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193号 結婚(マリアージュ)

193号 結婚(マリアージュ)

すすき野   菊永 謙



 まっさおに晴れ渡った日 あるいは 河原
のすすきが揺れ きらきらと 川面のまぶし
い昼下がりに 決まって 村の寄り合いは始
まるのだ

 暑い夏の日 ひとの畑の芋畑を掘っていた
おじさんも 顔を真っ赤にしている おじさ
んは だれん畑の芋を掘ちょつとな うんに
ゃ まこって おまんさあとこは 葉っぱが
余りに見事じゃから もう どげん太か芋が
何本も出来ちょつか ちょこっと 見せても
らちょたとよ うんにゃ まこって 見事な
もんじゃ おまんさげん畑は ひったまげも
した まこってな

 夏の朝 ちいと早く 自分とこの 田んぼ
に入れた 早よ 水を入れた入れたで 何日
も おおいにもめた もめたの おばさんも 
おじさんも焼酎で赤くなった顔で 笑い合っ
ている

 一人ひとりの お膳には 煮しめやなます
焼き魚が 食い散らかされ ひとはコップを
持って あちらへ こちらへ 揺れなびき
飲みかわす おまんさあも のんみゃんせ
ちいと つぎもんそ 


 まっさおに晴れ渡った日 あるいは 河原
のすすきが揺れ きらきらと 川面のまぶし
い昼下がりに

キノコ   宇宿一成



落葉城跡には
野鳥の声が響いている
風が吹くと
金色の葉が一斉に散る

道端の
白い小さな固い実を
びっしりと付けた
細い枝を手繰り寄せて

あなたは
漏れ入る光の中で
透き通ってゆく
その途上で
一瞬、少女のころに戻って

うまく聞き取れない
(きれいね)、だったか
(いわがね)、だろうか

木の葉のように
言葉も風に吹かれていて

俯くと
巨樹の根方に
まるいキノコが
膨らんでいた
(茸、菌、くさびら、きのこ)
やがて
無数の胞子を
降らすだろう

降り注ぐ時間の中で
僕たちは
夫婦になっていったのだ



     *いわがね 落葉性の低木。細い枝に、たくさんの小さな白い果実をつける。
          花言葉は「いつもあなたのそばに」。

幻象 Ⅰ   川本多紀夫



果てしなく虚ろが広がる
暗闇のなかに
薄明るむ影のように揺らめきながら
いびつな球体が見え始めて

新しい宇宙はいま 
半成りの状態にある

撮像画面に映る胎の中で
骨々が組み合わさるまえの
丸っこい胎児のように
 
 ⦅一説には 
  宇宙はビッグバンによって
  瞬時にして成ったともいう⦆

そして 時もまた
息吹きはじめた

神々がまだ未生の
あたり一面が墨色に狭霧なす時代

目的がないままに
理由が分からないままに

事象としての
宇宙が存在しかかっている

  *

すべてのものは 成り立ちの
初めから
善悪の彼岸にある
 
目的も理由もなく生じたものは
同じ論拠によって やがて
消滅する必然をも 孕んでいるのだ

幻象 Ⅱ   川本多紀夫



三面鏡の
鏡面がひび割れるように

大きな稲妻がはしり
大穹はいま
壊れようとしている
 
緑の樹海は
敷物が巻き取られるように
端の方から消えてゆき

すでに海からは
潮騒の音が絶えてひさしい

赤茶けて干上がった大地には
裏返しに転がったままの
亀のように

原初の大時計が臓腑(はらわた)を見せて
時が 死にかけている

崩おれて倒れた神殿の
石柱が散らばる広場にたたずむ
頭部を欠いた女神の像は

どれほどの王朝の
興亡を見てきたか
 
年代記に記された
国々と神々の伝説は

砂丘(すなおか)に砂嵐が
通り過ぎたあとの 風紋よりも
空しく消え去ってひさしい

私としたことが   平野鈴子



情報通の主婦達はオープンと同時に卵売場に急行
十種類ほど品揃えしている卵
先週も半額卵はゲットできなかった
きょうは片隅に半額卵が一パックだけあった

自宅に帰りレジ袋から出すと平飼い卵10個入1200円と表示してある
「えっ」とうろたえながら定価のシールをはがし
赤の半額シールをこれみよがしにつけて
冷蔵庫のエッグストッカーにそそくさと鎮座させた

半額でも600円の卵を慌てて買ってしまった私
ありえない値段
ここはニューヨークではあるまいし
冷蔵庫の扉をしめ背後を見回し
大きな溜息をついた
白色レグホンか名古屋コーチンか不明だが
今宵はだし巻卵で腕をふるう
私の味蕾では1200円の醍醐味はわかりかねるばかり

根絶できない鳥インフルエンザで突然命をたたれたニワトリに感謝と合掌を

雪のささやき   平野鈴子



オープナーのおくからブルーのインクの文字がこぼれ落ちる
その方の手紙から ほのかにウッディな香りが
元気ですか?
直筆のぬくもりは計り知れないものがある

封書の中から育んでくれた母への感謝の
鼓動まで伝わり心にしみる便り
高齢のお母様より届いた手作りのマスク
幼い時から食べ親しんだ母の味も届いた、と
親から巣立って何十年たっても息子は息子
母の心は一途な愛
父の墓前で合掌する母の言葉に涙がうるむ
ここち良い距離を取りながら
慈しむ母へのまなざしが心を打つ
板目模様の美しさのような母と息子の絆が伝わる
晩夏から準備し積み上げた薪もすっかり減ってしまった
綿雪・淡雪・雪代も消え
 息子から母へ「けらっしゃい」
 母から息子へ「けらっしゃい」

淡い黄色のトキワマンサクの花が二人の為に咲くであろう
今年もきっときっと

わたしはバイキング   水崎野里子



わたしは女バイキング
ヨーテボリから船に帆を上げる
北の海は冷たい
北海は魚が泳ぐ
大きな魚の獲物を狙い
荒海を行く

獲物がないときは
国々を侵略する
掠奪する
殺す 奪う
わたしたちに不可能の言葉はない
わたしは人間

わたしは神
掠奪 侵略 殺害
それがわたしが神から
教わった
人間の本性

見よ!
神が咆哮する!
わたしは美しい

眠れ わが子よ   水崎野里子



眠れ わが子よ
ぐっすり眠れ
明日のことも
旅の行方も
わからぬままに

眠れ わが子よ
やすらかに眠れ
この母の胸で
母に抱かれ
飼い葉の桶の中より
暖かく 眠れ

あなたは昔 
キューピーだった
あなたは昔
可愛い 小さな赤ん坊
それから あなたは
やんちゃな
赤ん坊
 
夫よ
あなたも昔
誰かに抱かれた
小さな赤ん坊だった
仕事に疲れて
あなたは眠る
母に抱かれる姿で
椅子の上
 
眠れ わが子よ
ぐっすり眠れ
安らかに 眠れ
やがて 星たちは輝き
羊たちは踊るだろう
飼い葉の桶の
周りで

東方の博士は
来て 驚く
わたしの乳を飲んだ
あなたの やすらかな
眠りに

虹のエスキュース(1)   水崎野里子



 1

黄色
黄色い菜の花

春の踊り

菜の花はさざめく
春風の夢
黄色いリボン
黄色い月
黄色い星たち 
煌めく金色 夜の空


 2

黄色いタンポポ
時は春
春の歌
春のそよぎ


 3

紫色の
小雨の涙を
抱きしめて

曇り空に負けず
ひたすら咲く花
わたし紫陽花
今は 薄紫色に咲く花よ

でもね わたし七変化
青 ピンク 白 紫
ドレスたくさん着ますのよ
女の心は七変化


 4

ガガーリンは言った
地球は青かった
わたしは言う
海は青かった

青い鳥が鳴く
そろそろ餌の時間
です

青い空を着て
わたしは踊る
青い海を抱いて
わたしは眠る
限りなく透明なブルー

イチジクの木   吉田享子



寡黙な人であった
あたたかい目が夕日のように笑っていた
孫をひざに抱いてブリタニカのページを開き
あきるまで世界の国旗を見せてくれていた

イチジクの木と柿の木を大切にしていて
実が熟すと孫たちに
とっておきのみやげになった

寄る年波にはかてず
寝たきりになってからは
目を閉じたまま
私のおしゃべりを聞いてくれていた
帰り際には握手をする
握り返す手の力が日に日に弱くなって
まるで人形の手のようになった日
私は力づける言葉もなく
また来るねと耳もとで明るく言った
義父の目尻をツーと涙がながれた
ほどなく義父は義父の哀しみを抱えて
木が枯れるように逝ってしまった

翌年イチジクの木は
やわらかい芽をだすこともなく
立ち枯れていた

手紙   加納由将



あなたからの手紙をなくしてしまった
何処に行った
部屋をひっくり返すと
あなたのかけらが
屑籠いっぱいになっても
部屋は片付かなくて
いつの間にか
夜になっていて
明日になるとまた
ゴミがたまっていく
遠いところから
届く手紙
あなたがどこにいても
気配を感じる

措置   来羅ゆら



夕方の端(はし)っこで
小学四年生の少年がしゃがんでいる
背を丸めて何を見ているのか
丸まった背がいっそう丸く
あまり俯くから額が地面につきそうになって

視線の先で蟻を潰している

さっきまで
手負いの獣のように
大声で叫びながら暴れまわり
毒づいていたが
今は
丸く閉じこもって静けさの中にいる

傍(かたわら)にしゃがみ込み
そっと声をかける
 ――まだ怒ってるのん?
返事はない
足もとの蟻を
指先で次々潰している
人差し指が土にめり込むように
強く潰している

彼は
この週末
別の施設へ
措置されて行く
馴染んだ人と場所と
別れて行く

すぐ近くに
親はいる
その家に
彼の居場所はない
小学生になって
背が伸びて
大きくなるごとに
諦めが沈み 育っていった
家には帰れない

黙々と蟻を潰し続ける指
 ――は泣けへんのかなぁ?
間の抜けた声で私がつぶやく
 ――アホか、そんなもん泣けへんわ!
顔を見合わせてうすく笑ったけれど

私はたしかに聞いたのだ
潰す少年の泣き声と
潰される蟻の泣き声を

白き闇   葉陶紅子



ただ黙し 時空吸いこみ青に耐え
空に向かって 炸裂するもの

誰ひとりいぬ曠野には 時は流れず
われひとり 彳(た)つ曠野にも

君去りて すべての虚飾剥ぎ飛びぬ
残れるはただ 明けき静謐

降り注ぐ 光の粒の泡だちに
伸びゆく草の 音のかそけさ

空見上げ ひとり彳つ曠野を訪(と)うは
幾千の夜 幾千の昼

ぐるり虚無 わとなのみなり
まやかしを超え 透明な巨人を見るは

白き闇 永き不在を引き連れて
舞う指先に ともりしまどか

素粒子   葉陶紅子



頂(いただき)の森から眺む 雲上の
青き宇宙(コスモス) 星屑の宴

宇宙を 素粒子となり駈けゆかん
短きいのち なにを患う

なが耳朶を飾らんとして 手を伸ばし
星屑を採る なれ去りし日に

生も死も一如と知れば 今生に
怖るるはなき 躊躇(ためら)うもなし

なが耳朶を飾る星屑 そはわれが
なれ思(も)うしるし 永遠(とわ)の誓いぞ

富/力 素粒子に分かてば虚し
なを飾るのは まなざしの福

慈しむまなざしとなり 1日の
永遠を生きんか 既に素粒子

〈PHOTO POEM〉淋しがり屋のあいこ   中島(あたるしま)省吾



あんた勝った
美少女が言いました
寂しがり屋のあいこが負けました
だけどあいこには見守ってくれるお父さんがいます
あいこのことを何よりも心配して
家で待っています
暖かいお兄ちゃんもいます
あいこは幸せでした
あいこは道路に咲く花を観つけました
誰でもないよ、君のために道路で咲く

〈PHOTO POEM〉ビンテージ   長谷部圭子



アスファルトの舞台の上で
固く目を瞑り、まどろむ君

オーソドックスなデザイン
持ち主の心のままに 駆け抜けてきた君

愉しい時は軽快なリズムで共に喜び
哀しい時はバランスを取りながら支え
憤怒の情にかられた時は
狂ったようにまわるペダルにブレーキをかけた

こんな風に
そんな風に
誰かの人生を乗せてきた君

新品の自転車は いつしか
ビンテージと化していく

木漏れ日のスポットライトが
「もう おやすみ」と
子守唄を捧げた

翌朝の紙面から   下前幸一



一月、曇天の時空に
半島の視界が軋む

二〇二四年、厳冬の海に
みぞれ交じりの雨が降りしきる

枯れた樹が立っていた
消し炭色の樹だ

燃え落ちた風景の下腹で
市の記憶は燻っていた

濡れた装束の者たちが
列をなしていた

マンホールから黒い水があふれて

見えない断崖を
知らせはひらひらと舞う

ひらひらと
翌朝の紙面を

弱い者たちが蝕まれていた

明け方の寝床で
私はひとつ身震いをする

クラスター クラスター

翌朝の紙面から
黒い水があふれて

私の荒れ野に
寂れた駅舎が朽ちていた

危険な空気が張り詰めて

心の置き場所もないままに
遺言を私たちは託される

足元が溶ける予感に震えながら
言葉にならない祈り

のようなもの

私の問題   中島(あたるしま)省吾



私のヘルパーさんは男性のみから
男性専用男性ヘルパープラスあらセブンの老女のヘルパーに変わりました
お婆ちゃんのヘルパーさんには助け合いとニュースのことなど会話しますが
本当のたまに来る若い女性のヘルパーさんには無言で話し方がわからず
「偉そうに説教された。腹立つ」とヘルパー所に通報されます
いないところで、ごめん
若い女性との話し方が
慣れず、知らんのやねん、許してや、ごめん

日本中の木洩れ日、貰い勇気   中島(あたるしま)省吾



お母さんの死んだ知的障がい者、生活保護者の名古屋市のヤスオくんの趣味は
スーパーで買い物をして、スーパーの食料品を食べることです
ヤスオくんは本当は子作り、結婚がしたいですができませんでした
させてくれませんでした
もう禿げ切った知的障がい者です
耳の横しか髪の毛がありません
誰も女性はやってきませんし、ストーカーみたいに追いかけません
ヤスオくんは今日スーパーの買い物中
魚屋さんの水槽でのびのびと泳いでいた鯛さんのその後を想うと可哀想でした
水槽の中でヤスオくんのほうを観て、変な奴だなと純粋に泳いでいます
弱い人の気持ちがわかる男の子です
一方、食べ物をよく喉に詰まらせて
もうすぐ人生の終わりを感じています
安売りの刺身買ってムシャムシャ
「うみゃ。ええにゃあ」
病院にもうすぐ入院して一生過ごす予定です
食べ物ももう食べられなくなるかもしれません病気感じています
「でも、能登半島の家潰れたひゃと、かわそうにゃあ。
 元旦なのにこりょされたにゃあ。
 家、冬ににゃくにゃって、だいじょうぶかにゃあ。
 宮城県の津波で死んだあひゃと、
 福島で実家ほうきしたあらあ方に比べてええにゃあ」
ヤスオくんは苦しいのは自分だけじゃないと想いました
ヤスオくんはスーパーのレジにある能登半島震災と津波の被災者への募金箱に
スーパーの毎度それぞれ一日一円入れます。合計二円入れます
病院無事入れて、
たぶん、喉の手術かなんかして
唯一の楽しみの食べることができなくなるまで一日一善
でも、嵐の日々ではありません
太陽がにっこり
能登半島、宮城県と福島県民に勇気をもらって、自分だけじゃない
もらい勇気の一方的な卑怯な安らぎの木洩れ日が毎日すごく
お母さん死んだ独りぼっちの家に差し込んでいます

晴れた終わり   中島(あたるしま)省吾



友達もいない
養護施設退所後のヒロインと離婚もしてから二〇年以上経つ
血縁者じゃなくよその人だからしゃあない、追いかけない、警察
お母さん死んだのが一番痛かった、料理、面倒見
グループホームとか役所に相談しろとお巡りさん
しかし、役所は容れてくれない
心臓とか肺が痛いので
今週の一月の今度の金曜日こそ
自称精神病院検査入院自称予定です

みなさんはお母さん、お父さん、家族を大事にしてください
私は電話できるのがお巡りさんのみで
病院の外来でさえも着信拒否です(IP拒否)
親が死んで、親がいない独り暮らしなので
(天涯孤独。お母さんのお兄さんは生涯独身で死去後)
何も言い返す、やり返す人がいないので、
カツアゲなどで道などで殴られたら顔観ず知らんぷりします
病院の女性患者がお金に困ってると言っていたので
二万ずつ毎月振り込んでいました
私をストーカー呼ばわりで
病院も私に怒って
病院変わって結婚されました

(中国の可愛い女の子に生まれ変わりたいなあ
 晴れた終わり
 詩人は死ぬ
 道で倒れる
 運良ければ病院で一生過ごす
 浪漫がある
 ようここまで
 本出しまくって頑張ったなあ)

独り言   吉田定一



公園のベンチに座っていると
隣に座っている男が
突然 ぶつぶつ独り言を呟き始めた

「………………………………」
「うーん 何だ彼奴(きやつ)は! ……」
ぼそっと男は叫び 荒げた声を
足で踏みつけて 立ち去った

バス停でも バスを待つ乗客から
独り言を 耳にすることがある
他人事ではない あなたも私も
ひととの感情の縺れからくる苛立ち

他人に言えない身内の不満 
言い知れぬ不安・孤独が 独り言となって
生きようとする生に 忍び込んでくる

時代に 置き忘れられたように
社会との繋がりを 見失ったような
そして 幼児の自己中心性のように
口元から 無意識に零れる独り言

ひとは 知らず知らずのうちに
そうして 私から
「私」が 密かに逃げだしていく……

明日雨が上がったら   左子真由美



明日雨が上がったら
コーヒーを飲みませんか
あの店で
明日雨が上がったら
レインコートを脱いで
あの席に座りましょう

この星の四十五億年の物語のなかで
私たちはつかの間
街灯のまわりを群れ飛んでいる
ウスバカゲロウのようなものだと
だからいっそう一日が愛おしいと
そんな話をしたことがありましたね
ずいぶん歳をとってしまったある日
ふふ 冗談みたいに笑いながら

明日雨が上がったら
コーヒーを飲みませんか
あの店で
そして
明るい春の陽射しのある窓辺で
二匹のウスバカゲロウの
小さな小さな物語を語りましょう
誰もしらないどんな本にも載っていない
ささやかな物語を

ミルクキャラメル   白井ひかる



誰かに貰ったのだろうか
部屋の片隅に
ミルクキャラメルの箱が
残されている
買った記憶はない

賞味期限を確かめると
まだ大丈夫
外側のセロハン紙の
赤い印の開け口を指でつまんで
クルリと箱のまわりを一回転
中紙をスライドさせて箱を開けると
半透明の紙に一個一個包まれた
四角いキャラメルが
二列になって整然と並んでいる

キャラメルなんて
いつから食べていないだろう

一個頬張ると
すぐに甘く溶けだした
口の中でコロリコロリと
転がしていると
だんだん角が取れてくる

噛むうちに柔らかくなって
形の無くなったキャラメルは
やがて小さくなり
平べったくなり
スマートな円盤になって
ウォータースライダーを滑り落ちるように
喉の奥へと消えていった

口の中はガランとした

じんけん   加藤廣行



犬が歩いてきて
ぶつかりそうになったので
言ってやった
右側を歩こうねって
それで気がついた
小学校で習った
人は右 車は左
犬は習うんだろうか
道路交通法
免許が要らないのは
人も同じだから
条文から条文へと
頁いっぱいあちこちと
歩き放題
実はぶつかっているんだ
避ける と
避けない とが
自分が犬の場合
相手は人かも知れないなんて
防衛概念が暮らしに侵入
思想は戦いなんだ

臥雲橋へ   西田 純



塔頭のならぶ
石と緑にかこまれた道は
そこだけが 
どういうわけかひんやりしていて
からだが せなかから吸い込まれ
とけていく

這い上がれない
底まで どこまでも
落ちてしまった日が 続いたので

どうしても 歩きたくなって
ここでは
にがい重さを はなれて
まるで生きているみたいだ
いったい 何か月ぶりだろう

どこからか
尺八のしずけさが かすかに流れ
立ち止まった ぼくは
ゆっくり おおきな息をして



     臥雲橋(がうんきょう)
       東福寺(京都市東山区)三名橋のひとつで、
       最も下流に架かる。重要文化財。

星を撒く指   尾崎まこと



準急は阿部野橋を出発した

美しい指の少女が
僕の左横の隙間に座った
列車が揺れるとお尻が触れてこそばゆい

数時間前
呼吸器外科のモニターに映し出された
十円玉大の白い綿毛
(自分の病巣だと未だ納得できてない)
その記憶が触手を伸ばしているのだろうか
少女と私の境まで

彼女の右手の人指し指は
指揮者の指揮棒のように
単語帳のスペルを素早くなぞっていた
列車がカーブにさしかかったとき

――At about three o'clock Jesus cried out with a loud shout
  “Eli, Eli, Lema Sabachthani”

唇もイエスの最後の言葉を三度なぞっていた
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
それは祈りよりも呪文に似ていた

背をそらした美しい指は
微細な星粒を撒いているのだろう
そこには絶望ではなく あきらかに明日があった
明日の歌をわたしはきいた
喜びの歌をわたしはきいた

わたしの今日は明日に嫉妬していた
たかだか数十年の私の今日が
数十億年続く地球の明日に嫉妬していた

少女は松原駅で降り 列車は東を進み
星の下を帰っていった



     *「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」―マタイによる福音書二七章より。
       わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか? という意味。