なる孤独。完全なる消滅。完全なる忘却。た
だ問題は身体の重心を少し動かすと七枚の座布団のバラン
スが崩れてしまうことで、そうならないようにすると自然
に孤島の断崖で荒れる沖を突風に吹かれている気分にもな
れるのだった。
日付けのない記憶 牛田丑之助
祭礼でもないのに人びとが群れ
無言のうちに同じ方向へと歩む
その先が滝壺か奈落か袋小路かも知らぬまま
押し押され 整然と雑然と歩調を揃えて進む
明日は何があるのだろう
未来は悲愴なのか神の栄光なのか
笛に踊らされるネズミのように
個ではなくまとまりとしての生を浪費し
こうして
日付けのない記憶ばかりが増えていく
尿道カテーテルでだらだらと垂れ流す命に
どれだけの意味があるのか
考える勇気もないし時間もない
ただあるのはループした疲弊的な議論と
アニメーション効果に凝ったパワーポイントだけだ
それが生の本質と掛け離れていると
脳内の合わせ鏡の間で合点しても
手立てを打つ能力も気力もすでにない
そして
日付けのない記憶ばかりが増えていく
日付けのない記憶は 記憶のない日付けだ
だから答えの出ない四次元不等式のように
私の頭の中はいつまでも溶け続ける
路傍 牛田丑之助
土埃の立つ昼下がりの酷暑の路傍に
秘密のアッコちゃんのお面をかぶった幼女が
内股で立っている 卒塔婆のように
向日葵は太陽で
夾竹桃は鮮血なのに
幼女とその周囲は色彩を失った世界だ
君はどこの家の子かと問いかけたいが
答えが戻ってくる気がしない
そもそもお面の漆黒の二つの穴の奥に
瞳はあるのか
あったとして私の姿は映っていたのか
村の全ての住民が死んで
彼女だけが生き残ったというなら
まだ話の辻褄が合う
しかし村の静寂は人がいない事すら判然とさせない
夏の陽射しは無音の音をたてて降り注ぎ
私の身体から水分と生気を少しずつ吸い取っていく
幼女には元からそんな成分はないのかもしれない
早くこの微かに振動する磁場から立ち去らなければと思うが
しかし幼女が動かない限り私の足は止まったままだ
そして灼熱の中で全ての輪郭が徐々に希薄になる
ベイビーベイビー 牛田丑之助
ベイビー 視姦しあってるかい
隣の奥さんがベランダでレースの下着を干すのが見える
それは倖せの黄色いハンカチのように
青空にたなびいて あんたの気持ちを引き立ててくれる
視姦することだけが人生じゃないと
高野山へ向かう南海電車に乗る山吹色の袈裟を着た僧侶の群れは目配せするが
知ったこっちゃない こちとら若いんだ 未熟なんだ
だから奥さん その下着を一枚くれれば
頭にかぶって ヘイヘイ ツイストダンシング
ベイビー 弛緩しあってるかい
残業で疲れ果てたお父さんが向かいのOLのスカートの中を覗いている
それは神々の峻厳な預言のように
金襴たる夕空に響き渡って 明日への活力と前科一犯を約束する
弛緩するだけが人生じゃないと
十九歳で起業し二十五歳で全ての株をイグジットした慈善家が訳知りに諭すが
知ったこっちゃない こちとらパワハラに耐えてるんだ ローン地獄なんだ
だからOLさん もっと浅く座ってスカートの中身を拝ませてくれれば
拾った宝籤が当たったように ヘイヘイ ラッキーストライク
ベイビー 止観しあってるかい
実家の自室に籠りきりの四十歳のおじさんが十八歳に大丈夫だよと歌われて泣いている
それは最後の審判での地獄行きの判決のように
闇の中に皆既月食が浮かび 闇を一層深めて絶望の淵を踏み外させる
止観するだけが人生じゃないと
金髪に日焼けした肌で臍を見せるギャルが慰めなのか諫めなのかを与えてくれるが
知ったこっちゃない こちとら真実を知りたいんだ 不動の知恵が欲しいんだ
だからギャルさん 臍のほかにFカップの胸の谷間も見せてくれれば
釈迦の解悟を会得して ヘイヘイ ファンシーエキサイティング
呆ける 中西 衛
表面だって異常は見えないが
病状は進んでいるに違いない
病院通いは早くからはじまっている
きょうも大学病院へ
―行かねばならぬ
朝はやく満員電車に乗る
揺れる
―コロナ禍への用心
恐る恐る吊革につかまる
うらわかい女人は
長いシャツの袖の一部で
器用に吊革をつかんでいる
診察
医師はあいまいな言葉しか言わない
慢性病だからか
自分でも
自覚症状がないのでよく分からない
一昨年襲来の台風に――
どぎもを抜かれて呆となる
秋真っ盛り
萩にたわむれ コスモス揺れる
天高い錦繡の秋よ
野良犬のように横たわっている
生きていることの憂鬱
<PHOTO POEM>年輪 長谷部圭子
女の足に刻まれた年輪
柔らかく弾力のある脚
献身の果てに 固く強張った脚
つま先で 踊るように歩く脚
逞しく 軽やかに 時に重たく
意気揚々とした 若くリズミカルな足取りに
老いて 鈍く引きずるような足音が 重なって
調和のとれた いのちのリズムは
粛々と繋いでゆく
煌々とした 女の年輪を
<PHOTO POEM>浮雲 左子真由美
草原を
過ぎてゆく浮雲よ
ふるさとを
もたないわたしの
願いやあこがれの雲
大空を
飛んで行く渡り鳥よ
地上を
さまようわたしの
希望と夢のあしあと
流れるものよ
漂うものよ
はるかに高くあれ
はるかに遠くあれ
雲よ
鳥よ
フットレスト 加納由将
あれ
今日は映画を見に来たはずなのに
お化け屋敷にでもいくのか
ドアが開けられ
暗い通路に入っていくぞ
敷いてある絨毯も
壁もぼろいし
破れてるし
剥げてるし
あー、エレベーターか、そういえば皆エスカレーターで上がってたな
こんなとこにあるんだな
一番全国展開している
映画館なのに
これでいいの
マジで
出た出た、これで普通の通路だ、見覚えのある靴もあるぞ
これで合流したってことか
今日は飛び上がって足が暴れて蹴られる映画かな
節分 根本昌幸
おばあさんや
まっ黒に焦げた
豆持ってきておくれや。
さっきから ここに
変なのがいるんだよ。
赤い顔をしたのと
青い顔をした
二匹が。
生意気にも金棒を持ったりして。
危なくてしょうがないや。
それから角も生やしているわ。
ふんどしも着けているから
睾丸(きんたま)もあるんだろ。
今頃の季節になるとやってくる。
どこから来るんだろ
おばあさんや
まっ黒の豆だぞ。
これをぶつけてやる。
これには弱いんだ。
すぐに逃げていく。
だから誰も見たことがない。
見たのはこの俺だけだ。
兎少女と蜥蜴男 葉陶紅子
少女連れ 蜥蜴男はワープする
兎穴から 迷宮(ラビリンス)へと
最強の敵は 貴方の傍にいる
影という名で 少女は語る
トルソーになっても 手足顔生える
蜥蜴男は 不死身のキリスト?!
宇宙儀を緑(あお)膚に着て 顎を上げ
蜥蜴男は 半眼微笑
いずこにも 蜥蜴男はいていない
石の飛礫の 間(あい)に腹這う
らん・ら・ら・ら・らん スキップ少女のお供して
蜥蜴男は 日がな遊びぬ
仕事せず遊び暮らすの 大人でも
面白可笑しく 生きればいいのよ
相聞 葉陶紅子
いちじくの乳(ち)のふくらみに 羞じらいて
胸もとかくす かの子愛(いと)しや
なが乳のにおいつきたる うす衣に
顔をうずめて さかりする君
肌をかぎ からみ睦(むつ)びてもの言えば
情(なさけ)こき身と 知りそめし子よ
身の壮(さか)りふみしだかれて ひとり居を
乳触(ちふ)るたわれ男(お) なお恋いむとす
君見じと思いさだめて ひとり寝の
指恋しきに ほてるおとめ子
燃えいずる 夏山河のいのちさえ
うとましと思(も)う 身となりし子や
空色の花摘みおれる 子らかなし
古き夢見し 心ゆらぎつ
公園のからっぽベンチ ――コロナ時代の中で 水崎野里子
朝の散歩
公園のブランコの横に
からっぽのベンチが二つ
見つけた
朽ちた木の黒い茶色
濡れた色 ドブネズ色
きのうの雨に濡れたのか?
誰も座らない
子どものいない 朝の公園
コロナに気を付けて
密を避けてください
ポスターが貼ってある
そばの木の幹に 近くで
おじいさんが朽ちた葉を
集めている これは
いつもの風景
孤独の中でも
なんとか生きていくことに
生き続けていくことに
慣れ始めている みな
喧噪を避け
静かに生きていくのか?
老いと 慣れ親しみながら
これからも ずっと?
もう あのベンチには
座らない でも 古いと
朽ちたと 捨てないでほしい
静かに 老いた 老いている
なぜかいとしい からっぽベンチ
雑草を引き抜いて 帰る
あおい紫蘇の草を 見つけた!
小さな緑を植えよう 空き缶に
雑草集め このごろの趣味
もみじ葉に寄す 水崎野里子
もみじ葉の赤く燃えつつ秋来たり君無き里に秋の風吹く
秋の朝風の冷たく通りゆくわれ生きており朝の体操
腰を曲げ天を仰ぐはつらかりしただ見し空に薄雲のあり
公園の木々の色付き秋深し大気を吸ひて生きるたまゆら
われもまた大気にやがては合一す寒きに負けずわが風の息
老齢の友と毎朝体操す煩悩深くわれぞ生きんと
コロナ風再び感染グラフの上がる死も生もあり定めと見しも
はるかなる君の面影探りゆき赤き葉の中に笑顔見しかな
君いずこ秋風と共にさまよふか微笑み光り言の葉赤く
もみじ葉の風に揺られて地に落ちる血の色赤くわが命とも
儚かりし君が命をいとしみて今年も秋は紅葉さやかに
白き死の冬を抱きてあはれなる秋ぞ深くも風の吹きゆく
(二〇二〇年十一月十二日記)
律儀な季節のただ中で 下前幸一
二〇二〇年、秋
律儀に季節は色づいていた
乾いた路地に風が吹き
がらんどうの言葉は舞い踊り
一足ごとに崩れ落ちる道を
踏み外しながら歩く
不確かさと睦み合い
物思いごと
突然の空洞に落ちる
心乱れて
私は宙を舞っている
ワイキキビーチの歩道でマスク
黄色いガンジスの沐浴場でマスク
明洞の繁華街でマスク
人気のないシャンゼリゼでマスク
リオの貧民街でマスク
難民キャンプの簡易テントでマスク
テヘランの歴史地区でマスク
北朝鮮の闇市場でマスク
イオンモールの食品売り場でマスク
コロナパンデミックの
第三波の中空を
無口なマスクが馳せている
あちらにもこちらにも
派遣も政治家もマスク
ベトナム人技能実習生もマスク
仕事を切られた道端で
悲しみも夢もマスクの中
一枚9円の、使い捨てマスク
抗菌仕様のマスク
医療用高機能マスクに
ファッションマスク
舗道に濡れ落ちたマスク
ゴミ箱に捨てられたマスク
私はコロナを歩いていた
いつかの公園の遊歩道だ
時代は大きく揺れながら
変わること変わらないこと
とどめておくべきことをふるいにかけていた
懐かしい歌を私は口ずさみ
行くべき道を探していた
二〇二〇年、秋
律儀な季節のただ中で
自身への恋文(ラブレター) 山本なおこ
喜びでいっぱいのときは
こころのすみずみまで深呼吸して
今日という記憶の部屋でひっそりとしていよう
怒りでいっぱいの日には
ぞうさんのように足をふんばって
風の通りすぎるのを待とう
ありんこのように小さくなって
小さな涙を一粒落とそう
楽しみがふつふつと湧き上がる日は
生きとし生きるいのちに感謝して
そっと自身への恋文をしたためよう
触れる 尾崎まこと
君の額に今触れたのは
落ち葉ではない
そよ風ではない
雲間から洩れた陽の光ではない
指ではない唇ではない
面影でもない
あのひとのことばである
ことばだけが
触れることができる
君という孤独に