158号 笑い
158号 笑い
- 無念 藤富保男
- きのう 伊藤浩子
- 短詩四編 門林岩雄
- 紫陽花の頃 横田英子
- 夜空に 加納由将
- あこがれ 斗沢テルオ
- 愛のブランコ 水崎野里子
- 花の粒だち 葉陶紅子
- 顔のない躰 葉陶紅子
- ふくちゃんは 私の手の中で 丸山 榮
- 水上のステージ 蔭山辰子
- 葉虫 根本昌幸
- 白いおかゆ 本多清子
- 平成落首拾遺(二) 野球帽
- 契機 藤谷恵一郎
- 秋風 晴 静
- きょうちゃんが笑った。きょうちゃんは宝石だった2009 中島省吾
- 花飾りの帽子 原 和子
- 椅子のある夕暮れ 左子真由美
- 公園での話 木村孝夫
- 目覚めていない ハラキン
- アクション! ハラキン
- 複雑 ハラキン
- 管弦楽 佐古祐二
- 僕たちは些細なことでできている 下前幸一
- たずねる 関 中子
- 桜 瑞木よう
- 鳩 吉田定一
- ノートブック 尾崎まこと
- 創造主はいるか 清沢桂太郎
- ラブレター 神田好能
- 冬の椿 牛島富美二
- 接続語 山本なおこ
- ウリカエデ 山本なおこ
無念 藤富保男
走る選手
うしろを追う相手の選手 走 った
レフェリィが走っ 止っ 走った
ボールは止まらない
笛
オ フサイド
レフェリィに詰め寄る選手たち
メイン・スタンドの大ブーイング
バック・スタンドの旗旗旗 めく
とびはねる女
1点が遠い 1点が遠くて 見えない
きょうは勝てない
夏芝や選手(つわもの)どもが夢の影
きのう 伊藤浩子
時を俯瞰するその場所に不意に呼ばれた兆し。
あおぎたと、不自由さという自由をまとった
石の花に、父母のまなざしを恢復させた。通
いなれたはずの樵路を背中合わせに写生して
いる、とおい後朝の余波。
喪失した僅かなひよめきの陰りにも怯えつつ。
三という数を初めてかぞえた日々を、ななめ
に射す陽光とようやく眠りに替え、呼名の行
方を訝っている、いつからか。いつからか、
あの乳房と等価になれないものとして、割れ
た三面鏡の前にも立ち竦んだ、夜明けを待た
ずに消えた夢を囈語に。
あなたは。
あなたというわたしは。
削いだ髪から羽化したばかりの蝶が舞う幻惑。
歩行にさえ酔い、地図にない川を泳ぐ淡水魚
の声に、参照先を忘れ、ほどいた指先で、窈
窕たる季節を追尾している。やがて日常の、
あえかな残滓を留めたい欲望にも絡めとられ
たなら、なつかしい虹梁のたもとへ。
還ろう、
か、え、ろう。
額、蟀谷、耳朶、鎖骨、肩胛骨、水月、そし
てふたたび目蓋の道標に、見えた矢先の、見
えない明日を籠絡するための、
短詩四編 門林岩雄
いろはざれ歌
く
くいてもくいてもくいきれず
わがじんせいはくいのやま
い
いかんいかんでここまできたが
これからさきはもういかん
見舞い
花は咲き
鳥は歌えど
友は答えず
病室の中
散歩
セキレイさんは逃げて行く
他所(よそ)の犬奴(め)が吠えたてる
それほど人相悪いのか
紫陽花の頃 横田英子
母の日に
娘から送られてきた花
スミダの花火という
梅雨の晴れ間に
濃紫 青紫 薄紫と
揺れる花群れ
注ぐ陽光に揺れる
その背景に
娘の笑顔も浮上して
それら花の向こうに
あの日がよみがえる
東京に向かっての新幹線は
小田原辺りで 四時間近く停止した
娘と会ったのは午前二時の新宿
高円寺の娘の家で食べた
午前三時のおにぎり
食べている間にも余震は幾度か
猫の眼も不安気だった
翌日も目の高さの窓のすぐ横で
幾本もの電線がしなっていた
コーヒーカップのコーヒーも
トルコ桔梗だったか 花も揺れる
もう慣れたよ 地震にも ここの暮らしにも
こともなげに言う娘の言葉に
頷きながら
またもやの揺れに
コーヒーをこぼしてしまった
あの日
季節になると 花は咲く
花の数が増える分人の暮らしも
また 年を重ねるが
花のようにいかない
人には人の暮しが あるのだった
梅雨の真っ只中
一層に 紫陽花の七色が映えている
夜空に 加納由将
横を見ると
梟一匹
パイプ椅子に
座っている
何も話さない
赤い黒子が
見える
自分の腕に
こんなところに
あったっけ
覚えがない
よく見ると
血の塊
管が伸びている
血だと思っていたのは
活字だった
管の先は
夜空に繋がっていて
活字を吐きだしている
黒子は
小さくなり
座っていた梟も
消えていた
あこがれ 斗沢テルオ
名もない草は
いつも あこがれていた
チューリップ畑の赤い一本に
みごとな葉の色艶
ツン と天突く花びら
砂ぼこりにまみれながら
草色以外の色をもてない草は
赤い一本を見ていることで幸せだった
赤い一本は
ひと月も経たずに花びらを散らし葉を落とし
土にもぐった
すべてを見ていた草は
こんどは待つことで あこがれを秘める
踏まれながらも毟られながらも
また逢える季節を 待つ
それだけで草は 幸せだった
赤い一本の球根は
土の中で 草にあこがれた
いつだって陽を浴び
天の青さを仰ぎ見ることのできる――草に
愛のブランコ 水崎野里子
あなたがいると
私は感じます
この世に
愛なんかないと
あなたがいないと
私は感じます
この世に
愛があると
あなたがいない部屋
私がいる部屋
あなたの不在に
毀れたピアノが
奏でる ショパン
あなたがいる部屋
私がいない部屋
存在の場所で
風船が膨れる
愛のブランコ
花の粒だち 葉陶紅子
記憶そぐ唯一(ゆいつ)の処方 黒すぐりの
匂いと味の 血を舐めること
腐りゆく果肉にうもれ 見る夢は
都会の森に 墜ちし星くず
細胞の欠片(かけら)ひとつを 地に挿せば
時計仕掛けの 空巡りだす
ガラテアの膚には 〈時〉は流れない
焦がれる指の 切なさなくば
花のごと匂う粒だち 漆黒の
界面の下 蠢(うごめ)く気配
薔薇色の耳殻 盲いた双眸と
唇の奥 天使の双翅
顔のない躰 葉陶紅子
顔はずし 夜天にかかげ月となし
昼空になげ 太陽となす
顔/躰2つにわかれ 天空と
地上に生きる そをヒトとよぶ
太陽(ひ)と月と 2つの性を生きること
両性具有(アンドロジナス) そをヒトとよぶ
礁湖(ラグーン)の月をとらんと 顔のない
躰はひとり 禿鷹となる
稲妻は 顔のない躰孕ませ
満月の夜を 獣でうめる
イカロスよ 地上に墜ちて種子となれ
太陽(ひ)を受肉して 頸に咲く花
いつの日か山になる海 呑みほして
塩凝(こご)り生(な)れ 躰の森に
ふくちゃんは 私の手の中で 丸山 榮
ちいさな ちいさな ふくちゃんは
とっても可愛いい あまえん坊
まあるいお目目を 大きくさせて
優しく見つめる その顔は
とっても とっても 愛らしい
ちいさな ちいさな ふくちゃんは
トコトコトコと 二階まで
私のあとを おいかける
短い足も なんのその
体じゅうを バネにして
ヨイショ ヨイショと かけあがる
ちいさな ちいさな ふくちゃんは
トイレの掃除を はじめると
その音きいて 飛んできて
ドアをトントン ノックする
中に入れてと ドンドンと
ダメダメダメよ この中は
ちいさな ちいさな ふくちゃんは
私が廊下を ふきだすと
雑巾めがけて とんできて
雑巾くわえ はなさない
ふくちゃんモップが みぎひだり
ふくちゃんモップで ピーカピカ
ちいさな ちいさな ふくちゃんは
いつもいっしょに おでかけで
お弁当もって 水もって
おおきなお空の そのなかへ
おおきな大地の そのなかへ
元気いっぱい はしります
ちいさな ちいさな ふくちゃんが
両手のなかで 寝ています
心臓のおとが 弱よわしくて
お目目も そっと とじられて
病院についても 元気がなくて
注射をされても 吠えません
ちいさな ちいさな ふくちゃんは
もんきちょうに なりました
とってもきれいな こがねいろ
はじめてみる色 神のいろ
十日も 二十日も やってきて
私のまぶたに おさまりました
でもね ふくちゃん 悲しいよ
水上のステージ 蔭山辰子
水面いっぱいに戯れる
みずすまし
あめんぼう
一瞬一瞬に描く
幾何学模様
少しの風に散らばって
また 違った形に衣替え
池一面のマスゲーム
自然の編んだレース飾り
今を盛りの野外ショー
夏の始まり
水辺の踊り
心に映える
万華鏡
葉虫 根本昌幸
葉虫。
つまり葉を食う虫だ。
美しい花の葉
大きな木の葉
葉ならなんでも食う
みにくい虫だ。
どうしよう。
でも生きているんだ。
この地球に。
美しい花の葉も
大きな木の葉も
あるいは野菜も
葉のあるものは
なんでも食うだろう。
食いつくしてしまうだろう。
殺してしまうか
生かしておくか
どちらにも
命がある。
おれは目をつぶって
そこを足早に
通り過ぎては来たが。
後悔というのもある。
白いおかゆ 本多清子
制服の上に赤い ㊫と書いた札をつけている
私達は 学徒動員生
昭和二十年五月 高等女学生 十五才だった
私は貧血ばかりおこして
何回も保健室へはこばれた
大きな おどんぶりに
山盛の真白な おかゆに梅干し一つ
窓の外に昼食の時間になったらしく
学友達の足音が聞こえた
反射的に 私はベッドの下にかくれた
とても悪い事をしたような気がした
この白いおかゆを 級友達に
一さじずつでも
食べさせてあげたかった
涙があふれた
豆かすと何が入っているかわからない御飯が
アルミの入れ物に 一ぱいずつ
キャベツのどす黒くなった一番下葉のお汁だけの
まずい まずい昼御飯
看護婦さんは
「あんたは病人やさかい遠りょせんと食べなさい」
と いってくれた
〽風は海から吹いてくる
沖のジャンクの 帆を吹く風よ
情あるなら教えておくれ
私の姉さん どこで待つ
その頃流行したらしい映画の主題歌
けだるそうな つぶやくような
看護婦さんの歌声
七十年前の うろおぼえの歌が
私の耳に よみがえってきた
「風は海から」 作詞 西條八十
平成落首拾遺(二) 野球帽
この都会に開いて延びる道がない
内へ内へ
廻り廻り
踠きながら
暗く深い穴に落ちる
※
おいらその日暮しの派遣蟻
巣は悲しみであいた心の深い穴
※
おいらその日暮しの派遣蟻
だれでもが母になれるわけではなくなった
だれでもが父になれるわけではなくなった
※
地下に地獄の門
地上に戦争の門
戦争の門開く音 確かに聞こえるが
もうすでにだれにも止められないのか
※
被害者が被害者であることによって
さらに追いつめられる
加害の側に立たなければ
国が街が組織が家が立ちゆかないかのように
※
憲法よ
そこのけそこのけ閣議が通る
※
やせ蛙
踏みつぶすぞ権力これにあり
※
空気読むコメンテーター ニュースの饗宴
※
万歳だ 汚染水 高レベル放射性廃棄物
異次元のゴミではないか
※
穢土を浄土にかえ
睡蓮が咲いていた
祈りを包み放つ
手のように
契機 藤谷恵一郎
ぐらついている
ぐらぐらしている
増幅される前の揺れのように
今行なっていることも
今見ていることも
今確かめたことも
方向も
記憶も
行こうとしているのか
帰ろうとしているのか
極度の緊張なのか 弛緩なのか
あれは次に来るのか
あれはひとつ前に来たのか
行為が縛られる
行為が浮遊する
得体の知れない包囲網のなかで
秋風 晴 静
匂いに酔って
ひらいた木犀
ほろほろ揺らし
黄金になって
みのった稲穂
なでなで揺らし
影絵になって
ねむった尾花
そよそよ揺らし
秋だよ 秋だよ
見えず 聴こえず
そぉっと ささやき
落ちた夕陽
後追い
消えた
風
きょうちゃんが笑った。
きょうちゃんは宝石だった2009 中島(あたるしま)省吾
きょうちゃんは笑った
きょうちゃんは立ち上がった
きょうちゃんの人生には宝石ばかり
ただの石ころのように見えるけどそれは宝石だったりする
本当の真実のユメの実現には愛がいるけど
きょうちゃんは勇気を出して戦う
自分の可能性を信じて立ち上がる
人って言うものは口だけだったり、
建前だけだったりするものだけど
自分の人間は自分のことを良く知っている
何が真実か 何が実現する近道か知っているもの
何が幸せにしてくれるもので
何が悩みの種なのか
独断しか解らないものだらけの矛盾した世の中
悩みの種を捨てようか?
悩みの種から美しい花が咲くのか?
人は悩みの種に自分から進んで水をあげれば
その悩みの種から美しい花が咲くことがある
何が楽しくさせるものなのか
こだわりのめがねをはずして
きょうちゃんは自分をよく見てみた
自分の良いところ 悪いところ
悲しみなんてものは、自分のこだわりひとつで、
喜びという視点に変えられるもの
きょうちゃんの夢は叶う
今だっていつも笑うことだよ
ひとつ世の中で形に見える方法としては、笑うこと
笑うことによって 宝石が近づいていく
ただの石ころからも宝石に見えてくるもの
悩みの種からもきっと夢の花が実る
やつらは、何か意味のあるものだから
いつからかただの石だったものがきょうちゃんのこだわりのめがねをはずせば
世界は輝いて見えてくる
きょうちゃんは宝石でした
きょうちゃんは美しい華を咲かす種を持っていた
花飾りの帽子 原 和子
あれは 遠い 遠い日のわたし
あの 花飾りの帽子
電車の窓から
海ばかり見ている
あのこ
汗ばんだ ひたいに ほら
もうじき届きそうな 桟橋
赤い 大きい船は
いまからどこへ行くの?
胸いっぱい あふれる海を
じっと すかして見てごらん
みな底の 楽園
しろく かがやく乳房
大きくなれば なるほど
どうしても
たどり着けないところ
そこから わたしたちは
みんな生まれて 出発したのに
木洩れ日の国で 遊んだ
ああ クレメンティ
草のにおいよ
笑い出したくなる 虫たちのしぐさ
おとなになるのは
できるだけ ゆっくりがいい
苦しいことの多い
長い 長い おとなの時間
ジュリエットみたいな 日ざしに
ずっと昔の 愛らしいわたしよ
青い花を飾り
青い花を飾り
椅子のある夕暮れ 左子真由美
日が落ちてしまうまでの
ほんのひとときのこと
買い物かごをさげた女が
走ってきて男の隣に座った
商店街の端の
アーケードの下の椅子に
隣の男を見て
このうえない笑顔を見せた
仕事帰りの人々が
慌しく通り過ぎる夕暮れどき
だから誰も気づかない
少しの間並んで座っていた二人に
どんな話をしていたのか
どんな二人であったのか
籠からはみ出した青ネギが
女の笑い声に揺れていた
男が遠慮がちにつかの間
女のまるい肩に手を置いた
それからさよならと口では言わずに
二人は別々の方向へ離れて行った
そこにいることが
最高の喜びであるような
笑顔が消えてしまうと
夕暮れは急速にやってきた
それから夜が
当たり前のように降りてくる
都会の片隅のちいさな物語を
やさしい夜のベールで隠して
公園での話 木村孝夫
俺 放射能など怖くないよ
俺も怖くないよ
公園のベンチで二人の会話
その側で放射能モニタリングポストが
数値をくるくる変えている
目に見えないからな
どんな大きさか見てみたいよな
軟体動物みたいなものかな
そんなもの怖くなんてないよな
でも C君は
公園で遊ぶのは絶対ダメだって
怖いのかな
俺のお母さんは何も言わないよ
俺のお母さんも
でもさ
それでいいのかな
そっちの方が少し怖くなってきたよ
この広い公園に
俺とお前の二人だぞ
放射能って目に見えない魔物なんだと
お父さんが言っていたよ
ずっと後になってから
体の中で暴れるんだって
どんなふうに暴れるのか
お父さんに聞いてみたらさ
血液の病気になったり癌になったり
体の中で突然暴れだすらしいぜ
こうなったら
お医者さんでも治せないし
お父さんや
お母さんからきっと叱られるな
でも 放射能なんて怖くないよな
目に見えないし
今は悪戯もしないし
それが怖いんだよ
だから公園には誰も来ないんだよ
俺も怖くなってきたよ
俺 帰るね
ちょっと待ってよ 俺もなんだか
帰ろうか
家の中でゲームでもして遊ぼうよ
公園に風が吹いてきた
放射能モニタリングポストの数値が
急に跳ね上がった
目覚めていない ハラキン
「目覚めていない」
ベッドから飛び起き
冷水を浴びて
早朝の街に走り出たとしても
目覚めていないとされる
街の巨大な十字路を
俺のような者が数万人
カッと目を見開いて
足早に行き交ったとしても
みんな目覚めていない
細胞膜と細胞膜のあいだにある
ゼリー状の闇が
その秘密
闇のなかでは
土地や金銀をめぐって諍い
浅はかな恋歌が好まれ
浅い呼吸のさなかで
鬼に喰われるときの
絶叫が闇をつんざく
街の巨大な十字路を
ゼリー状の闇が覆っていて
夢遊病の数万人が
足早に行き交っていると
喩えてもよい
この細胞間闇は
メスを入れられない
神秘的に溶かしてしまうしか
目覚める術はない
頭で倒立しつづけ
命のぎりぎりまで食を絶ち
せっかく骨と皮だけになったのに
闇は溶けなかったという
紀元前の記録を見よ
きょうの俺は
複雑な恋歌を歌い
できるかぎり
息を長く吐いているのだが
依然として
眠りを貪っているとされた ああ
「目覚めていない」
アクション! ハラキン
金堂の三和土に
鉄パイプを数十本寝かせたら
強い嫌気が生じた
さらにコーンやバリケードや
ブルーシートで縄張りすることによって
仏像群や天井画や
いや金堂全体の嫌気は
ピークに達することをたしかめよ
おまえの影を見よ
正確な斜光にめぐまれて
おまえに狂いなくつき従ってくる影に
主人公の座をゆずれ
世界を九十度回転させ
影を屹立させ
影につき従って生きはじめよ
名刀でたたっ斬るように
現代人の主観を殺し
ただちに
戦国武士の主観を獲得せよ
そしてまた
時代劇の役者としての
主観をとりもどせ
この主観のスイッチを百度くりかえし
ついに現代人の主観をもって
戦国の世で果てよ
北伝を食い止めてみよ
歴史が起こった現場に立ち
北伝のベクトルを
南伝にいざなったうえで
遠回りしてこちらに伝えよ
たちまち
二十一世紀の我々の寺からは
夥しい漢字がほどけだし
字画がバラバラと
土にかえってゆくかもしれない
いや寺すら
忽然と消えるかもしれない
複雑 ハラキン
僧帽筋や三角筋や上腕三頭筋や広背筋や大臀筋や大腿四頭筋などな
ど、メジャーな筋肉たちは、オレをきたえろ オレをきたえろ こ
のオレをきたえろ いやオレをきたえろ おのおのが口ぐちに呼ば
わって、俺という生体にエゴ剝き出しで迫ったが、胸最長筋や胸棘
筋や腰腸肋筋などなど、深部にあるマイナーな筋肉たちは、私たち
をきたえることも大切ですよと、瞑目しておだやかに、俺に語りか
けたので、複雑きわまるトレーニングを、生を惜しむように続けた
のだが、いつからなんのために、これほど生体は複雑になったのか。
数万種類の筋肉だの関節だの器官だの組織だのがうごめく俺の複雑
を、影の世界は一切認めず、グレーののっぺらぼうで俺をあらわし
やがる。せいぜい光源と角度を組みあわせて、影を増やしたり諧調
を変えたりするぐらいだが、冷静に考えればそれで十分なのかもし
れない。だから影の思想に取り組むことにした。ほとんどは光の研
究に費やすことになるので、前途は希望で輝いた。一方、影を煎じ
詰めたところで口を開けて待っている闇についての研究はどうする
のか。闇の辞書に必ずある「殺人者」も、俺の複雑など意に介さず、
心臓を一撃したり、喉を搔っ切ったりする。「戦争」においては、
複雑など全く忘却され、複雑を瞬時こっぱみじんにする。
管弦楽 佐古祐二
山を背にして
漁船が肩を並べて碇泊している
冬の日が翳(かげ)を作りだし
人びとは漁網の修理に余念がない
海に迫る斜面には
玩具(おもちゃ)の積木細工のように
家々と日々のくらしがへばりついている
ユリカモメの群れが風を受けながら舞っている
やつらの飛ぶ様は
天の指揮棒に操られたように
変化しながらも一つの諧調をなしている
僕たちは些細なことでできている 下前幸一
僕たちは些細なことでできている
些細な気遣いが僕たちを運ぶ
日めくりの傾き
身辺雑記のリアル
羅列する月日と
重ねる思い込み
紙一重の損得勘定と
憂鬱なプライド
君のしぐさや
薄らいでいく記憶の汐
巡る日々の周回
些細な目前のヒトコマの
ひらがなの残骸が
僕たちの足元には堆積している
感情のはるか下層の
断念のコア
行く末を知らない
焦燥の無意味を
記録する術もない
仮設の真実を
雨のあこがれ
瞳のせせらぎ
ミリシーベルトの森
瞬間のためらいと
回帰する軌道のカーブ
一抹の午後の交わり
積算する刹那
「君は何処からきたの?」
禁じられた地帯の
饒舌な沈黙
納得からは程遠く
立ちすくみ
匿名の水位に呑まれる
穏やかな疲労
伝言のない放課後の
深爪の思想
些細にもてあそばれ
些細に足をすくわれる毎日の
いわば些細な気遣いの
いわば鬱病的なクーデター
「君は何処から来たの?」
リストラの渦中の被曝者
永遠の半減期
億光年の絶滅
大きな自由よ
つかのまのハッタリの真実
「君は何処から来たの?」
思い出の深海の
葛藤のない軽やかさよ
深く届かない断念の澱の
声なき声の些細を傍らに
そして僕たちは
些細な断念をまた一つ積んでいる
たずねる 関 中子
マッチ箱にはマッチがない
ライターは空のばかりがあちこちに
ある日思ったものだ
もう人生は使い切ったと
ある日信じたものだ
ここで過ごした日々がよろこびであったと
しばらくののちに
いちばん 愛したものが彼自身の想いになった
夜にだけふる雨が
その夜はふらず星が微風できらきらした
孤独はあたたかく
竹林からさみしく優雅に飛びたつ
幸せだったか
すでにある答えは町の灯にそよぐ
あなたを呼ぶのはもうすこしあとにしよう
間もなく 夏の兆しの朝がくるから
桜 瑞木よう
さくかな さいたね
さいた? さこうか
まだかな まだだよ
おひさま あかるくなったね
さいた? さいたよ
さこうか まだだよ
みあげるひとたち
はるかぜふいて
ちらちら
ひかるよ
しろいはなびら
うすべにいろの
うすいはなびら
きれいだね
きれい
さんざめき
さざめく
はなのなみ
鳩 吉田定一
ベランダの隅っこに
野鳩が 二個の卵を産み
親鳩が二十日ばかり抱いている
卵が孵化して雛鳥になり 数日後
巣立ちの用意をしているのか 羽をばたつかし
首をのばして 世界を覗き見している
(おい、鳩よ!
今こそ 今こそ「ノアの箱舟」を
静かに想い起こしておくれ)
地上に大洪水が襲ったとき
アララト山の頂(いただき)に留まっている箱船の窓から
ノアが 鳩と鴉を放ったことを
しかし二羽の何れもが戻ってきた
七日後 再び鳩を放つと
オリーブの若葉を嘴(くちばし)に銜(くわ)えて戻ってきた
ノアは地上から水がなくなったことを知り
自分の明るい未来を感じ取った
(それ以来、鳩(おまえ)は平和の象徴になったのだよ)
さあ、兄弟揃って 飛び立っていくがいい
二度と、軍鳩となって戦争の手先になるな
さあ、早く飛び立っていくがいい
大空の 遥かな未来に飛び立って
七日後に、いやその七日後に…
いやいや数年後でもいい
オリーブの若葉を啄(ついば)んで帰っておいで
そうして もう戦争(あらそい)は地上からなくなったと
明るいわれらの 永久(とわ)の未来を信じせておくれ
参照 『旧約聖書 創世記』「夕方になって、鳩は彼(ノア)のもとに戻ってきた。見よ、
その嘴にはオリーブの若葉をくわえていた。」(創世記8-11)。ノアは、休息の意。
ノートブック 尾崎まこと
愛し合うものたちは
きまって
一冊のノートを持たされている
しかし若すぎる彼らは
とてもその小さな贈り物に気がつかない
お互いに夢中だから
カバンの中を
ごそごそ探すよりも
その手をつかって抱き合う
たとえば入道雲の空の下 向日葵にアゲハがとまっても
とまったとは書かない
お互いに夢中だから
スケッチする時間がなくて
キスばかりしている
さて
残酷なことに
愛し合うものたちが
一生をともにするとは限らない
そんな彼らは
さよならする時でさえ
「ありがとう」
と書く時間がなかった
泣きじゃくるだけで
精いっぱいだったから
それから十年たって
さらに十年たったころ
カバンの底の
ノートに気づくだろう
そこには
誰が書き込んだのか
奇蹟が刻まれている
きょう入道雲の空の下 向日葵にアゲハがとまった
あなたとわたしの目の前で
創造主はいるか 清沢桂太郎
現在 宇宙は膨張している
だから 過去にさかのぼれば
宇宙は一点に集中する
宇宙は 今から
百三十七億年前に
その一点が偶然に大爆発を起こして
膨張を始め
現在に至っているのだ
百三十七億年前の宇宙誕生の
極めて早い時期に起きた
その大爆発「ビッグバン」によって
物理学的時間が生まれた
宇宙誕生の極めて早い時期以前には
時間と空間はなかった
何故なら その一点は
無限大の質量と
無限大の温度であったので
物理学的時間と空間はなかったのだ
私たちの誰であれ
創造主であれ
宇宙を創造するとか
何か行動をとるためには
時間の経過が必要だ
ビッグバンの前には
時間がなかったのだから
宇宙を創造できる方は
いなかったことになる
創造主・救世主 神はいない
創造主がいるかどうかは
信仰の問題かもしれない
しかし 現代の天文学は
創造主の存在を認めない
と天文学者は概略語る
悩み多く
死を恐怖する
私はどうしよう
ラブレター 神田好能
ラブレターを
書くと言っても
相手にしてくれる人は
もう今は ない
「ありゃあ ラブレターだ」と
笑う人もある
誰も昔から 相手にして
ラブレターをくれない
人ばかり だから
誰にともなく詩をかいた
冬の椿 牛島富美二
冬の散策路
子供が一人路傍に立ったりしゃがんだり
私が立ち止まっても
一向に気にせずに
雪路にこぼれた鮮やかに赤い花びらを拾い
路傍の椿並木の枝に戻そうとする
どうしたのと問いかけても
子供はひたすら作業を続けるばかり
無駄だからお止め
私は虚しく諌める
どれほどその作業を続けているのか
額の汗が証している
落ちた椿が戻るはずもない
私はそんな光景を
手を束ねて眺めていることを
ことさら恥じる気配もない
もう一度 無駄だからお止め
人々が通り過ぎ
車の数が増してゆく昼下がり
子供はひたすら宿題に挑むように
独りの世界を構築している
手の色が椿になったねえ
私のわざとらしい言葉にぽつり
同じ齢なんだから
私は一瞬にして呑み込んだ
椿の樹齢に寄せた子供の心情
この一時にしか存在しない刻の流れ
私などはるかに忘却していた心の痛み
二度と帰らぬ今をひたすらに
そのことだけにああ 生きている息吹
その清冽な子供の輝きに
私は言葉も顔色も失っていた
接続語 山本なおこ
わたしが いる
あなたが いる
がは 接続語
あなたが 電話をくれたので
わたしは うれしくって 声が弾んだ
電話も 接続語かな
わたしが すきだよって 言うと
あなたは 人差し指で 小さなキスをくれた
キスも 絶対に 接続語
ウリカエデ 山本なおこ
おまえはかなしいブーメラン
夕焼けの中に消えて
思い出を連れて帰ってくる
おまえ 未来へ飛び立つブーメラン
あのわきたつ雲のかなたへ消えて
もどってくる
ぼくの未来は幸福だったかい