156号 新川和江
156号 新川和江
- 出口のないものの陰から 松尾真由美
- 風花 佐古祐二
- 神話列島 田村照視
- 猫の鈴 吉田定一
- 美意識ということ 登り山泰至
- 毛玉 木村孝夫
- 意識・無意識 晴 静
- 青く咲く花 司 由衣
- 半身半獣 葉陶紅子
- マリアの視線 葉陶紅子
- ラッキーに出会った日 山本なおこ
- 十字架 藤原節子
- 訃報 藤原節子
- 不思議な私の体 清沢桂太郎
- 小さな秋 蔭山辰子
- 夜空 根本昌幸
- ぼくがテレビを見てるまに 水田 雪
- 光 瑞木よう
- すばらしい空 関 中子
- 秋日和 神田好能
- ロマンス ハラキン
- 異郷 ハラキン
- 続ウラ ハラキン
- 寄付をする人 みちる
- 古いラジオ みちる
- 10秒の詩 みちる
- 小詩篇「花屑」その7 梶谷忠大
- ある日の格言 原 和子
- 許す 赦す 恕す 丸山 榮
- あやめ 本多清子
- あくがれ 本多清子
- まだ思春期の延命措置を受けて~君の港から出航したくなかった~ 中島(あたるしま)省吾
- 柿若葉 きだりえこ
- はじまりに 左子真由美
- 日本よ 髙野信也
- 雨蝶 髙野信也
出口のないものの陰から 松尾真由美
たとえば
秋の
葉の色づきに寄りそって
確実に移りかわるすこやかな火花に触れてみても
足許の地のくぼみ
変わることなく
沈んでいく
滞った水は澱むだけの
おもたい生体として
進まない
浄化されない
悪意もなく
からまりついて
反映と反照とがやわやわと磁気を帯び
どうしようもなく引きずられる歩行の徒労
終わったことが
終わらずに
風花 佐古祐二
遠い空からこぼれ落ちてくる
晴れた日の
雪のかけらは
あかるい日差しのなか
煌めいては地に落ち
一瞬のうちに消えてしまう
風吹けば
ゆくえ定まることなく舞いくるい
町の通りを駆けぬけてゆく
少女の
赤いニット帽と
まぶしいふくらはぎの
周りをくるくると
子犬のように親しくじゃれている
金色の時間のなかで
神話列島 田村照視
地底のすぐそこまで
燃えたぎるマグマが迫っている
深い海の底にも
高い山の地表にまで
溶岩は迫っている
足もとのプレートは
たえず地殻変動を起こし
世界のどこかで
爆発し噴火をくり返し
弾性波は大地を揺るがす
大気は季節ごとに
竜巻は昇竜の恐怖を
台風は豪雨をつれ来て
大洪水になる
生きている自然
何十万年も続いてきた
あたりまえのこの星の活動を
住んでいる地域に起こると
人は災害と呼ぶ
宇宙に輝く青い星には
数十億の愛
数十億の憎しみ
数十億の喜び
数十億の苦しみ
数十億の生き様があり
神話は生まれる
だからこそ
人は生きる力を
失いはしない
猫の鈴 吉田定一
伽羅橋の橋の上で、
「ぼく、帰りがお早いですな」
と 父が猫なで声の
他人行儀なおかしな挨拶をした
はあ?! と 一瞬口ごもり
俺は父と その後ろにいる女に
ぺこんと頭を下げた
その時、振り返る俺の小さな肩に
かぼそい女の声が乗った
―あの子 どこの子?
いまもそんな記憶が
天の高みに吊るされていて
(俺の人生に どうってことはないのだけれど…)
卯月の季節が巡りくるたび
天からあの声が あの女の姿と一緒に
俺の肩に舞い降りてくる
―あの子 どこの子?
ぺこっと女は頭を下げ
春風に運ばれるように 消えていくのだが
いつもその場に
あの子どこの子の自分が取り残され
年ごと俺は 迷い子になる
そんなこんなを思って
誰かがそっと 仕掛けてくれていたのだろう
―ここは何処?
右に左に 首を振り頭を振る
その度ごとに なぜか喉仏のあたりで
チロリン チロリン
と 父の呼ぶ声が
猫の鈴となって響くのだ
そうして俺は あの時のあの子のまんま
烈しく老いを重ねてきた
ゆくりなく移ろう大地の時間に
君の声は幾重にもつながって
渦巻く劫初からの因縁に括られて
どこまでも
私はそんな半球状の
ザルのような 網目に編んだ
たなごころのうえで
精妙に熟れだして
定かならぬ太陽の緻密に潤滑され
腰を据えかねた歯数のモジュールを進める
鈍く ときに淡く緩やかに 瞬膜をキチキチと蠢かすように
油塗れになりながらやがて私は自らが
その歯車のモジュールのひとつなのだと気づく
ソレガ輪廻トイウコトデアッテ
繋ガレルトイウコトデアッテ
包囲サレルトイウコトデアッテ
せり上がった肉体の
皮膚が朱に染まっても
むこう脛が焼かれても
それでも背中に転がるこの地平を背負うのだと
美とは
そこでつくりだすものではない
たとえ女神の衣を剥ぎ取り
それで着飾ったところでなんら美は生まれない
美というものは
均整をよしとしない
変質した魂魄の腐敗が見る逆しまの夢だった
初めて みる ぼくの
毛玉 木村孝夫
我が家の猫が
食中毒?
いや猫は
腹の中で
毛玉になったものを
ときどき このようにして
出すらしい
ああ 来るなと分るから
この頃は
汚れ防止のため
広告チラシなどを
目の前に置くのだが
飼い主の手を
煩わせるようにして
人が入れない隅っこで
ゲケッとやる
後始末をする飼い主をみて
甘えてくるが
猫の性格は いいのか
悪いのか
毛玉を吐く
自己防御機能は
どんなものにも備わっている
危ないと思ったら
猫だって
そこから抜け出すために
防御反応が
すばやく働く
日本の大企業である
東京電力
原発の危険を承知していたが
何十年も
人が手を抜いてきた
自己防御も
出来なかったのかと
今 言葉で叩いてみても
もう遅い
猫は甘えてくると
可愛いが
東京電力の対応の甘さには
腹が立つ
我が家の猫は
大事に至る前に
危ないものを吐き出すが
東京電力は
毛玉になったトラブルを
腹の中に
隠しに隠してきたから
吐き出すことを知らないのだ
我が家の猫が
食中毒?
せめて訓練時に
猫の真似事でも
したらどうだと思うのだが
陽光やわらか 風ふわり
命火ある間に 来い来い早く
願叶って
そぞろ歩きに 眺める桜
綺麗 綺麗の 意識を連れて
歩むその歩は 一歩二歩
仰ぎ見仰ぎ見 また一歩
踏みしめ踏みしめ 無意識に
歩むその歩は 一歩二歩
踏みしめ踏みしめ また一歩
踏まれ踏まれた 花びらは
土に還って またいつか
命火ある間に 来い来い早く
願い叶って
陽光やわらか 風ふわり
そぞろ歩きに 眺める桜に
そうと想えば 心安らぐ
青く咲く花 司 由衣
朝陽の射すベランダの鉄柵に
青い花のつぼみが一つ
膨らんだ
あの日 私はいつものスーパーに立ち寄り
日替わり特価の食材を買い込む
夕餉の献立は薄焼き玉子の三色巻きとツナサラダ
合宿演奏会からまもなく十九歳のムスコが帰ってくる
意気揚々と野菜を刻み玉子を割る 折りもよく
チェロを肩に担いで十九歳が帰ってきた
青ざめた薄ら笑いが呟く
「ぼくが心の中で歌をうたうと雨が降るよ」
台所の天窓を見上げると
四角い空は茜色に晴れている
一瞬 世界が止まる
希望の光が刻々と遠のいてゆく……
薄闇のなかに忽然と現れる人の影
(ここはもう私の知る世界ではない)
虚の人の果てしない時間のはじまりだ
虚構の海底に身を沈め
無念と悲しみの歌を爪弾く
あれから かれこれ二十年
否運にも朽ちず 希望を捨てず
時の経過を その先にあるものを信じて
虚の人は言う
「耐えるだけだ」と
いつか ほんとうの自分に会える日を
「ひたすら待つだけだ」と
もう一年 あと もう半年 あともう三日
斜陽の射すベランダの鉄柵に
虚実を越えて咲く花一輪
青く咲く
半身半獣 葉陶紅子
群青をまといて走る 半身を
見る灰色の 眸(め)の悲しびよ
一角はなぜ聳え立つ めざさんは
空の高みに 上らんのみか
紅きまま 散り敷かれゆく枯れ落葉
その目なざしの やわらかき芯
獣人(けものびと) 裸線となりて残れるは
星屑のごとき 目なざしのみぞ
踏みしだき 走りつづける群青の
空の高みは 果てなきものを
昼空の末 宇宙(コス モス)の暗黒を
照らす目なざし 裸線の内に
群青の皮膚を脱ぎすて 目に彩に
楓の紅を まといて生きよ
マリアの視線 葉陶紅子
地に踊り踏み鳴らす夜に 生(あ)れしてふ
オリーブの木の パタ・デ・コーラよ
踏み鳴らす地の音の夜は 星を舞い
オリーブの木は 砂礫を伸びる
耳当てて 踏み鳴らす地の音聴かば
海越え集え オリーブの木に
薔薇色の汗と弾ける オリーブの
実を口唇(くち びる)に 受けよ含めよ
薔薇色の裸線の汗に オリーブは
アリアとなりて 地に飛びつがう
双眸を雌豹のごとく 滲ませて
拗(しな)る裸線に 千の夜は出づ
白鳥となり 満月に滅びゆけ
薔薇の裸線のまま 舞い踊り
ラッキーに出会った日 山本なおこ
何ともやさしい眼をしている犬だ
「かしこい犬ですね 名前は何というのですか」
すると三十代に見える女性は にこやかにほほえみ
「ラッキーセブンのラッキーですよ」
仕事帰りの電車の中 盲導犬に引かれて
一人の女性が 大正駅から乗ってきたときだった
その犬はきちんと空席に女性を案内し
その上 黒いトランクのような形で 女性の前にきちんとすわった
できるだけ場所をとるまいという犬の気遣いが見てとれた
ラッキーは 訓練されているからだと言えばそれまでだが
私にはそればかりではないように思えた
ラッキーが女性の眼の代わりを果たし
女性はどれほどの深い愛情を注いでいることか
ラッキーと女性の間には、深い絆が結ばれている
電車が急カーブにさしかかった時だ
ラッキーはいっそう女性に身を寄せた
何があろうとも守って見せるぞというふうに
そして 私はもう一度驚かされた
まもなく天王寺駅とアナウンスが報じた時だ
女性は「ちょっと失礼」と言って
真紅の口紅をさっと引いたのだった
ああ、自分では見えなくても
人に見られているのだという意識を十分に持っていて
身だしなみを整えたのだ
眼で見えなくても 心の目で
いろいろなことをくっきりと見ているのだろう
私はこの女性に 何かけなげで
清楚なただずまいをかいま見た
その日、一夜、私は胸がふくふくとあたたかかった
十字架 藤原節子
「本当のことを書きなさい」
先生が言うから、わたしは
いじめ告発を
正直に作文に書いた
中学生のわたしには
ためらいはなかった
書くことで自分を救いたかった
わたしの作文はコンクールで
入選して文集に載り
多くの人に読まれた
だが先生はその時から
何故かわたしに冷たくなった
わたしをいじめた子は
わたしと顔を合わすと
うつむくようになった
大人になって気づいた
わたしがその子に背負わせた
十字架の重さを
本当のことを書くことで
誰も幸福にはならなかったことを
訃報 藤原節子
「肝不全で死亡」
あなたの訃報がメールで届いた
半年前
喫茶店であなたと話した
「この秋出る新薬は肝癌の手術を
受けた人にも適用できるそうよ」
わたしの言葉に
「わたしはラジオ波で何回も癌を
焼いているの。間に合いそうにないわ」
暗い顔で下を向いたあなた
今 晩秋
木の葉がまぶしいくらい色づいて
舞いながら土に還っていっている
あなたもついに土に還った
肝炎友の会で
多くの仕事をし、多くの友を作り
最後まで自分を燃焼させて
散っていったあなた
今新薬で治療を始めたわたしも
いつかあなたのいる
天国に行く日が来るから
そちらの国の喫茶店で待っててね
目の前の紅葉を眺めながら
一緒にコーヒーを
飲みながら
思い出話をしましょうね
不思議な私の体 清沢桂太郎
風呂に入る
石鹸で洗った後でも
指でこすると
沢山の垢が出てくる
体の皮膚は
死にながら 新しい細胞を作り
新しい細胞を作りながら
死んでいるのだ
そして
私という形を保っている
袋としての私を形作っている
私は 毎日
朝ごはんと 昼ごはんと 夕ごはんを食べ
お茶かコーヒーを飲み 牛乳を飲み 水を飲み
一時間か二時間に一回オシッコをし
一日に一回か二、三回ウンチをする
しょっちゅう体の表面に汗もかく
カロリーと栄養のある
塩分・ミネラルを含んだ物を
食べたり飲んで
それらを消化吸収して
それよりカロリーと栄養の少ない物や
老廃物や塩分・ミネラルを
ウンチとし オシッコとし 汗として
体の外に出している
食事の食べ物とウンチとオシッコの
カロリーと栄養と老廃物の差と
摂取した水分と塩分・ミネラルと
オシッコと汗の水分と塩分・ミネラルの
バランスで私は生きている
生きながら 死んでいる私
そして 生きている私
不思議な存在の臭皮袋(しゆう ひ たい)の私
これらの働きが 老化や病気で
不調になったり止まった時
個体としての私の体は死に
特別な処理をしない限り
腐敗し 形は崩れ 白骨となる
生と死
不思議なバランスで
生きている私の臭皮袋の体
臭皮袋:仏教用語で、くさくきたない皮袋の意。転じて、人間の身体、
あるいは、修行のいいかげんな禅僧、および参禅者の意。
小さな秋 蔭山辰子
少し離れたところにお住まいの
犬好きのご夫婦
ベージュのチワワをつれてお散歩
「丹精なされて可愛いですね」
「散歩に連れてけと せがむのよ」
そう言えばしばらくお見かけしなかった
今日
チワワのひもを持った旦那さんが車椅子
奥さんがそれを押す
「散歩をせがむんですわ」
「自分が主(ぬし)だと思っているのよ」
薄紫の野菊の花 ふたつ三つ
街角で見つけた
小さな秋
夜空 根本昌幸
夜空を見上げると
たくさんの星が光っている。
地球も星なんだ。
あの星の中のどれかに
人間のような
生物が住んでいるのだろうか。
言葉を話すことのできる
生命体のものが。
地球以外にいないとは言えないだろう。
いるかもしれないし
いないかもしれない。
いないかもしれないし
いるかもしれない。
それはまた長い長い時間と
年月が過ぎ去ってから
わかることだろう。
ロマンとはそういうものだろう。
そういったことを胸に
今夜も空を見上げる。
あっ
今
流れ星が飛んだ。
ほんの一瞬だったから
誰もしらない。
夜中にテレビを見てるまに
外では世界的大事件が起きていた
草の根は1ミリ伸びて
木の実はぽってりふくらんだ
土の中はすでに春
ぼくはそんなことも知らないで
今日もこたつにくるまって
殺人事件や不倫のニュースや
そんなことばかりテレビで見ている
夜は忙しいんだ
そう言って出かけたネコが
得意な顔で帰ってきて
いつものように一眠りする
遠く、星の動く音を聴きながら
風渡る
銀杏(いちよう)の葉が 湖を渡る
空からの 金色の風
陽の光に照らされて
長い間 きらめいて
たくさん たくさん
冬陽
床がほのぼの暖かい
窓には たくさんの水滴がついて
外の光景が 白くかすむ
白く曇る空の色と ガラスの色
成長をやめた クリスマスローズ
長い間 花開いたままのパンジー
植物の眠りを誘う 冬の寒さ
細胞が 少しづつ眠りについて
白い雪空が 覆う
少しの間 あなたがいた
少しの間 あなたを見つめた
あとはただ空のまま
耳をなくしたように青い
高さはあの山のふもとよりずっと遠い
わたしに何かほしいものがあるだろうか
わたしは何を必要とするのだろう
わたしの他に
坂道ではつなぐ 降りる空を
階段では力いっぱい受け止める 登る空を
空から発せられる早さを漕ぐ
行き交う人は空を忘れているが
階段を降りる人を見るのは特に好きだ
その人が誇らしげに見える
坂道の登りで立ち止まる人は楽しい
その人が思いも綾に空にとどまるので
坂道のさきにきっと何かがあるだろう
進めば響きを放つ
だれかのいのちの倒れる音で
一本のろうそくに炎が灯され 風に揺らぐ
あなたと別れて 少しの間
言葉が燃え 町が開かれる
奈落と言う空
相当の勇気がいるその下は
空がこれほどすばらしくあろうとも
ほうき持ち はずむ話に笑いこけ
いちょう舞い散る 秋日和
笑う若き声も 楽しいが
昔を偲ぶ 老人のくり言
唄えども 届かぬ想いもあり
雨もなつかし 今日もなつかし
お迎えの車が 幸せのせて
やってくる さっそうとくる
朝から楽しい 木曜日
誰も知らない 心の中のこと
それでも たくさんの人が
「おはよう」と 笑ってくれる
嬉しい日
好意を 字に書けば
それだけの ことのようだが
一人ひとりの 笑顔の美しさ
それを 知っている
それは 楽しいひととき
わたしだけの 幸せの時間
それはいつも 厚い雲が湧いたかと思うとたちまち太陽をさえぎって 世界に影が満ちるように なんらかのしきたりで視界がうす暗くなったとき はじまる 僕のなかに閉じこめられて 女を ひとり静かに深めている君よ 愛しき君よ 僕の外に出てきてくれないか ふたりで音楽を この世のものではない音楽を聴きながら 永遠に愛しあいたい あなたに囁かれるたびに あたしの透明なからだが疼きます ああ いますぐあなたから飛び出して あなたに会いたい ガラスを握りつぶすように きつく抱きしめてほしい だから あたしを閉じこめているドアを開けて あなたが胎内に浮かんでいるあいだの或る一瞬 あなたを男に決めた鍵で ごめんなさい 僕はその鍵を持っていない この世に生まれ落ちるときに落としてしまったらしい たぶんあの人が持っていると思う 僕のなかの男と 僕のなかの女の 息がつまるロマンス 両性が活性し この世の僕を空ろにするひとときの じゃあその人に鍵をもらって はやくここを開けてちょうだい そうそう こうしちゃいられない あなたを殺すほどの最高のドレスを着なくては
リゾートの湖畔に
都会人たちの歓声
みやげもの屋
ボート乗り場の
スワンボート
この情景からは
真理へ行けないことになった
行けないどころか
抽象すら出来ない
だからグランドピアノを
みんなでかついで
異郷に運びだすことにした
空が高い
古代のような朝
乳児を乗せた
うばぐるまがたくさん
ラジオ体操のように集まっていた
ひとりの天人が
うばぐるまの乳児をひとりひとり
ていねいに覗いてまわった
はしゃぐ乳児たちの瞳は
異郷を映していた
でも親たちの眼窩からは
眼球が消えていた
森林をつぶして
新興住宅地をつくったが
時が経ち
もはや輝きを失ったから
住人は
どこか見知らぬ異郷に
引っ越していった
ほとんどの異郷が
新興住宅地のようになったという
錆びたブランコや
砂が老化した砂場で
老人たちがはしゃいでいる
この世にない異郷を見た
かくれんぼの鬼だけ
忽然と消えた
ウラが消えていた
都市の名高いどぶ川の
ウラが消えていた
川沿いにならぶ
居酒屋やブティックやカフェの
ウラが消えた
ウラだけが消えたのでない
オモテも消えた
あの土木が消した
「オモテを消すのが仕事なんで」
居酒屋やブティックやカフェを
解体し撤去した
酔いから醒めたように
更地があらわれた
風化がつくりあげた
窓ガラスのヒビも
壁のくすみも亀裂も
歳月が意匠した
這いまわる蔦も
みだらな照明も
細菌が殺菌されたように
滅び消えてしまった
舌打ちをして
ウラの男は立ちすくんだ
男のなかに土木を入れて
男のオモテも
消してもらおう
もはやウラがないから
排泄はなかった
夢の排泄物も
愛欲の 無明の 排泄物も
どぶ川を流れゆくことなく
いやウラがないということは
オモテもないということだから
やがて世界は
更地になるだろう
大きなお金を寄付するとき
彼は幸せな気分ではない
誰かと何かを共感できるとは
思っていない
彼の目的は共感ではないし
ましてや感謝されようなどとも
思ったことはないのだ
彼は寄付を済ませたあと
いつでも孤独になる
いい知れぬ寂しさに襲われ
しばらく黙しては悶絶する
彼が得たものは
このような時間なのだ
だが
彼はその孤独こそが
一番大切なものだと
いつからか知るようになった
引き合う孤独の力が
宇宙を形作り
人は愛について語りさえする
宇宙が彼を包み
彼は自分の考えたことが
記憶の淵から溢れ出し
銀河を流れ去っていく様子を見る
もはや
どこに視点があるのか分からなくなる
所在無げな彼のポストに
乱れのない文字で記された
一通の礼状が届き
指先がその冷たさに
また出逢った
古い男が鳴らなくなったラジオを
修理している
古いラジオが
古い男の
思い出を修復している
いつのまにか
夜明けが窓の外に来ている
ラジオが
古い音で時報を告げた
いいことを沢山したのに
神さまは見ていてくれませんでした
でも
自分は見ていました
*
あなたが暗く沈んでいる
曇り空から雨が落ちてくる
私はあなたに近づこうとする
あなたは雨の降る日の友だちだから
*
誰もいないあの部屋に
夕日が侵入してきているが
放っておいてあげなさい
それが夕日の日課なのだから
*
毎年咲いては散っていく花を見ていると
私も 散ったことがあるはずだ と思う
散ったときは
気づかなかった 私
*
古い木製の母の化粧箱には
花模様が彫られていた
私が海の向こうで入れたタトゥーと同じ花
*
季節外れの雷が
宝物の隠し場所を教えている
取りに行けないだろうと知っていて
教えてくれる
くずのはのくわうえふ
なつは えふりよくその いきほひのままに
ひかりをうばふ ならずものであつた くず
ばんしゆう くずは
じゆもくに おおひかぶさつた そのすがた
そのままに くわうえふしてゐる
ふゆがれをまへにしたくずに
わたしは したしみをかんじた
夏は 葉緑素の 勢ひのままに
光りを奪ふ ならず者であつた 葛
晩秋 葛は
樹木に 覆ひ被さつた その姿
そのままに 黄葉してゐる
冬枯れを前にした葛に
私は 親しみを感じた
くずとひと
ねは くずこ くずもち
かつこんは げねつ ちんけい
せんいは くずふ
つるは かうり
くずのいきほひを とらへた ひとのちゑ
根は 葛粉 葛餅
葛根は 解熱 鎮痙
繊維は 葛布
蔓は 行李
葛の勢ひを 捕へた 人の智慧
いまはのきはの
ちる おちる まひおちる
いろとりどりの もみぢ もみぢば
ふるやうに おちてくる
こうえふ くわうえふ
こうえふは アントシアン
くわうえふは カロテノイド
ちのいろは いまはのきはの いのちのいろ
散る 落ちる 舞ひ落ちる
色とりどりの もみぢ もみぢ葉
降るやうに 落ちてくる
紅葉 黄葉
紅葉は アントシアン
黄葉は カロテノイド
血の色は 今はの際の 命のいろ
気がかり
今年の紅葉はとりわけ色鮮やかに感じられた
真紅あるひは深紅のもみぢ葉が日に輝いて見えた
日本列島の地下深いマグマの活動が
活発になつてゐるやうだ
地 異 梶谷予人
春遅遅と麒麟の首の伸び縮み
いさかひの国境いくつ水澄めリ
諦観の腑に落ちにけり花の雨
佐保姫の夜叉となりしか乱吹(ふ ぶ)きけり
夕焼けて鴉さわがしガザカナン
秋出水経験崩す土石流
そこはかとなく
さびしい日が 続く
静かであれば
静けさのままに
騒がしければ
そのなかにあって
ひとり 沈んでいく 心
とし相応の 不具合はあっても
取り立てて 不足はない身なのに
見送るべき人たちを見送り
こどもも それぞれに巣立っていった
天の声が聞こえる
この世でのお前の仕事はおおかた済んだ
あとは猫坊とお前さんのあと始末だけだ
がっかりして 憂鬱の目を
新聞の片隅に 落としていると
「老婆(ローマ)は一日にして成らず」(*)と
とび込んできた
思わず吹き出して 声を立てて笑った
そして――
しん、となった
なーるほど そうだったのか
長い時間が かかったということか
なるべくして成った歳月が
必要だった ということか
この有難い寂しさに
たどり着くまで
戸田帯刀師の足跡を追跡している 元毎日新聞甲府支局長
佐々木宏人氏の戸田帯刀神父の講演を聞いて
1898(明治31)年 山梨県東山梨郡西保町中(現山梨市牧丘町西保中)に
生まれる
日川中学(現日川高校)中退 東京開成中学(現開成学園)卒業
1923(大正12)年 バチカン直属のウルバノ大学に 5年間留学
司祭叙階を得て帰国
1941(昭和16)年 1月 札幌教区長となる
この時 戸田神父は 日本は戦争に負けると 同僚に話したことが
特高・憲兵の耳に入り逮捕 3カ月後に無罪となる
1944(昭和19)年 横浜教区長に任命されると
平和への決意として 丸坊主になった
この地でも 特高・憲兵の監視は続いた
終戦後 接収されていた「山手教会」を 早く還して欲しいと 直談判に行く
これが原因と思われるが 憲兵らしき人に「保土ヶ谷教会」の教区長室で
8月18日射殺(右目を貫通)され 死亡 享年47歳
教会側としては公にならないようにと「ゆるし」を与え 捜査を打ち切る
10年後 犯人(憲兵か)が「吉祥寺教会」に 名乗りでたが
住所も名前も動機等 何も聞かずに
一度「ゆるした」からと 再び「ゆるし」を与える
犯人はそのまま ゆくえしれず
一緒に留学した 田口芳五郎は 日本で二人目の枢機卿となり
そしてフランスへ留学した 井手口三代は 香港沖で1943(昭和18)年11月
機雷に接触 戦死
戸田帯刀のみが 宗教界に名前さえ残されず ウヤムヤにされ
田舎の田舎から 優秀な頭脳でローマ・ウルバノ大学に留学し
一途に平和を願い続けた 戸田師の思いを
今だからこそ きちんと 後世に伝えなければいけない
そして両親のことを思えば なんともやりきれない「許す・赦す・恕す」である
「あやめが咲いたら遊びに来てね」
昔のクラスメート達と
八角形の応接間から
紫にゆれている 花を眺めながら
お茶をいただいた
数寄屋造りのお座敷で
手料理を御馳走になった
私達が感嘆すると
「みんなお姑さんの御仕込み」
あなたは あやめのように ほほえんだ
一月十七日 阪神淡路大震災
テレビの白い画面に
あなたの名前をみつけた
人違いだったらいいのにと
ひたすら 祈った
古いお屋敷に一人住んで
ベッドにねむったまま 天井の梁にはさまれ
あなたは逝った
何もしてあげられなかった事を詫びながら
恩師のお坊様にお願いして
クラスメートと共に
回向を して戴いた
あなたの庭には
もう あやめは 咲かない
六条御息所さま
葵の君さま
夕顔さま のように
高貴な者では ございません
暗い廊下の片隅で
倒れそうになっていたわたしを
支え 励まして下さいましたことは
夢の中の出来事だったのでしょうか
古(いにしえ)の物語を想い出して
わたしの心は その時から
あくがれ ております
あなたさまは どこに住んでいらっしゃるのか
知らないのですけれど
人づてに聞いた話では
京都が たいへん
お好きな方だったそうですね
四条大橋の欄干によりかかり
鴨川の流れを
ながめていらっしゃるのでしょうか
三寧坂を散策なさっていますのかしら
竜安寺の石庭を
じっと 見つめておいでなのですか
三千院の阿弥陀三尊さまと
お話なさっているのでしょうか
古の物語を想い出し
白昼夢を追って
わたしの心は
あくがれ 続けております
愛犬のチビは喜んで走っていた
天草色の春の草原の上を
タンポポの中をそよ風に抱かれながら
僕は走って 追いかけて こじゃらけた
チビはタンポポの前で止まって においをかいて幸せそうだった
チビと春色の草原の上で走って 追いかけ合った 時の扉
その先には誰かがいた その先には誰かが待っていた
あの人がいた
青空の下で お弁当を作ってくれた人が言った
「食べよ♪」
あの香りがいた あの思春期の香りが変わらずにいた
あの思春期に恋焦がれていた憧れのあの人が 大人になって 僕の後ろや前を歩く
春の天草の中にはあの人が立っていた
風が吹いた
笑い合っていた
風が吹いた
思春期のあの人は大人になっていた
僕は草原の上で チビのことなんかほったらかしにして
あの人を力いっぱい抱きしめた
優しい故郷のにおいがした
春風が包んだ
あの人も抱きしめ返した
「ありがとう。君と居る限り思春期の僕に時間が移される」
思春期の君
学校の先生や仲間は無常観に消え去っても
君はいる
幼い時代も、今も緊張する大切な異性
あの白い翼を持ったあの香りを放つ君はまだいる 君といればいつまでも、思春期の
延長線の本番だね
君にほれていた僕がいつまでも、永遠に緊張している
だけど今は君のためにその緊張をスタミナに変えて仕事で君に尽くす
夜と朝の君と見る今の時代の神秘感動の光
あの時間を飛び越えて僕は輝いて思春期の延長戦をまだ戦っている
年老いた僕はいない
君の周囲にはまだ中学生の延命生が一人生き残っている
先生はいない 仲間はいない
みな、人間関係の
みな、自身の人生の、個人の人生の、荒波へ船が出た
人生道の無常観に流されて消え去った
先生ではなく、君のいる港に留まって、生き残った僕は、
今度は、君という人生の教師の授業を聞いている 人生の授業を聴いている
従って生きている生徒が一人だけ生き残っている 僕はまだ中学生だった
僕だけがまだ、君の周囲から無常観にさらわれていなかった
時代遅れだった中坊の少年が、あの中坊の少女をまだ見ている
年齢は大人だが、君の周囲のあの中坊だった
まだ、人生道の港から出航せず、君の港にまだ留まっていた
君の港から出航しなかった
したくなかった
「君の人生の授業は、学校では教えてくれなかった男女の人生学だった」
「男心は嫉妬したり、男心は嬉しかったり、男心で泣かせてくれたり、男心を感動さ
せてくれたり、笑わせてくれたり、幸せにしてくれたり、生命の神秘を教えてくれ
たり」
「本当に、人生の授業は楽しいよ」
奇跡的に一人、中学時代の延命措置を受けて生き残っている
時代が変わらない
君がそばに居る限りまだ中学生だね
白い翼を持った君にいつまでも童貞のままのように憧れているよ
いつまでも刻まれて、いつまでも・・・二人中学生だね
いつまでも、緊張する大切な異性と思春期の延命措置を受けて
二人だけまだ中学生のまま変わらないで延長線上に生きている
いつか空色
いつか春色
いつまでも中学生
タンポポのような思春期に憧れたにおいがした
途中から来た愛犬のチビなんて二人の歴史を知らない
まだあの香りに緊張した、中学生の僕がいた
いつまでもあの香りに緊張している
春風が吹いていた 君の髪が
まだ、あの中坊の少女の
長い髪が風になびかれていた
僕は春風の中立ち竦んだ
商ひの欲健やかや初戎
香久山や吉野恋しと花の道
行く春や旅の終わりの蛸の飯
仮の世と思へど柿の若葉哉
あぢさゐや乳房のごとし掌
すいすいと水の快楽や水馬
八月や静かな声で反戦歌
早や秋の雲となりたる朝かな
父さんと母さんがいて蜜柑かな
やがて冬運河は波を眠らしめ
ミモザの上に
気まぐれに蝶が止まった
まだ浅い春の日
ずっと閉ざされていた
あかずの扉が
人知れずひらいた
―鍵を見つけたから
ミモザの上に
気まぐれに蝶が止まって
凍っていた時をわずかに揺すると
風の中で
閉じていた本のページが
思わずひらいた
神様さえ眠っていた午後のこと
世界がそのときミモザの色になったのを
誰も知らない
日本よ 世界の良心となれ
日本よ 札束しか見えない 指導者達を正し
口先だけの一時しのぎを打ち砕き
この暴力に満ちた星の未来となれ
世界に学ぶために出るのではなく
世界に示すため国を出よ
自然と和解し
孔子も老子も仏陀もキリストもアラーも
そのまま 無理なく包み込んできた
この 島の大きさを思い出し
争いしか知らない 世界に示せ
もてなす心を 捨てない国の代表として
祭りやレジャーやスポーツ騒ぎが
大事な場所を ゴミだらけにしても
怒りでなく 損得でなく
静かに拾い集めて 日常を守る
卑屈にならず そして奢らず
その 気高い想いを保って
日本よ 世界の良心となれ
私達の心の中に
まだ確かに あるものこそが
生きた世界遺産 そのものなのだ
十一月の雨の中
蝶が飛ぶ
鉛色のセロファンの間を
オレンジ色が線を描く
行く先に咲く花もなく
雨弾をよける楯もなく
ただ オイデヨと
呼ぶ声にこたえて
目的や成果でなく
飛ぶこと それ自体が
意味を持つかのように
その いのちの意味の
すべてであるかのように
地に落ちては
また
飛び上がる
自然は自然に
ただ勇気に満ちる