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163号 祈 り

163号 祈 り

白い杏の花のように老いて死ぬ夢   韓成禮(ハン・ソンレ)



夢を見た

月光の粉のような白い杏の花が咲きこぼれ

甘い香りがさらりさらりと心臓を嘗めていく
四月のある日の夜
月光の下で老いて死ぬ夢
脳天からゆっくり髪の色が白くなり
再び黒髪で覆われてきて
また白くなるのを限りなく繰り返すとき
月は何回も沈んでは再び昇り
昇っては再び沈む

白い杏の花に混じってかすみながらもたなびく白い髪
やがて杏の木と一体になって渦を巻き
月光の下で白一色の履歴にあえぎつつ従い
命を嘗めて食べる香りで道に迷う
月光の粉のような白い杏の花が足首をつかむ夜
最後までそこに立っている
白い髪をひょうひょうと舞い上がらせ
白い杏の花のようでもあり白い髪のようでもある
異化された木がそこに立っている

赤紫の牡丹   韓成禮(ハン・ソンレ)



私たちは毎朝盲目の漂流の中で目覚める。霊魂の片隅が少しずつ風化し
ていく古い遺物たち。その前ではただ忘却の塔を積み重ねる肉身の放牧
を無感覚に迎えねばならない。明るい光を発する超新星、今朝新しい星
一つが生まれて間もない。いや、それは死んで行く星である。闇を耐え
る営みの中で無化されていく星。爆発とともにものすごい光を発した後
に寿命を切らして永劫回帰という究極の門を探していくだろう。

きらめく星はみな裸である。その星にしばらく宿った魂が手を振りなが
ら去って行く。戻らないこだまのように光と闇の間に消える。永遠に繰
り返される過去、過去はすでに未来で点滅している。

男が帰ったその年の春、女は日ごとに牡丹の花を盗んだ。一輪ずつ折っ
て食卓に花を挿した。花が美しく見えれば女は年老いたのだとつぶやき
ながら。老木に咲いた高貴な赤紫の牡丹が ある日ふと女の視線を捉え
て放さなかった。万花の王、巫俗世界の統治者、ほれぼれと美しいその
花を恍惚と眺めながらぽきっぽきっと首を折った。

蝶のようでもあり、鳥のようでもある飛ぶものが 黒く光る海の上を音
もなく渡って行く。片方の羽がぬれていて苦しそうに羽ばたきしている。
その下の茫々たる大海を 櫓のない一隻の小舟が向かい風を切って進ん
でいく。生まれたばかりの星たちが 突然海にばらばらと降り注ぐ。
真っ黒な天と地の間には自ら体を燃やして輝く星光だけだ。

毎朝 盲目の漂流の中で目覚める。富貴栄華をたっぷり享受したかのよ
うに今日は赤紫の牡丹の花がしおれている。



   *巫俗:韓国の朝鮮時代からの民間信仰、シャーマニズム。
       巫堂(ムーダン)というシャーマンがクッという
       神を憑依させお告げを行う祭儀を行う。
       朝鮮の土着の信仰として、古代から現代に至るまで
       続いている。

海馬   宇宿一成



ささやかな防砂林を抜けると
砂地の奥に
黒い岩があって
その奥が海だ
岩の上には
引き潮が残した
さまざまな大きさの
潮だまりがあって
小さな魚や蝦が
石のへこみにへばりついた
海栗の棘の林に潜んでいる
海馬も小さな体を藻に絡めながら
磯の記憶を留めようと
小さなペンの形で水に文字を書いている

子どもたちは
磯の命と戯れている
小さな網で魚を追ったり
ペットボトルに蝦をとじこめたり
プラスチックのコップに
脱皮した蟹の殻を浮かべたりして

小さな潮だまりは
日に焼かれて
小さなものから乾き
そこにあった海の水の量に応じた塩の粒を
岩肌に残してゆく
跳ねた小蝦も
石の上で干からびてゆく

子どもたち、
この海辺をいつまでも覚えていて
砂浜が濡れた指を絡める足取りの重さも
汗と海のにおいのまじりあった
頬を刺す夏の日射しも
きみたちの脳髄に浮かぶ記憶の砦を
海馬と呼ぶことも

イスカリオテのユダ   吉田享子



イスカリオテとは「引き渡した人」を意味する
銀貨三十枚でイエスを売ったユダのことである

イエスはユダが裏切ることを知っていて
なぜ身近においていたのだろう

ユダは誰よりも熱くイエスを信じていた
この地を支配者たちから救うメシアとして
だが イエスの想いとはかさならない

――敵(かたき)であってもどこまでも大切にしなさい

トマス、ピリポ、ペテロたちも
イエスをほんとうに理解してはいなかった
イエスの孤独は 教えを説く虚しさは

自死を選んだユダ
もしもユダに良心がなかったら
歴史はとっくにユダを忘れていただろう

いまも
イエスの足もとにうずくまっているユダ
その肩にあたたかい手をおかれるイエス

イエスが生きた時代から二千年経っても
この世はユダであふれている

 哀しい目をあげる 私の中のユダ

穴のあいた空   たひら こうそう



いつまで待っても太陽の出ない空
屋根の上から 歩く人を睨みつける大きな目
だけが光っていた昭和二十年四月
召集令状が来た

毎日歩いていた塀の外の道から塀の中へ
さくらが満開のひろしま

練兵場を取り囲む兵舎は若者であふれていた
葉桜のころ兵舎を出ていった

武器を持たない若い兵隊の群れが本土決戦の
場所へ
東へ 東へ移動する

太平洋が近い竹林でテント生活三か月
戦争に負けた 放送を聞いて大地にへたる

軍隊から解放され ひろしまに帰ったら街が
消えていた

人類がはじめて体験する強い光と熱と爆風が
ひろしまの空で炸裂した

家が吹き飛ばされ 潰れた
潰れた家が燃える 街が燃える 人が燃える

燃えつきたひろしま 指先にのるほどの小さ
な骨になるまで燃えて 街の中心部に埋もっ
た十数万人

焼け跡に近い街に住んで 私は見た 黒い大
きな穴を 空に

戦場から遠く離れた街に 二十世紀が残した
戦争の穴
晴れた日にはよく見える 黒い穴のあいた空

遠く離れた街へ あの穴の下を私は歩いてき
た 新しい時代の悲鳴を聞きながら

You are here   吉田定一



初めて降りた駅構内の 地図を見ていた
地図の中にぽつんと赤い点があり そこが現在地
自分はここにいるのか (そうだ お前はここにいるのだ)

駅前の欅通りを通り過ぎると 昔ながらの古い街道に出るのか
そこを右折して行くと 河川敷の公園が見えてくるんだな
電話で歩いて 十二、三分のところだと友は言っていた

迷いつつ公園までやっと辿り着くと
町内の案内地図が立てかけてあった 地図の中にぽつんと赤い点
自分はここにいるのか (そうだ お前はここにいるのだ)

やっと友の自宅前まで辿り着いた
彼の顔をふっと思い浮かべてひとり呟いた
俺たちはいつも地図を広げて 迷いながら歩き続けてきた

友の家のブザーを指で押そうとしたとき 表札の文字が目に留まった
「行雲流水」
いま俺たちはここにいるのか (そうだ 俺たちはここにいるのだ)

(時は流れる through thick and thin)

ここに立ち止まっていても ここにいるというわけではない
だがどこにいこうとも ここが現在地だ
You are here あなたはここにいる



   *行雲流水(こううんりゅうすい) 空行く雲や流れる水のように、深く
    物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。
   *through thick and thin よい時も悪い時も、どんなことがあっても。

七十一年目の夏   もりたひらく



ナカノタダオノミコトとして祀られる
 ・・・のではなくて

私は 何を祈る
先人たちの屍を 踏み越えて
ただ 歩んでいくしかないのに

 生まれてまだ二週間だった母を
 もっとその腕に抱いていたかったろう

ルソン島で戦闘死と認定された
あなたの最期が どんなだったか
最期によぎった風景は どんなだったか

 いつか 帰ってくるかもしれへん
 どこかで 生きてるかもしれへん
高校生だった私に 語ってくれた祖母

その祖母が腎臓を患って亡くなった年齢と
同じになった母が言う
 あの世に行ったら真っ先に
 忠夫のお父さんに会いに行きたい と

 きっと お母さんのこと
 ずっと気にかけてくれているよ
 きっと 向こうから
 一番に会いにきてくれるよ

私は 繋いでもらった命のバトンを
しっかりと携える
娘に続く次の世代に託せるように

 けれど 本当は帰ってきてほしかった
 一度でいい 
 その手に触れて 呼んでみたかった
 おじいちゃん と

洗礼   もりたひらく



損切りしたら そこが底値だった
買ったところが 天井だった
売ったとたんに 上昇相場
もっと上がるかも また上がるかも のぼせているうちに
いつのまにか塩漬け

中山競馬場で初めて買った馬券が的中したような
ビギナーズラックは
株式相場には 存在しない

ドーパミンとは 無縁
損切りが投げ売りにならないように
勢いに乗って 高値を掴んでしまわないように
鵜呑みにせず 飛びつかず
チャートを読み 情報を集め 日誌をつけ
自分を律して
日々



   *損切り 購入後に値崩れした株の損失を最小限に抑えるため
    見切り売りすること
   *塩漬け 見切り売りすることができずに含み損を抱えたまま
    株を長期保有してしまうこと

どく   もりたひらく



脂ののった ぶり や とろ なら
おいしいでしょうに

とろり と 舌のうえで とろけて
ゆめを 見る

けれど 私は
あなたには どく だわ

この
にのうで も ふともも も

ああ
むちむちしてる

祈りについての短章   清沢桂太郎



 浜までは海女も蓑着る時雨かな
             滝瓢水

結局は
海に入って濡れる身である

海に入って濡れる身ではあるが
浜までの道で時雨が降ってきた時
どうするのかという問題である

生老病死の雨が降ってきたら
どうするのかという問題である

蓑にもいろいろある
曹洞宗 臨済宗 黄檗宗
浄土宗 浄土真宗 日蓮宗
真言宗 天台宗 修験道 神道
キリスト教 イスラム教 ユダヤ教 ヒンズー教

そして
意識的な適度な運動と
医師

深川   丸山 榮



深川は 江戸の情緒が 残る街 震災戦災くぐり抜け
這いつくばって 生きのびて肩を寄せ合い 助け合う

深川はお女郎さんが 住んだ街 哀しさ深く 苦しさ重く
北のお国の貧しさが 売られ買われて お江戸につけば
体を売って 働いて 死んだら用済み 捨てられる
路にうごめく屍は 助けてくれよと 叫んでる

深川は 下町人情そのままで 気っぷがよくて 情けもふかく
宵越しの金は残さぬなんぞと 粋がって
深川は 震災 戦災 焼け野原 街も川も 死人がぞろぞろ
何処の誰やら 分らぬままに 黒こげで

深川の 平野町の浄心寺 このお寺さんは 優しき寺よ
捨てられし お女郎さんを引き取って お墓を造り供養する
震災戦災 引き取り手が無い屍は 皆んな一緒に祀られて

弥生三月長兄が 葉月八月次兄まで 父母が眠るこの寺の
二つ並んだ墓地の中 仲良く静かに 眠ります

踊る花   佐藤勝太



窓辺のダリアの花が
部屋に向かって数輪揺れている
内に居る私に向かって
どう奇麗でしょうと
言わぬばかりに風に揺られて
誘うようにそよいでいる

長閑な午前私は今日一日の
予定も忘れて花の踊りに
見とれていると花の下を
美しい女が見上げながら
ゆっくり歩いていた

とその時玄関に人の声
集金ですと
素気ない男が立っていた

くちなしの実   野呂 昶(のろ さかん)



いちめんの雪景色のなかで
くちなしの実だけがあかい

今は亡き友が わたしに贈ってくれた
くちなしの木
いく度も枯れかけては よみがえった
わたしは この実を見るたびに思う
君のすずやかな笑顔を
あまりに純粋だった生き方を
苦悩だけを栄養に
三十年の人生を駆けぬけた

やさしく匂う くちなしの花
汚れを寄せつけない 純白の花
この花から こんなに明るい実がなった

大雪   野呂 昶(のろ さかん)



はるか天空から雪が
しんしんしんしん
しんしんしんしん

大気を凍らせ
大地を凍らせ
しんしんしんしん
しんしんしんしん

すきまなく
たえまなく
しんしんしんしん
しんしんしんしん

鳥やけものたちは どうしているだろう
しんしんしんしん
しんしんしんしん

さきほどまで 見えていた
白樺(しらかば)の林が もう見えなくなった
しんしんしんしん
しんしんしんしん

あれから   根本昌幸



あれから
ひとたちはどこへいった。
あれから
どうぶつたちはどこへいった。
あれから
こんちゅうたち
しょくぶつたち
いろんなものたちは
どこへいって
どこできえたのか。
あれから
ろくねんがすぎて。
ちいさなむしたちが
じべたをはいまわっている
のを
わたしはみた。
しつこくいきていた。
たしかに。
ひとも
わたしも
わたしたちも
いきてゆかなければならない。
いっぽんのほそいきに
すがりついても。
そうはおもわないか。

かあさんのうた   斗沢テルオ



かあさんが
ひがしのそらにおかおだすと
ぼくたちは
いっせいにくびもたげ
みどりのりょうてをひろげ
いろとりどりの
おめめとおくちをあけて
さっきまでのゆめ
おしえてあげるんだ
かあさんはうれしそうに
ずんずんてんたかくのぼって
おおきなえがおで
ぼくたちをわけへだてなく
みおろすんだ
だからぼくたち かあさんのこと
だいすきなんだ

叫んでいようよ   中島(あたるしま)省吾



愛という言葉
叫んでいようよ
愛という言葉・・・
すき
という言葉
きっと元気が出る
すき、という言葉をもっと叫ぼうよ
君の光の日に近づく愛のおまじないだから
暖かくなれ冬でも雪でも
愛育の冬の氷に変化しろ
冬の氷は愛という雪のおまじない
遠くから叫んでいようよ
冬の氷を愛というおまじないに変えよう

こんにちは赤ちゃん   佐古祐二



こんにちは
赤ちゃん

ついこの間まで
ごうごうとなにかが
流れる音
どくんどくんと波うつような音
やわらかく抱かれて
昏いなか
ひっきりなしに聞こえていた

生まれてきて
出合うこの世界って
どんなとこ?

耳をそばだてて窺ってる!

ほほに触れるあたたかな光
静けさのなか 聞こえてくる
おかあさんが
立ちはたらく声や音
たくさんな心地よい音の数々

きみは
それらがなにであるかを
まだ知りはしないけれど
ほんとは
もう何もかもわかってるんだよね

わかっていないのは
わたしたちのほう?


やあ こんにちは
赤ちゃん

本当のことをいうとね   蔭山辰子



本当のことをいうとね
私の願いは星になること
星になった私を あの人は見てくれるかな
ああ あなたに見て欲しいと
夜ごと まばたきで信号を送るわ

夏の始まりのころ 西の空に
みどりの光を放つ ひときわ輝くあの星
人はジュピターと呼ぶけれど
実は あの星は私の心
八月お盆のころに夜空の真ん中に昇ってくるの
九月の末には霧が出て 姿を被ってしまう
夜霧にまぎれて しのび逢いをしましょう
地球のあの道 あの岸辺
遥かにのぞんで
胸一杯 深呼吸するの
だからおねがい 地球を汚さないで

本当のことをいうとね
私の願いは
ペルセウス流星群の中で
あなたと一緒に 漂うことなの

詩は心の花道   蔭山辰子



野の花に詩情を託し
霧氷の輝きに心を揺さぶり
月の光に魂を清める
たとえ 現実は過酷でも
一篇の詩の生まれる時
人生の謳歌を悟る

詩は心の花道
観衆は居なくとも
喝采は無くとも
自らの拠りどころ
一日一篇の詩を愛しんで
糧となすなら
いつか
宝石となって
煌めきを 得られるだろう

枯葉   水崎野里子



大人のふりしたデート
少年と少女の 二人
背伸びして 気取った
渋谷の夜 街のイルミネイション

珈琲だけ飲んでいた
レストランの二階
言うことも もうなくなった?
黙った二人

突然ピアノが奏で始めた
枯葉 このシャンソン

今 この曲が蘇り
老いた女に語りかける
遠い 過ぎた人生の
狭間の時間の 束の間の戯れ

 でも 人生は二人を分かつ 愛し合う二人を
 やさしくそっと 音もなく 海は砂浜に寄せては返す
 恋人の足跡を消す 別々の道を辿った二人
                    *
今 ピアノが再び奏でる
苦い悔恨は 甘いノスタルジア
歌は 涙と笑いが多い方がいい
無数の 都会の 悪戯(いたずら)の 谷間

私の枯葉
私の東京・渋谷
私の小唄(シャンソン)
その いとしさ

遠い 時間のあがき



       *フランス語の原語詞の後半の一部を参考にした。

朝の応答   水崎野里子



答えてください
はい! と
あなた
すこやかな朝の声で

緑の山に
澄んだ水音に
小鳥の喜びに
わたしの呼び掛けに

はい! と
あなたが答えれば
私も答えます はい!
きっぱりとした朝

私達の答えは
谺となって
世界を巡る

透明な鈴の音

白い月   田島廣子



胸がキュウ ギュッとしめつけられ
背中もキリ キリ ギュル穴をあけられそう

ハーフー ハーフー 深呼吸
冷蔵庫からシップをだし
心臓のうらの背中に張る
左の乳房のうえにも張る

桃の実 ほほ紅したような
大きさもかたさも似た わたしの乳房

愛の詩 書きだしたら
だまされた うそのように
胸のいたみ 消えていた

空には まんまるい白い月

だあったに出会った   関 中子



何か落ち着かない夜だあった
だったと言おうとして
だあったと聞いた
と思ったが
思ったが思ったでよかった
しなくてはいけないことは
昼の間にすんでなんともよかった
もう夜のこの時間は
だあった

そうだ
詩を囲う
詩を書こう
見事に
詩だあった だ

次が消えた
ほっ 空もなく夜もなく
わたしが続くだけでいくつも
書くなら書
囲うは囲
忘れたことがあっても
不都合がないようだあった

尽きていく
雨戸がきっちりしまった部屋で
無事移動修了だあったわたしだ
時の主の響きはわたしであった
相手もわたしだあったと夜を呼び戻した
こんな夜も朝に会うつもりだ
あった た
目蓋に濡れタオルをのせて

縁   晴  静



ガタン ゴトン
ガタン ゴトン
揺られて夜汽車の窓の外
降られてしんしん雪の海
山去り 川去り
里 町 も
里にも 町にも
家あり 窓あり
灯りあり
灯りの内に
見知らぬ人 人
来て去り
来て去り
見知らぬ人 人
遠く去る

ふとした出会い
見知らぬ人は
縁ある人に
トキメキ心
縁ある人に
いつしか別れる 
縁ある人に

晴天   瑞木よう



 Ⅰ

水面と平行に 電車が走る
ひたひたの水に 足元が濡れる
水紋を広げて走る 電車の後を
魚たち 身をくねらせて 進む
電車は 光を乱反射させて遠ざかり
水の中に沈んでいく
水の底には 魚たちの水底の駅
空には白い鳥


 Ⅱ

水の中を歩く
同じ高さに電車が走る
中には色とりどりの花々
目の前を
色彩の渦が通り抜けていく
太陽の光を乱反射させて
歩く者を置き去りにして

つながり   ハラキン



部屋の照明が人知れず落ちていき 内的な耳にだけきこ
える音楽がはじまると それははじまるようになった。
夢のようにおぼつかない仮象の空間にて 俺の顔と重な
るほどの間合いで見知らぬ女の顔があらわれた。顔だけ
がはっきりしていて首から下は異界にあるいは異次元に
属するかのように茫漠としていた。女は俺に話しかけた
が声(音声)はなにものかに許されていないようだった。
長い髪でどこか古風な眼鏡をかけた瓜実顔。許可の割れ
目から声がもれる瞬間もあった。「あな・・・だわ。」「そ
のいで・・まこ・・・みょう。」彼女は誰なのか。おそら
く俺の先祖か前世だろうと思ったが 継承がずさんな我
が一族なので 手がかりとなる家系図など少なくとも俺
の手元にはない。
また部屋の照明が人知れず落ちていき 内的な耳にだけ
きこえる音楽がはじまった。俺の直観だがこれは時を遡
る音楽で (つまり未来にむかう音楽でない) しばら
く遡ったら 俺と肩をならべて見知らぬ男が忽然と立っ
た。日本人のようだがモンゴル人のようでもあった。彼
は人なつっこい表情で俺にふりむいたので 俺は彼の肩
に手をかけようとしたが なぜか接触できない。体臭も
嗅げるかと思えるほど生々しい実在感なのに 接触でき
ない。肩に手をかけようとした俺を見ながら 彼は右手
を顔の前で横にふって残念そうに笑った。古風な眼鏡を
かけた女人よりもいっそう時を遡ったので 彼は俺の何
代か前の前世かもしれない。いやあくまで先祖なのかも
しれない。
さらに部屋の照明が人知れず落ちていき 内的な耳にだ
けきこえる音楽がはじまり しばらくすると俺の足元は
下草がひしめく地面になり 一本の地を這うような梅の
樹が 俺に話しかけてきた。ついに植物!

仮象 ハラキン



その午後は 仮象に入る。海は海であり 砂は砂であっ
て 午後のしずかな波が単調な汀をくりかえした。波を
コップにすくいあげてほんの少し口に含んでみれば あ
たりまえのようにしょっぱく 海水は海水でしかなかっ
たが そこから沖合に目をやれば はるか彼方に 理念
でしかありえないほどに巨大な塔のようなものがそびえ
たっている。それは塔ではなく山塊 それも立方体の山
塊とされた。途方もなく遠景であるにもかかわらず 山
肌は樹木と土砂ではそのように輝きようがないほどの輝
きで それは紀元後まもない古代人によって四宝 すな
わち金 銀 瑠璃 玻璃による輝きと規定された。山の
高さは(古代の眉間にしわを寄せて)「五千六百億メート
ル」と囁かれた。仮象の仮象たるゆえん。さらにひとみ
を凝らせば 山頂を遊覧飛行する天人たちが 鮮明に手
にとるように見える。これほどの遠近法の破壊 これも
仮象の仮象たる あるいは唯識の唯識たるゆえんか。さ
らにさらに意識を尖らせば 仮象のズーム機能で 天人
たち一人ひとりの顔立ちまでが観察できる。みんな聡明
な顔立ちであるが 男か女かはわからないとされる。天
人たちが無邪気にあそぶ山頂には楽園のような天界があ
るという。
さて主観を手前にもどせば 無表情の釣り人がちょうど
小魚を釣り上げた。いわしとかサッパに似た地味な小魚
だった。どうするのかと内語で訊くと 食うと内語で答
えた。ちゃぽんちゃぽんと しずかな波が堤防(のよう
なもの)にあたる音が続いた。
この仮象の宇宙観に 現代の宇宙観といわれるわれわれ
の地球 衛星である月 太陽系 銀河系 ガス星雲 光
速 ブラックホール などなどを重ねあわせた。たち
まち嫌気に満ちた化学反応が始まり 不協和音が轟き
人々がざわめき 祈り 次いで数十億人の合唱が湧き
あがった。合唱の音量はいっそう大きくなり ふたたび
どこかの海辺で眠りから起こされたわたしは その朝の
仮象に戻ったのかもしれない。

修復せよ   ハラキン



古寺が梱包されていた。塔にかぶせられた巨大な覆屋の
頭上 太陽も月も星も雲も花も 覆屋をめぐってめまぐ
るしくめぐるさなかを ブルーシートをめくって君は巡
礼を強行した。いとなむ次元が異なるかのように姿の半
ば透けた僧が行を行じていた。姿の半ば透けた大工や左
官が働いていた。君には誰も気づかない。「古木の虚のご
とく心柱が空洞化」。「長年の風蝕により高欄がいまにも
落ちそうな状況」。「礎石もはなはだしく沈下」。「二重目
以降の継手もゆるんできている」。「相輪も劣化いちじる
しく」。「天井板に描かれた彩色文様の剥落おびただしい」。
「虫害あるいは腐朽により木口が大きく破損」。相輪の上
部の水煙で 楽器を奏で 散華しながら飛びまわってい
た飛天たちは 工事がはじまるとどこかに飛んでいって
しまったが 初重内の如来像や菩薩像や四天王像は 半
ば透けてはいてもここに鎮まる。唐突にはじまった電動
のこぎりの騒音に 如来が一瞬眉をひそめたのを 君は
見た。仮象の読経を邪魔する掛矢の振動に 多聞天がす
ばやく身がまえたのを 君は見た。古寺の風光と現代土
木との同居による愛憎の化学反応を正視せよ。これを
シュールなどと陳腐に定義するな。増長天の足元にモン
キーレンチが落ちている。ここでモンキーを使う大工が
いるとは。千手観音菩薩が左右二本の手に軍手をはめて
いる。もうすぐ仮象は時間切れ。土木よ はやく古寺を
修復せよ。君は 教えを修復せよ。君よ ゴータマよ。

追慕(三回忌)   秋野光子



もう 聞こえなくなった声を探している
逢うときはいつも
はるかな遠い海を みつめている 後姿
想い出したように 振り返った 眼
は 青く波立っている
さわがしい胸の内を 堪え切れなくて
時々 碧落から舞い下り
私を求める
不如帰だったり ひよどりだったり
鶯や 美しい黄鶺鴒になって
何日も 何日も 私のそばに居る

突然 航空券が送られて来て
私はその席に座り
一日中届かない 天空へと向かってゆく

ライトアップされた遊園地の
飛行機から 下りて
探していた声を 胸いっぱいに溜め
闇の夢路につく

〈シリーズ・手〉
からだと こころと ことば   原 和子



体と心のあいだには
男と女の情がある
心と言葉のあいだには
成就できない恋がある
抱きしめれば
すり抜ける
さしのべる手に溶けていく
書いても 書いても もどかしい
瘴気の湖(うみ)の泥沼に
足すくわれて
もろともに

あらためて   牛島富美二



ここまでが浜辺
ここまでが里山
ここまでが野原
ここまでが田畑

この境を壊したのは何
鮫や熊や猪が
荒らした跡形も消え
耕した人々も姿を消し
大漁を運んだ船人も没し
「あの日」は固有名詞
とりわけみちのく人の「惨佚佚(さんいちいち)」

この水の星は
灼熱(しゃくねつ)の星の後を追い続け
見知らぬ宙(そら)を巡りに巡る

果てに
今日の酸素は
明日の水素となり
明日の水素は
明後日の塩素となる
水は氷となり
氷は火となる
だからこの水の星は
焔となって燃えつきる
50億年後のこの星

けれど
未知は未知のままの方がいい
見知らぬ人は見知らぬままで
見知ったらそれが糸口
明日までまだ間がある
ああ、5年後の今

Star Tales   葉陶紅子



宇宙(コスモス)の蒼き膚(はだえ)を 着る裸線
星の紋様 生滅の神話(ミソロジー)

蒼き宇宙(コスモス)を仕切るもの 汝とわれと
彼女彼らの 裸線なるべし

浮き沈み垂直に跳べ 逆しまに
墜ちてしさえも 宇宙(コスモス)なれば

宇宙(コスモス)は 天地無用の次元ゆえ
名づける汝れの 裸線をまねぶ

宇宙(コスモス)は裸線のかたち それぞれの
海をかかえる 細胞のごと

泡立ち生まれ滅しゆく 星々を
膚(はだえ)に祝い 宇宙(コスモス)をゆく

宇宙(コスモス)を旅する者よ 緑髪を
なびかせ 裸線の内の風たれ

Tides of Eden   葉陶紅子



2峰に 肩胛骨の浮き立てる
オープンバックの 夕凪ぐ海辺

失いし翼のごとく 肩胛骨の
2峰に 暮れなずむ夏

斜陽受け 水平線の彼方なる
積乱雲は 翼広げし

潮騒に黒く照り映う 裸身の髪に
紅く微笑む ブーゲンビリア

蝶々(てふてふ)が 肩先にふと止まるほどの
静かな人に なりたきものを

森深く 1角獣を従えて
夜を眠れば 陽はまた昇る

肩先に陽は昇り来て 朝露の
裸身の峰の 肌を愛撫す

窓   中西 衛



真っ青な夏空に
絵具で書いたような白い雲が
点々と

運動場のはしのポプラ並木では
中学生が休んでいるのが見える
運動場では生徒たちが
いっしんにテニスボールを打ち
相手は打ち返す
跳び 走り 躍動する肢体
明るい言葉がはじけ
歓声があがる
熟練していくことの楽しさを
そっと
ポプラは上から
一人ひとりの生徒の
穢れのないしぐさと
美しさを
じっと見ている
通り過ぎて行きつつあるものを
じっと見ている

夏のやわらかな日差しの中の日記
ここに根暗に成り損ねた
ボクがいる

死からの手紙   藤谷恵一郎



 (一)大いなるもの

あなたの最後の旅に
いちばん重い荷は 自我
捨てても 捨てても
最期に残っている

命の根源の黒点を潜ると
恒星が幽(かす)かに光り
腹部にマグマのような海をもつ
大いなるものの体内に入る

命というより自我の芥子粒ほどのあなた
針で刺す痛みの
寂しさとともに
自我の消滅を受け入れ
大いなるものの
胸の無へ無と消え入るとき
あなたは見るはずだ
大いなるものを
微光のなかで

大いなるものは
あなた自身であることを


 (二)帰還

心地よい睡気に誘われて
そのまま身をまかせると
風もないのに
薄絹がいち枚 ふうわりと
浮かびあがるように
わたしが身体から

ああ こんなにも
簡単なことなのか
恍惚としているのか

目が 入ってゆく方へ向くと
身体の底の方から声がする
(まだ 早い)
成さなければならないことがある
引き返すように 目が覚めた

濁った池の破れ浮草の老体に

そして海へ   高丸もと子



サワサワとした雨音
聴きながら眠りにつく
幸せがあるとすれば
こんな夜

子どもの頃
叱られて納屋に隠れたことがある
トタン屋根に落ちてくる雨音は
まるで石ころの矢
バジン! パジン!
石ころにぶつかり
激流にながされ
それでもかくまわれている心地よさ
しだいにからっぽになって
眠っていった

サラサラとした雨音
聴きながら眠りにつく
しばらくはせせらぎ
そしていつかは海へ

壊れたジェットコースター   加納由将



隣り合ってすわって未知の世界、どんど
ん進んでいく、暗い中を通り抜け今度は
急降下、はじめて尻の浮かぶ興奮、手を
握り合って顔は笑顔のままでこのままい
たいと思った、当然そうだと思っていた。
でも一緒のはずの乗り物はいつしか別々
になっていて気が付くと見えなくなって
いて必死に探すとようやく見つけると声
は届くが手は届かず今も並行して走って
いる、どこに行くか見当もつかないまま

一輪車   山本なおこ



すみきった空のした
広い運動場の真ん中で

おんなのこが 一輪車を
走らせている

風をきって
光をはじいて

おんなのこは 
さくら色のバレリーナ

いま 地球は
かろやかに 回転している

歩く   山本なおこ



わたしは 今日のこの日から歩く
春の 日ざかりの道をずんずん歩く

光が たちどまる
風が ウィンクする

わたしは いよいようれしくなって
ことこと笑う スキップする

頭のてっぺんから 足のつま先まで
シンフォニーがながれる

わたしは 歩く
春の 日ざかりの道をずんずん歩く